絵を見よう その3

けっこう冷えますね。「筆致」の話です。

その1でご紹介したベラスケス、彼の絵は基本的にリアリズム絵画です。目の前の現実のものを描いている、具象絵画です。その2でご紹介した松本寛庸さんの絵は、合戦の絵ということですが、かなり抽象的でした。何を描いているかわからない、目の前のものを描いているわけではない、いわゆる抽象画です。まったく違う絵です。しかし、どちらも「絵」であることは同じです。どちらの絵も見た瞬間、「絵」だとわかりますよね。なぜならどんな絵も「筆致」によって出来上がっているからです。

どのような絵も、何の絵か?と問う前に人はそれが「絵」だと気付いています。これは大事なことです。

いわゆるトリックアートというものがあります。だまし絵です。実物や写真と見まがうような絵のことです。絵が絵だと気付かれない絵、そういうものは僕は絵とは呼びませんし、まったく興味がありません。ただ、いかにうまいだまし絵であっても絵であることは隠しきれません。たいていすぐにバレてしまいます。絵として壁にかけられてしまえば一瞬です。

すべての絵は絵である限り「筆致」です。そう言い切ってしまえばなんとなくつまらない感じがするでしょう。なんだ、ただの筆の跡か、ただの手癖か、と。そんなもの見る暇はない、と。

しかし、筆致が何か別のものに化ける瞬間がある。だまし絵的な意味ではなく、なにか「もの」の見た目ではなく、視覚ではなく、まったく別の「感覚」に化ける瞬間がある。

例えば絵を見て何か音楽的な感じがする、リズムがある。とか、寒い熱い甘い辛い、とか、遠い近い。湿っている乾いている、速い遅い。あるいは何か過去の記憶、思い出せないことを思い出したり。「ゆうぐれ」を感じたり。もっと、言葉ではかっちり表現できないような感覚も当然あります。心地いい、どう心地いいか?色々例えられます。プールで泳ぐ、とか、ゆっくり川沿いを歩く、とか、しかし例えを挙げていくとどれも絵とは全く関係ないわけです。逆に痛いと感じる、その痛さにも色々ある。絵を見てスカッとする、反対に、なんとなく居心地が悪い。例えば絵を見て色々そんな風に感じるということは、普通ではない。普通ではないけれども、確かに感じる。そういうことが起こるわけです。これは別に絵に限ったことではありませんが。例えば音楽や詩ではそういう現象が起こり得ることがわかりやすいかもしれません。

そんなこと有り得ない、それは感性の問題だ、人それぞれの感じ方の問題に過ぎない、と思われる方がいると思いますが、まさに、そうなのです。その語るに語れない、不安定な感覚を互いに確かめ合い、一瞬でも、たったいま、または未来に共有しようとするために、絵、美術というものはあるのです。いや美術という狭い言葉ではなく、もっと広い生き方としての大問題がある。僕はそう思います。

話が徐々に大げさになってきました。話を現実的に引き戻すと、好きな歌があるとします。なんでその歌が好きなのか、自分では感覚的にわかるんだけども言葉ではうまく言えない。口下手なのではなく、本当に言えない、言っても少しも伝わらない、けれどもこの歌の良さを誰かと共有したいと強く思うわけです。じゃあどうするか。感じてもらうしかない、その歌を友達に聴かせるわけです。すると彼もその歌を好きになってしまう。すると堪らなく嬉しいわけです。もっとその友達と仲良くなれるわけです。こういうことです。これがすべての基本です。

また話が逸れている。。「筆致」の話をしようとしていました。

サイ・トゥオンブリーの絵▶http://www.cytwombly.info/twombly_gallery.htm

ひたすら「筆致」の画家です。筆致でしかない、手癖、手の痕跡が様々な感覚を呼び起こし、繋ぎ合わせ、まったく別の所へと飛躍させます。瞬間的な詩、音楽です。

トゥオンブリーの絵は上手すぎる。最近はあんまり見なくなってしまいました。上手過ぎて、画集をまともに見れないです。あまりに良過ぎて語りたくもない。影響を受けすぎてしまう。綺麗な花を見たらそういう絵が描きたくなるでしょう?それは避けようにも避けられない影響です。ですので、皆さん詳しくは作品を自分の目で見てください。掲載元のリンク先でたくさん見られます。綺麗すぎる絵がいっぱい見られます。どこが綺麗なんだ?と思われたら、絵ではなく、花だと思ってみてください。青空の下、地面に生えている自然の花や草木そのものだと思って見てください。文字や図が描かれているものがありますが、それも花です。

ところで僕はこの日誌を誰に向けて書いているか、未だに定まっていません。が、父親に向けて書いているようなところがあるかもしれない。最近ふと思いました。実際父親に見てもらっているのですが。どういう気持ちで見ているかは謎ですが。。。。あとは、小学校の先生方とか、、校長先生だったり、、、、そういう方達に向けてお話しているようなところはあります。だから、トゥオンブリーの絵なんか、絵が好きな人間なら皆当たり前のように知っているわけでして、語ることも好きすぎてあんまりやりたくないのですが、僕にとってはすごく大事な画家なので敢えて紹介させてもらいました。

トゥオンブリーのすごいところは言葉を介さなくてもだいたい皆彼の絵の良さ、力がわかるというところです。なんだかまったくわからないけど、すごい、綺麗ね、素敵ね、力強いね、かわいいね、そういう作家なんです。ものすごく共感を呼んでしまう。特に女性はそういう見方が出来る方が多いのではないか?これはまったくの偏見ですが、男は逆に、こういうタイプの絵をどう見たらいいのかわからない、と言う人が多いような気がします。見方も何も、ただ見て、愛でたらいいだけなのですが。。花に見方なんかないでしょう。

「筆致」の話はまた次回に。おやすみなさい。。。。。。。

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