みずいろ絵画教室の特別授業

ブログに書くべきことが溜まっている状態なので一つずつ書いていきたいと思います。

先日、みずいろ絵画教室で〈特別授業〉が行われました。

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日時:11/20(日)18:00〜20:00

私の絵の作り方①「トレース」

絵画の起源はランプに照らされて眠る恋する人の影をなぞったことから?
絵画の始まりは影を写す行為=トレースだとする言説が西洋では古くからあります。
なぜ、影をトレースすることが重要と考えられたのでしょうか?
古代ローマの伝承にならって、蝋燭の灯りの下、実際に影をトレースし、一緒に絵を描いて考えてみましょう。

*参考作:ランシマン「絵画の起源」1773年

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この〈特別授業〉では、いつもとは違った目線で絵を描いていきます。通常の教室では基本的に個人制作をしていて、自分の課題に取り組んでいます。木炭デッサンしている方もいれば、フォトペインティングをしている方もいる。自分のイラストを描いている方もいます。それぞれ研究計画が違います。じっくり自分の表現と向き合う時間です。そんな普段の教室に対して、特別授業は生徒さんにとってある意味では息抜き、遊び、だったり、新しく視野を広げるものになればと思っています。新しいやり方を発見したり、新しい鑑賞法を見つける時間です。

今回の特別授業は、教室を洞窟のように暗くして蝋燭の明かりを灯し、壁に映った自分たちの影をなぞってみんなで絵を描いていきました。

西洋には古くから絵画の起源は影をなぞったことだとする神話があります。どういうお話かというと、ある娘の恋人が戦地へと旅立つ前の晩、彼女は眠っている恋人の横顔の影を壁になぞって写し取り、やがて死にゆく愛する者の存在を残そうとした。というお話。あまりにロマンチックなので、ルネサンス期にこの逸話を描いた絵画が多数制作されています。確かに、写真機のない時代にあって絵画の意味とは、目の前の物体を再現すること、まるで生きているように、あたかもそのものであるかのように、似せること。正確な肖像画であること。現代では薄れてしまった絵画の果たす役目の切実さがこの逸話とこのお話を描いた絵画には詰まっているような気がします。

もう一つ、影を写して描くということは透視図法を用いたスクリーンとしての絵画という捉え方にも繋がります。ランプでスクリーンに影を写す、これってレンズに像を写すカメラと同じことです。透視図法はカメラアイを人間が代用するやり方です。目を固定して視線と垂直に交わるスクリーンを仮想するやり方。もう少し時代が進めば実際にレンズを使って絵を描くやり方も開発されていたようですね。カメラオブスクラなどを使って。透視図法の前段階として、絵画の起源=影をトレースする、という考え方がスムーズに受け入れられたのかもしれません。

そんなお話を挟みつつ、いつの間にか写し取った絵を眺めて鑑賞会が始まり、教室は「影」の不思議さに想いを馳せる時間となりました。出来た絵は、影をなぞっただけの輪郭線に過ぎませんが、何だか強い存在感を感じました。明らかに、何となく描いた普通の線ではない。何かをなぞらえている。その線の中に形に何かが詰まっている。見つめていると描かれた絵が影を写し取られた人そのもののような気がしてくるのです。影というのは存在そのものなのかもしれません。幽霊には影はないと言います。ゲド戦記の影との戦いのお話が飛び出したり。ひょっとしたら写真よりも再現性が高い?影が物を現し輪郭線になるというダヴィンチの視点。絵を描くときに影から描くか、光から描くか。などなど。話題は尽きませんでした。

次回特別授業の日程は未定ですが、内容は考え始めています。ネタはありますが、何しろ2時間で終えなければいけませんので、厳選しなければいけません。別に2時間超えてもいいわけですが、気軽な方がいいのです。一回で楽しく帰れる内容がいい。基本的に教室では、なにかつくってから考える、をモットーにしていますが、鑑賞に時間を割いても楽しいかもしれません。鑑賞だけする時間があってもいい。プロジェクターで絵画を写して鑑賞会をするとか。どこか展覧会へ行ってもいいですね。あまり混んでないところがいいな。混んでると見づらいし何より喋りづらそうです。どこか遠くの地方の常設展を見に行くなどしてみたい。企画展でもいいけど。旅行気分にもなるし、じっくり鑑賞もできそうである。四国とか。信州とか?とにかく考え中です。

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