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トキノハとかHOTOKIとか会社のこと

あけましておめでとうございます。

2019年がはじまってもう4日目です。早いですね。

ぼくは明日から本格的に仕事はじめをするにあたって、今日から一人仕事場に入りアイドリングの真っ最中です。

年末年始は久しぶりにこれでもかというくらいぐーたらと過ごさせてもらいました。明日から全開でスタートするためにもnoteを書いて頭をまた仕事モードに切り替えたいと思いつつ書いてます。

さっそくですが、今年2019年は新たな挑戦をします。

トキノハ、HOTOKIに続く、3つめのブランドの立ち上げです。

そのことも書きたいのですが、それを書くにあたって、うちのことを知らない人にもざっとうちの歴史を知ってもらいたいので、ダラダラと長いですがぼくの年始のリハビリだと思ってお付き合いください。

1.トキノハ陶房からトキノハ

トキノハは、生活に寄り添う器をコンセプトにしたブランドです。いわゆる日常づかいの器をつくっている器のメーカーみたいなものです。

2009年に京都の北山大宮という借家の6畳間で奥さんとひっそりと始めたトキノハ陶房というのが原点で、2011年に現在の清水焼団地に移ってきたときに、陶房という字を取って「トキノハ」という今の名前になりました。

トキノハという名前は、北山大宮の住所が紫竹西桃ノ本町というところで、住所の中に「紫」と「桃」という色を表す漢字が2つも入っていたので、そこから紫と桃で色々と調べていると、紫がかった桃色というまさにぴったりの色で、トキ色というのを見つけました。

トキ色は、鳥のトキの羽の内側の色です。真っ白な印象が強いトキですが、羽の内側だけは綺麗な色になっています。

トキ色は別名でトキノハ色という言い方もするというのを知り、響きがとても気持ちよかったので、即決で「トキノハ陶房」と名付けました。

とき=時代ということで時代の羽に乗る、というのも若干かけていますがそれは完全に後付けです。

その後、2011年に清水焼団地に移り、先ほども書いたように陶房という字を外し、「トキノハ」という今の名前にしてショップをつくり、再スタートしました。

生活に寄り添う器をコンセプトに・・・

みたいなことを偉そうに書いていましたが、当初はそんなコンセプトなどもほとんどなく、ぼくも奥さんも作家活動のほうに重点を置いていました。

お店にもそれぞれの作家としての器をメインに、少しトキノハブランドの器を並べる、という感じでした。

お店をして一番新鮮だったのは、ぼくたちのことを一切知らない人と日々接するということです。

個展などでは、友人や知人、自分の器に興味を持って見に来てくれる方と接することが多いのですが、店をやっているといろんな人がきます。

もちろん、いいね!と興味をもってくれる方もいますが、当初、多くの方は全く興味を示さずに何も手に取らずに帰っていきました。

はっきりと「良くない」「嫌い」「下手くそ」「ダサい」などと言われることは、その瞬間は傷つきますし、むかついたりもするでしょうが、つくり手にとってはそれを言ってもらえるのは財産です。

なにくそ!という気持ちはいいものをつくる原動力の一つなので。

ただ、「無関心」はただただ傷つきます。その瞬間はわからないのですが、ボディブローのように知らない間に蓄積していて、あるとき膝から崩れ落ちる感じです。

トキノハもオープンしてからしばらくはそんな無関心の人がとても多かったです。

でもその時期に色々なことを考えて、自分がつくりたいものという考え方から、人が欲しいものとは?という考え方に徐々に変わっていったのは、この時期があったからだと思っています。

それと、仕事ってなんだ?

というのを考えだしたのもこの頃だった気がします。

仕事っていうのは、社会(誰か)に対して役に立つことをして、その対価でお金をもらうことです。

じゃあ自分のつくりたいものをつくることって、社会にとってなにを貢献してるんだ?

自分がつくりたいものをつくるという行為は仕事なのか?

お金を稼ぎたいなら、社会のためになるものづくりをすればいいんじゃないか?

でも社会のためになるものづくりってなんだ?

そんなことを考え始めた時期でした。

自分のしたいこと、表現したいことを突き詰めていくことは、世間的にかなり美しいストーリーで語られています。ただ、世間で語られているほとんどの事例は、うまくいっている成功者の事例だけです。

その陰で、自分の表現を突き詰めていった結果、「食えない」という現実に直面して挫折していったつくり手をぼくは何人も見てきました。

その「食えない」も含めて自分自身が受け入れていれば、それは本人のことなのでぜんぜんオッケーだと思いますが、多くの美大や芸大などでは「食えない」現実については「あえて」多くを語っていない気がします。

仕事=お金を得ること=誰かのためになること

せめてこのことだけでも知っていると、ものを売るということもまた違った見え方になる気がします。

さて、思いっきり脱線しましたが、本線に戻すと、お客様に色々と言われたり無視されたりという貴重な経験を経て、そして仕事とは、ということも合わせて考えるようになり、トキノハは少しずつ今のカタチ、つまり「生活に寄り添う器をつくるブランド」になっていきます。

そんな風にトキノハがほぼ今のカタチになってきた2015年に、日常づかいのトキノハの器を体験してもらえる場所をつくりたい。という思いを実現させた場所ができました。

それがHOTOKIです。

2.HOTOKI

HOTOKIには3つの機能があります。

1つはカフェ。カフェではトキノハの器を実際に体験することができます。

2つ目は、陶芸体験。器がどのようにできるのかを気軽に体験してもらえます。

そして最後がトキノハの器を実際に購入できるショップとしての機能です。

この「カフェ」「陶芸体験」「ショップ」という3つは互いに混ざり合う関係性になっていて、カフェから陶芸体験や工房を眺められたり、カフェで使うカップはショップの中から好きなものを選んで使えたりします。

トキノハがメーカーであるのに対して、HOTOKIはそれを体験できる場所です。

そんなHOTOKIも、今でこそしっかりした状態になっていますが、オープンからしばらくは思いっきり無計画な状態でした。

ぼくの実家を改装してつくったのですが、カフェとショップを運営するのは母親。陶芸体験は父親。そこにぼくや奥さんがヘルプでかけつける。という状態でした。

そんな状況を見かねて手伝ってくれたのが、弟の洋二です。

オープン当初からサラリーマンをしながら週末に手伝ってくれるようになり、2016年の春頃からは正式に脱サラしてHOTOKIの運営をしてくれています。

洋二があれやこれややってくれたおかげで、HOTOKIはある程度知名度もついてきて、府外からもわざわざ訪れてくれる方も多く、週末などは結構賑わっている状態です。

色々とイベントもしていますが、大きなイベントとしては、年に2回、器のことをもっと好きになってもらう機会として、「utsuwaku」というイベントも開催しています。今年2019年は2月8日(金),9日(土)、10日(日)の3日間開催です。

3.会社を設立する

そんなトキノハとHOTOKIですが、無計画に色々とやり始めることで周りは大変なのですが、なんとか仕事が増えていくという状況にはなってきて、トキノハもぼくと奥さんの二人体制から、少しずつ手伝ってくれるスタッフが増えてきました。

はじめは弟子と従業員の間のようなカタチで給料もお小遣い程度しか渡せないような状況だったのですが、そこから少しずつですが渡せる給料も増えていきました。

そんな状況だったのですが、まだそのときはぼくが個人事業主でやっている状態でしたが、経理がかなりややこしかったので、2017年の4月に株式会社を設立することにしました。

Kiyo to-bo株式会社(キヨトウボウ)です。

キヨトウボウという名前は、両親がやっていた「きよ陶房」からとりました。(HOTOKIをつくる際に改名して無くしてしまったのでせめてもの償いです)

ということで、現在はKiyo to-bo株式会社の中にトキノハとHOTOKIという2つのブランドがあるという状況です。

そこに、今年新たにもう一つブランドを立ち上げます。詳細はまたじっくり書きますが、名前だけは先にお知らせしておきます。

新ブランドの名前は「素-siro」です。

では詳細は続報をお楽しみに。



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