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原料のこと

いま、陶芸の原料がやばい。

やばいというのは、良い意味のやばいではなく、悪い意味でのやばいだ。

この数年で、釉薬の主原料がいくつか市場から消えた。掘り尽くしてなくなったり、閉山したり、理由はいろいろとあるのだろうが、ぼくらつくり手目線で言うと、ある日突然、原料が手に入らなくなるのだ。

大きい窯元さんや陶器メーカーなどには、結構早い段階で、

「あの原料なくなるみたいよ」

という情報がいくのかもしれないが、僕のような小さなところには、

「なくなりました」

という事後報告のようなかたちで伝わることがほとんどだ。

釉薬の原料にも色々あるのだが、主原料としてつかっているような原料がなくなるとほんとにやばい。

注文がきてるのに、今まで出せていた色がだせなくなる。しかも、ある日突然に。

ぼくは、釉薬の種類をある程度たくさん持っている方だと思う。なので、最悪1種類釉薬が使えなくなっても他でカバーはしやすい。(めちゃくちゃダメージあるけど)

だが、釉薬の種類を絞っている人が、その主原料がなくなるとなるとかなり大変だと思う。

そして、これは今後もどんどん起こっていくはずだ。今の陶芸家は、原料がなくなるというリスクと向き合いながら、それに対してリスクヘッジしながらつくり続ける必要がある。

そして、釉薬の原料と同様、土も枯渇問題が深刻だ。

原料屋さんに聞いたところ、まだまだ土は残っているのに、採算が合わないという理由で採掘場を閉山することもあるらしい。

陶芸をしている人間からすると、もったいない。。なんで?ということなのだが、理由はシンプルで要するに儲からない(維持できない)からだ。

この話を聞いたときに、いろいろと考えさせられた。

もともと、土の値段はかなり安い。

トキノハで一番よくつかっている白土は、10Kgでだいたい700円くらい。

ちなみに10Kgだとカップなら大きさにもよるが30〜50個くらいはつくれる。つまりカップの原価は30円もしない。もちろん種類によって差はあるが基本的に陶芸の土代はめちゃくちゃ安い。この辺の話もまた掘り下げます。とりあえず今はさっといきますね。

末端価格でこれなので、おそらく採掘現場での土の価格は恐ろしく安いはずだ。要するに、採掘現場では、大量に土を売らないと成り立たない価格設定になっている。

ということはどういうことかというと、ぼくのような小さなところがどれだけ頑張って買っても、採掘現場を維持できるほどの量にはならない。いくつかまとまってもたかが知れている。

つまり乱暴にいうと、土の採掘現場は大量生産する窯元やメーカーによって成り立っている。

かなり乱暴にいうとですよ。

でもこの話を知ったときに、ちょっと衝撃を受けた。

それまで、大量生産する窯元やメーカーに対してなんとなく良くないイメージを持っていた。

大量生産=良くない

という超シンプルな思考回路だ。

だが、実際は、ぼくたちの土を掘っている現場は、土を大量に買ってくれているメーカーなしでは維持できないのだ。仮に維持できたとしても今のような安い価格では無理だ。

自分の知らないところで大きなメーカーに恩恵を受けていた。

視野が狭いと、こういう視点を見落としてしまう。

あらゆる分野でこういったことはあると思う。

ちょっと別の話だが、小さな規模で丁寧にものづくりをしていると、なんとなく大規模なところに対して敵対視をしてしまう人はぼくも含めて多い気がする。

ただ、「善」「悪」というのはそんな表面的なことだけでなく、いろんな要素が複雑に絡み合っている。わかりやすい構図、自分が有利になるストーリーでものごとを語るのは危険だ。

陶芸という世界も、なんとなく自然に優しいナチュラルな世界というイメージを持っている人が多い気がする。

でも、陶芸の世界を極端に穿った見方をすると、山を削って自然を破壊し、陶器という名の産業廃棄物を生み出している仕事だという見え方もある。(陶器は処分する際には産廃扱いなのです)

めちゃくちゃ極端な例だが、そんなことを考えると、作家が気に入らないから作品を叩き割るというメディアなどでプラスのイメージで語られることが多いシーンも、またちょっと違った見え方になるかもしれない。

どちらが正しいという話ではない。いろんな見え方があるという話だ。

原料の枯渇問題でそんなことを考えた。




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