絵を見よう その1

さっき入れたお茶がもう冷めている!

絵は一瞬で見ていこう、という話をしました。見た瞬間、気持ちいいかどうかだけであると。絵は最も瞬間的な娯楽なのです。音楽、映画、小説、マンガ、、、、そのどれより刹那的です。ただ、刹那的だから忘れやすい、移ろいやすい、そこは注意がいるかもしれない。というお話でした。

では気持ちいい絵とはどんな絵だろう?

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これはパソコンのフォルダにずっと保存されていた絵です。良い絵とはどんな絵か?と問われれば、たったいま、自分が良いと感じる絵を一枚一枚見せていくことしかできません。それが一番確実です。メタ的に「良さ」について語ることは形式的になら出来ます。しかしそれはただの言葉であって絵の良さそのものではないからです。それに、良い絵とはこうこうこういうものである!と語ることは、絵の可能性を剥ぎ取ることになりかねません。正義とはこういうことだ、と語る奴なんて信用出来ないでしょう?時と場合がある、世の中には色々な可能性があるわけです。その都度、みんなで考えて判断されるべきことです。絵も同じ。現実の目の前の絵を見る、一枚一枚自分の目で見て感じて、いま判断すれば良いのです。ですから、絵を見るときは、良い絵がなんであるかは考えない、見方を白紙に戻しましょう。これけっこう難しい。僕も出来てないかも。だから敢えて、絵は進んでぶっきらぼうにちゃっちゃと見るようにしています。

また話が逸れました。6枚あります。数に意味は特にありません。これは全部同じ画家の絵です。だいたい400年前くらいの絵です。それぞれ良いと思ったところをコメントします。

1:あどけなさ。

2:とろける色彩。

3:目の前の姿。

4:無数の小さな光。

5:出会い。

6:微かな音。

好きな絵に一番近い言葉を書いています。ただどれも入れ替え可能かな。分ける意味なかったかもしれません。1〜6までの言葉は画家の絵の良さを表しています。やっぱり言葉は難しい。絵の良さと言葉の良さはまた別ですね。ちょっと詩みたいです。

簡単に言うと、ドラマチックである、と言うことです。

1:人物の表情を見てください。男たちは目の前の光る人間にただびっくりしている、自然そのものです。ポージングはなんの誇張もありません。見せかけではない、本当の臨場感に溢れています。

2:とろけるようなキメの細かい色彩、なめらかな肌触りのシーツです。それが純白の裸体から滑り落ちています。これは色彩の絵です。

3:目の前の身体がそのままの姿勢で堂々たる筆さばきで描かれています。本当に、たったいま目の前の身体を描いています。距離さえわかります。

4:夜空に星座を描くが如く、画面に散りばめられた色彩と光。宝石のような輝かしい筆致です。

5:一瞬の表情。何かを話しかける前、感情と感情のその間、ゆらぎ。定まらない、宙吊りになっている目線、かけがえのない親密な時間。

6:生活の中の微かな音、話し声、服の擦れる音が心地よい音楽になっている。視覚的な絵からは決して聞こえるはずのない音、リズムが聞こえてくる。美しい楽団の絵。

これ全部、400年前の絵ですよ?時代も国も文化も違う、それなのに、こんなに生き生きと、静かな現実をただ克明に描いているだけにも関わらず、現実以上にスーパードラマチックに見える。見た瞬間、時空を超えて、絵に吸い込まれる。とんでもなく良い絵です。良い絵の話をするのに、この画家の絵を持ってくるのはほとんど反則です。本当に何度見ても頭がとろけるくらい素晴らしい。。。。筆致が生きている。。。。前回の宗達とは国も時代も全く違う画家の絵を出したので戸惑われるかもしれませんが、僕は古今東西あらゆる絵をぜんぶ同じ目線で見ています。絵に好き嫌いなどありません。

特に彼の絵は、同じ筆を持つ身から見て、という言葉すらおこがましく感じるほど、素晴らしすぎる。他に例えようがない筆致です。本当に正確無比に光を捉えています。その目はわずかな光の溜まりすら見逃しません。筆によってキャンバスに置かれた絵の具の色彩が固有の質感を持った光としてしか見えてきません。画面は完全に重力から解放されています。1:の絵の右上棚の白い陶器のピッチャーの質感を見てください。光る人間と同じ力で描かれています。徹底したリアリズムでありながら、しかしエロティックな筆致です。画面の隅々まで舐めるような筆致です。もっとよく見たい、目の欲求に応えようとする筆致です。だけど、決して逸脱しない。「画家」としての仕事をやり切っている。「芸術家」ではなくひとりの画家として。すべて、絵を描くための必要最低限の筆致です。それ以上のことはしない。抑制された、静かな筆致です。しかし、抑えられたその筆致には確かな人格があります。極限までコントロールされた筆致には画家の美学、生き様が詰まっています。

もっともっと言ってしまえば、彼の絵の良さとは、彼の人格にあるのかもしれません。ありのままを描き、決して、飾らない。驚くほど正確な目と筆を持ちながら、決して腕を見せびらかさず、その全部をただ絵のために的確に使っている。「無名」に徹している。しかしだからこそ、人間性が見えてくる。描かれたものたち以上に画家の筆致が生き生きと見えてくる。絵を見ると画家の眼差しが向けられている。僕は彼の絵を見ていると、どうしてもいったいどんな人間であったのだろう、と想像してしまいます。

スペインの画家です。名前はディエゴ・ベラスケス。17世紀の宮廷画家です。その出自など謎の多い画家です。

鑑賞編?として僕の好きな画家の絵を今後こんな感じで紹介していくかもです。古い絵も新しい絵もごちゃまぜで。いやでもほんとにベラスケスの絵は不思議な魅力がある!ただうまいだけじゃないんですよね。いや、ただただうまいのですが。。何度見てもドキッとするような生っぽい魅力がある。あの抑制された色彩が好きなんですよね。絵を見て本当にただ美しいと思う。こんな風に美しくなりたいって思います。憧れます。

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