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私の生まれもった 共感覚 について

私は今東京藝術大学 絵画科 油画専攻を卒業して早2年ちょっと まだまだ作品だけでご飯を食べていくのは難しいですが 少しづつ活動をしています

ここ数年、私の作品の主なテーマは"共感覚"です

"共感覚"ってなに?

という方も沢山いらっしゃると思うので簡単にではありますが 、ちょこっと難しいのでウィキペディア先生の言葉を拝借しながらご説明させていただきます。

共感覚( Synesthesia )

とある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人に見られる特殊知覚現象をいう。/ウィキペディア参照

たまに聞いたことありませんか? 文字に色が付いている とか、数字に形がある とか、この類が共感覚とされています。

生まれつき共感覚を持っている人もいれば突然目覚める人(目覚めるというか気がつく?というのに近い気がします) 逆にもともと感じていたが 無くなった人 様々な方がいらっしゃいます。それに実は自分自身が共感覚を持っていると気がついてない人も…

そんな沢山の種類がある共感覚ですが、私の共感覚は…

生まれつき 全ての匂い香りに 色、形、動きが見える

というものです。

例えばこの作品は 「ミルクティー」といって タイトルの通り ミルクティーを飲んだときに見えた(感じた)とても美しい香りの色と形と動きを自分の頭の中でカメラのシャッターを切るように覚えておいてそれを油画で表現しています

(ちなみに!共感覚は人によって見え方、感じ方は様々です、あくまでも私の共感覚は香りや匂いに特化していて空気中を漂うように見えていますが、私と同じ匂いの共感覚の人がいたからといってその人も私と同じような見え方とは限りません)

で、思い返すと物心ついたときには私の視界は 他の人とは違うものを感じていたんだと思います

一番はじめに共感覚を感じ、意識したのは何歳だったか詳しくは覚えていませんが 多分幼稚園に入る前の記憶な筈なので3〜4歳頃な気がします

はたして一体何の原因で 気がついた、というか、意識したのかというと …

母親と会話が一切噛み合っていないという事でした

3〜4歳ながら 母親との会話の噛み合わなさに気がついた私は、 私が見えている世界と、母親の見えている世界は もしや 違うのでは?と感じた事が原因でした。

それ以降私は幼いなりになるべく人に合わせるように会話をするようにしていきました

それでもやはり 自分自身が見ている世界と 他の人が見ている世界が違いすぎるせいで コミニュケーションが取りづらかったり、私の共感覚は匂いなので 人が沢山いたり 強烈な臭いなどがあると とても疲れてしまうなど 結構不便で嫌な事も沢山ありました(今でも結構疲れます…)

ですが 今では 共感覚のお陰で作品が作れるし それを好きとおっしゃってくださる方も沢山出来てきて 少しづつ 自身の共感覚を好きになってきています

しかしこうして私が共感覚を受け入れ、他の人に伝えるようになるまでにはとても長い期間が必要でした。

私が共感覚を受け入れ人にはじめて打ち明けたのは藝大に入学したとき、19歳の頃でした

それまでの19年間は両親、親戚、友人、恋人、自分自身以外の人には一切打ち明けていませんでした。

何故そんな長い間両親にすら話さなかったのか…

簡単にいうと 当時(大学入る前)私の周りの方々は、両親を含め、 共感覚 という未知なるものを認識し 受け入れる人達が居なかったからです。

子供の頃何度か 両親に 私が見えている視界の話を恐る恐るフワッと伝えた事がありましたが、全くの無関心 意味分からん バカ言ってんなぁー子供だからねーかわいーねー くらいにしか受け取ってもらえず、当時の友人も同じような感じで、寧ろ気持ち悪い奴というカテゴライズをされ遠ざけられたり…子供の頃の私はそれがとてもショックで、以降共感覚について話す事は一切ありませんでした。

しかし藝大を目指しはじめ、そして受かった私は 「この美術という世界は、自らの内側のものを出し、表現する事が許される世界なのだから 私の感じてきた物事もやっと出しても良いんだ!」と感じ、そこから少しづつ表現をする事が出来はじめ そして 今やっと 少しづつ 自身の共感覚を好きになり 感謝するようになりました。

共感覚について今後も少しづつnoteに書いていきたいと思っています、ですが今日のところは長くなってきたのでここまでにします。

次は私がどのような感じで香りを見えている(感じている)のかなどを書いてみようかなと思います

もし共感覚に関する質問などがありましたら、私に答えられる範囲ではありますが お答えできればと思います











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