ならべるときれいだな。

こう考えるとやっぱり僕はタブローが好きなんですよね。なんでだろう?うーん。きれいだから?並べたいから?意味わかんないな。意味あるのかな?まだまだです。

鴨川から帰ってきた後アトリエを掃除していました。運動場から砂が入ってくるのですぐ土だらけになります。履いても履いてもあんまり意味がない。だからあんまり室内という感じもしないんですよね。鴨川ほどの開放感はありませんが。

なぜ鴨川か?別に語るほどの理由はないのです。僕は京都人ではないので鴨川について思い入れは特にありません。思い出ならそれなりにありますが!ただ、あの場所に置くと本当の光が当たって絵の姿がくっきりと見えました。外に連れ出したかったんです。外に運んで、土の上、草とか落ち葉が積もってる場所にただ置きたかった。そして太陽の光を当ててあげる。どこか遠くの方から風が吹いている外に行く。すると京都ではたいてい鴨川に行こう!となるわけです。

ふるさとの話をしましょう。京都はやっぱり盆地なので、どこを見ても山が見える。囲まれている。その中に街があって、鴨川が流れている。鴨川が唯一の窓みたいなもんだと僕は思いました。だからみんな鴨川のことをどうしても意識してしまう。僕の実家は淡路島、島だから、平地なんです。なんにもない。というと誰かに怒られそうですが、もちろんビルもないし、山も高くない、あっても高く見えないのです。横にずっと広いから。

家から見える景色。空がでかく見える。景色に占める空気の体積がでかいんですよね。何もない部分が多いわけです。というと、また怒られそうです。言い換えると、空気がいっぱいあるんですよ。。でもこれはすごく気持ちがいいことなんですよ。

だからもし淡路島で描いていたら、外に出したらすぐ展示できたわけです。僕が求めた条件がすぐに揃っている。外がちゃんと外らしくなっている。だけど、鴨川のような場所は全然ないわけです。淡路島の川は、ただの川なんです。ただ水が流れているだけで、愛もロマンも何もないわけです。実家にいたときは川なんて別に見向きもしませんでした。海は好きでしたね。川はただの海に注ぐ水流でしかありませんでした。川というと海のイメージがわきます。すぐに海につながっているイメージが持てます。

鴨川を見ていても、海につながっている感覚は僕の場合あんまり持てない。ますます不思議に思えてきました。いったい鴨川ってどこに繋がっているんでしょうか。調べればすぐにわかることですが。。。。鴨川を眺めていると、とにかくああ、自分はいま外にいるなぁ、、という気持ちになれるのです。なぜだろう?だからみんな外に出たいときに鴨川に降りてくるんでしょうね。

夜の鴨川。夜に川に行こうなんて、淡路島ではあり得ません。。いったい何しにいくんですか?と、思ってましたが、悪くありません。酔い醒めの水は甘露の味です。

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