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デミロマンティックは他人の恋愛をどう感じているのか?|デミロマンティックの私に見える世界

「◯◯ロス」という言葉がある。好きな芸能人の熱愛報道や結婚発表によって、悲しみを感じて落ち込んでしまう状態のことだ。真のファンであれば祝福すべきでは?という声もある一方で、推しがいる人にとっては、共感しやすい心境なのではないかと思う。

友達が結婚した。おめでたいことだけど、同時に焦りを感じた。自分には結婚の予定がないし、いい出会いもない。もう周りの人たちが結婚するような年齢になったのに、売れ残ってしまうかもしれない。そんな風に感じたことのある人は、少なくないんじゃないかなと思う。

とある40過ぎの人気芸人さんが結婚した。結婚しそうなイメージが全くなかったから、世間では大きな話題を呼んだ。私自身、その芸人さんのことは面白いと思っていて好感度も高かったけど、意識的に出演番組を観ようとチェックしたこともなければ、SNSもフォローしていなかった。それなのに、自分でも驚くほどにショックを受けていた。

SNSではなんとなく繋がっていたけど、卒業以来もう関わりのない同級生がいつの間にか結婚していた。相手は私の知らない人だし、私の人生にはもう全く関係がない。それにもかかわらず、なぜだか喪失感をおぼえた。身近な友達であれば少し寂しさを感じるのはわかるけど、これはやはり焦りの感情なのだろうか。時の流れの早さを思い知らされたからだろうか。

専業主夫のコラムがSNS上で話題になっていた。男性の育休は取得しづらいし、幼稚園のお迎えに行っても珍しがられる。お母さんはどうしたの?とか、あなたは働かなくていいの?とか聞かれたこともあったという。そんな風に偏見の目を持たれても折れずに、夫婦の仲は良好で幸せそうで、こんな関係はとても素敵だなと思った。

レズビアンカップルのインタビュー動画を見た。男女カップルと何ら差なんてないのに、自分たちには結婚する権利が認められていないことが悲しいと話していた。日本は一刻も早く同性婚を認めるべきだ。会ったこともない赤の他人だけど、二人には幸せになってほしいと心から願った。

基本的に私は恋愛の話が苦手である。こんなことを言うと冷たい人だと思われるかもしれないが、人が結婚したとか恋人ができたとか聞いても手放しで喜べない。頭ではおめでたいことだとは理解していても、それはそういうものなのだと知っているからであって、心の底から祝福の感情を抱いているかと言われると、正直自信が持てない。自分には恋人がいたことがないから理解できなかったり、嫉妬しているだけなのかなとも思ったが、上に書いたように、場合によってはとても応援したくなったり幸せを願えたりもする。

誰かの恋愛の話を聞くと、しかもそれが男女の恋愛で、それが王道の恋愛であればあるほど、「親も人間なんだな」みたいな気分になる。才能に富んだ雲の上の存在に感じられる芸能人でも、結局“普通”に結婚するんだという事実を知って、夢の中の世界に現実が侵食してくる。もちろん、自分の価値観を押し付けるべきではないというのは重々承知で、これは勝手に自分がショックを受けているだけの話だ。

どんな形の恋愛にも良いとか悪いとか優劣は絶対につけられる物ではないけど、いわゆるマイノリティーな恋愛をしている人は、当事者は特別視されることを望んでいないと思うけど、どうしてもかっこよく見えてしまう。マジョリティーの恋愛のシステムに乗っかれない自分を投影してしまう。

他人の恋愛にふれたときのモヤモヤは、きっと嫉妬なんかではない。マジョリティーな恋愛に疎外感を感じているからだと思う。男女が恋愛して結婚することが、今の世の中では絶対的に幸せで素晴らしいことかのように扱われている。私が一人で生きていて、どんなに充実した日々を過ごしていようが誰にも祝福されることはない。これは僻みではない。恋愛だけを、こんなにも人生の中で粒立てる必要はないんじゃないかと思うのである。

好きになる相手はもちろん、恋愛する・しないだって選択肢のひとつだ。恋愛が、もっと自由で、フラットに扱われるものになってほしい。

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恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。