令和元年9月11日のこと。
9月9日未明、台風15号が千葉県に上陸。
わたしたちの住む千葉県八街市の、全世帯と言っていい約3万7千世帯が停電。
ほとんど復旧の見通しがないまま、暑くて苦しい生活は、3日目を迎えていた。
自家発電による送水により、上水道の配水地域は水の供給に困ることはなかったが、
地下水を電動ポンプで汲み上げ、生活用水として使用している地域の住民は、非常に困難な生活を強いられることとなった。
9月11日。
陸上自衛隊習志野駐屯地のみなさんが災害支援に駆けつけてくださり、この日の午後、9日の朝から継続して行われている市内の被災者への給水担当となったわたしは、台風の影響で休校になっている中学校で、隊員さんたちと一緒に支援活動をすることになった。
13:30。中学校に到着。
朝から給水を行なってくださっている隊員さんたちの動きはあまりにも機能的で、わたしたちがむやみに手出しをすると、かえって邪魔になるほどだった。
市役所職員は車の誘導や順番待ちの整理など、給水作業の補助に徹し、
わたしは、お水をもらいにくるひとたちに、とにかくひたすら話しかけた。
おうちはこのご近所ですか?
食事は召し上がれていますか?
クルマのガソリンを入れるのは大変でしょう?市内はどこも一律10リッター制限らしいですね?どこのスタンドで入れましたか?
体調は悪くないですか?夜は眠れますか?
こう暑くちゃ眠れませんよね。
ここはネットがあまりよく使えないですね?
ちょっと遠いですが、市役所へ行けばちゃんと繋がりますから、どうしても連絡がとりたいときは、車の事故に気をつけて市役所へお越しくださいね。
わたしの住む地域もまだ電気がつきません。信号もついていなくて、あちこち渋滞してますしね。
今夜もつかないかもしれません。もうそうしたらどうしよう…発狂するかもしれませんよね…。
19:00。この日の給水活動終了。
整列し、団長さんが伝達事項を告げ、帰路の確認をしている。
わたしたち職員からお礼と感謝の言葉をお伝えし、それぞれの車輌に隊員さんが乗り込んだ直後、予想した通り、1台の車が入ってきた。
「まだお水って、いただけますか!?」
わたしたち市役所側にも給水車はあったのだが、帰路につこうとしていた隊員さんが、車が入ってきたことに気づき、すぐさまトラックから降りると、
「こっちすぐ水出せます! たくさん積んでますから、いくらでもどうぞ!」
と声をかけ、手早く提供してくれた。
隊員さんたちは、みんな笑顔だった。
給水活動は、朝8時すぎの開始から、夜7時まで。
道路は信号が機能していない場所もまだ多く、習志野から八街まで、おそらく1時間では来られなかったはずだ。
隊員さんたち、朝は何時に起きたのだろう。
日中の最高気温は32度。
台風一過の猛暑の中、一日じゅう給水活動をしてくださり、毎日訓練を重ねているとは言え、さすがに疲れも出てきているはず。
急に暗くなった空には雷が光り、18時には雨も降り始めた。
それなのに、笑顔だった。
18時を過ぎた頃、
「職員さんのお食事があるのですが、召し上がりませんか?」
「冷たい飲みものもあります!ぜひ召しあがってください」
と、一人の隊員さんが声をかけてくださった。
いやいやいやいやそんな!
こちらはすっかり頼ってしまっているのに、お食事までいただくなんて申し訳ない!
わたしたちは、ご厚意を丁重にお断りしようとしたのだけど、どうぞどうぞ、おなかがすいているでしょう、裏に用意してありますので、と、やや強引に案内してくださった。
用意してくれてあったのは、カレーライスだった。
ごはんの上に刻んだキャベツ。福神漬けもちゃんと付けてあって、お弁当用のマヨネーズが端に添えてある。
ごはんとカレーは別々の容器に入っている。
そして、温かい。
あたりはすっかり真っ暗。
案内してくれた隊員さんは、ヘッドライトの灯りでわたしたちの手元を照らしてくれている。
「マヨネーズかけるとおいしいですから、かけて召し上がってくださいね(笑顔)」
はーい。ぜんぶかけた。
ぜんぶかけたら多いかも?と思いつつ、ぜんぶかけた。
もともと隊員さんが食べることを想定しているから、ごはんの量もたっぷりだし、じゃがいもだってめちゃめちゃ大きいし、一食でもじゅうぶん高カロリーだ。
なんておいしいんだろう…
こんなにおいしいカレーライスを、わたしはいままで食べたことがあったかしら。
ぜんぶたべた。
「ちょっと多いですかね、だいじょうぶですか?」
隊員さんはそう心配してくれたが、ノープロブレム、
完食して、たしかにちょっとおなかは苦しかったけど、その日の食事は6枚切りの食パン一枚だったし、マヨネーズとカレーのカロリーコンボは意外なほどマッチしていたし、そもそもわたしは大食いだし、
わたしの最後の晩餐はできることならカレーライスだったら、ほんとにまじ最高なのだ。
わたしはこれから先、あの青いフタの容器を見るたびに、このときのカレーライスの味を思い出すだろう。
日中、市役所のおばさんは、若い隊員さんに、ひとつ質問をしてみた。
「東日本大震災のときは、もう隊員さんになられていたのですか?」
「いえ。あのときは、まだ学生でした。
あのときの活動をテレビを見て、自衛隊、カッコいいじゃんと思って、自分も自衛隊員になろうと決めました」
と、答えてくれた。
救ってくれる。助けてくれる。
手を貸してくれる。
それが、自衛隊だ。
素晴らしいよ。感謝。
出てくる言葉は「感謝」しかない。
「はい撮りまーーーす!」
なんだなんだと、声のする方へ目をやると、隊員さんが全員整列し、写真撮影をしている。
ああ、救助活動の先々での活動記録なのかな?と思ったそのとき、
「どうもありがとうございますーーーーっ!!」
と、女性の声が響いた。
ん?????
「自衛隊のみなさんとこうして会えるなんて、なかなかないことなので! 記念撮影をお願いしたんですー!」
しんどい生活を強いられているのに、明るい女性だ。
いいね、そういうの、すごくいいと思うよ。
そして隊員さんたちの、なんというサービス精神!
20人ぐらいいた隊員さん全員がひな壇状に並び、お水をもらいに来た市民の方と、記念写真を撮っていたのだ。
市役所の職員では、着ぐるみでも着ていないかぎり、こんなことはまずありえない。
救ってくれて、助けてくれて、手を貸してくれるだけでなく、
隊員さんたちは、被災した人たちに笑顔をくれた。
水を持って帰るとき、人々はみんな笑顔で、
そして、それを見たわたしたちも、笑顔だった。
最後の給水の方が帰宅し、自衛隊のトラックが中学校の門を出る。
わたしたち市役所職員4人は、
「ありがとうごさいました!お気をつけて!!」
と、一台一台のトラックに、深々と頭を下げて見送り、
5台のトラックに分乗した自衛隊さんは、わたしたちに手を振りながら、街灯のついていない真っ暗な道を、習志野へと帰って行った。
ただただ涙が出て、とまらなかった。
いったいなんの涙なのか、わからなかった。
わたしも、ひとりの被災者だったのだ。
陸上自衛隊習志野駐屯地 空挺団のみなさん。
わたしはこの日の、みなさんへの感謝の気持ちを、
一生忘れません。
一緒に仕事ができてよかった。
ほんとうに、ありがとうございました。
その日、くたくたになって帰宅すると、明るくて涼しい部屋が、わたしを迎えてくれたのだった。
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