展覧会に行ったら・・・

前回絵の話をちょろっとしてしまったんですが、なんというか、まったくうまく伝わっていないのではないか?という気がしてきました。これは一番の謎なのですが、皆さん絵をどういう風に見ているのでしょう?これは非常に難しい問題です。言葉でいくら詳細に説明しようとしても、限界があるのです。あの人の見ている「赤」と、僕の見ている「赤」、「赤」には違いないが同じではない、その違いについては説明しようがないのです。例えが極端過ぎましたがこんなことを考え出すと、ちょっと怖くなってきます。暇だから考えるわけです。こんなこと考えながら生活などできません。だからやっぱり絵を見てもらうのが一番なのですが、これも直接的ではない場合が多い。いや、誰しも直感的に見ているのだけど、それを次の瞬間忘れてしまって、あれこれ余計なことを考え出す訳です。そうするともう絵がまったく違うものになってしまう。これは厄介な問題です。いやしかし、そんなに厄介ではないのかもしれない。絵そのものは変わらず目の前にあるわけだから。(いい加減気付いてきたのですが僕の思考パターンは、これはこうだ、いや、やっぱり違うかも、、、の延々ループです。これが一番厄介だ。)

もう、とにかく直感的に話していきます。解釈の齟齬が生まれるのはひとまずは仕方がありません。食い違いを怖がっていたら作品なんか恐れ多くて作れません。というよりも話できません。

さて絵を見るとき、僕はさっさと見る方が良いと言いました。なんでもそうですが絵は特にそう。説明します。好きな画家の展覧会に来ました。展示室に入ります。するとだいたい、絵がいくつも列んでいますね。どれから見て良いかわからなくなりそうですが、部屋全体をまずぐるっと見ます。そしたら次の部屋に行きましょう。またぐるっと見ます。会場を把握したら、安心して身体が勝手に見たい絵の方に動きます。どんどん歩きながら次々にリズムよく絵を見ていく。一枚の絵につき1秒くらいです。そんな感じで会場全部をスタスタ歩き回ってみましょう。一周したら、もうこれで終わりです。これで展覧会は終了。絵を一個一個見るのは帰ってから図録かなにかで見ましょう。どうしても別れが惜しい絵があったら、戻って挨拶してきましょう。家に飾りたい絵があれば買いましょう。オススメします。

目の前の絵を見る。これは瞬間的な運動です。1秒もかからない。これは絵の見方を意識する、しないの問題ではありません。身体の問題です。誰しもが一瞬のうちに絵を見て内容を把握している。本当に一瞬で勝負が決まるのです。見た瞬間、良いか悪いかがわかる。わかるというのは頭ではなく目でわかるという意味です。けれどもじっくり見てしまう絵がありますよね。あれはなんで良いのか頭で探しているからです。だけどそんな作業をするずっと前、見た瞬間の最初にすべて絵の内容というのは決まっていることなんです。じっくり見ながら、最初の印象を思い出そうとしているだけなんです。

だからある一枚の絵の良さについて理解しようとしたり話す時は、その最初の圧縮された出会いの瞬間を紐解いてく、もう一度今度は頭でじっくり見て身体で追体験してみる、どうしても後手に回ることになります。ここで間違いが起きやすい。一秒の出会い、を忘れてしまう。身体が思い出せなくなってしまう。思い出せないから、目の前の絵を見ているつもりが絵ではなく見ている自分そのものを見てしまっている。絵を見ているつもりが、一気に目の前の現実の絵から目を背けていっているわけです。展覧会に行く時最初からじっくり見てはいけないといったのはこのためです。頭でじっくり見ようとすると、絵の一瞬の輝き(絵は光なのです、光が目に入るから見える訳です。見るということは光を感じること、だからまさに一瞬で絵は見られる、というか瞬間的に強制的に見させられているのです。)を感じているはずなのに忘れる、彼方にすっ飛ばしてしまう。これは最悪です。僕のオススメするやり方は、絵の瞬間の鮮度のそのままを持ち帰る方法なのです。

もちろん、なんでよく見えるのか、それを考えることは大切だし、とてもわくわくする時間です。未知との遭遇です。それに一枚の絵を頭で噛み砕いて見ていくのは自分が絵を描くためには必要なことだったりします。だけど、忘れては行けないのは、「展覧会」という場所は作品を見る舞台、ただのショーなのです。見て、楽しむこと、いい気分で帰ること、心がスッキリすること。気持ちのよいこと。身体が刺激を受けたりリラックスすること。僕はいつもなにか良いものが見たいと思っています。それはなぜかというと、いい気分になりたいからです。絵でも見ないと、つまんなくてやっていけないからです。気分を晴らす、思いっきりスカッとしたい。僕が絵を欲しているのはこれだからです。単純明快で、気持ちよくなりたい。それ以外のややこしい動機なんてこれっぽっちもありません。展覧会に行ったり、画集を買ったり、絵を買ったり、すべてが私利私欲のためです。(そういう意味では酒たばこドラッグに近い物があるのかも?僕は全部やらないので全くイメージわきません。僕の感覚ではポカリスウェットを買うときに近い。喉を潤したい、でも水じゃ駄目で、お金を払って、あの青い綺麗なボトルからゴクゴク飲みたいわけです。)

だから、要は突き抜けるあの感じ、です。


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