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ギロチナイゼーション 1582 パート5

「首を刈られていたとおっしゃいましたな」金木犀の香る庭に面した座敷でのことであった。ぼそりと呟いたサント・ミゲルの顔を、今は亡き信長の茶頭、宗易が神妙な面持ちで窺っている。畳の上には湯気を立てる茶と、宗易が手土産に持込んだ茶菓子が置かれているが、二人とも手をつけずにいた。

「ええ。何かご存知でないかと思いまして」宗易はいま一度質問を繰り返した。目前のサント・ミゲルは座敷に居れど、その服装はシャツにキュロット姿。幻視の中で見た男の姿によく似ていた。その男は遠い異国の地で獄に繋がれ、無力感に苛まれながら日々を送り、そして最後には落とし戸の先に刃のついた奇妙な装置でもって斬首された。宗易には未だその意味するところがわからずにいる。

承前

「断頭装置のことですが」やがてサント・ミゲルが口を開いた。「私には目にしたことも聞いたこともありません。私が後にして来た国では処刑というものはとても」そこで老人は視線を落とし、湯気を立てる茶をじっと見つめた。宗易にはそれが何かを恥じているように見えた。「とても、残酷なものでした。多くを語るつもりはありませんが」

「ですから、申し訳ないが、この件で私は役に立てそうもありません」この碵学であっても何一つ手がかりを持たないとは。サント・ミゲルの言葉に宗易は肩を落とした。「そうですか」「ただ、お話を聞く限り、貴方自身の手で悪霊の根を絶つことならできるかもしれません」サント・ミゲルは穏やかな笑みとともに言った。そして宗易の煎れた茶を取り、口に運んだ。

「貴方は茶を飲み、異国の男の一生を見た、と仰いましたね」「ええ」宗易はなかば当惑ぎみに答えた。確信を持って言いづらいことではあった。あの幻視は言わば偶然の産物であり、彼にしてみれば原理も結果得られたものも定かでないからだ。「どうです。それは奇跡と呼ぶにあたいする出来事ではありませんでしたか。それは」その時宗易は初めて目前の老人の薄く伸びた瞼の裏に潜む、熱っぽい瞳に気がついた。「神の導きとは言えませんか」

「仰ることがよくわかりませんが」「いいですか、宗易どの。私たちの教えに時を越えるものがあります。一つには天使や聖人の加護。もう一つは世の中が移り変わろうとする前に起こる、先触れです。前者について言えば、聖人の加護はその人物が死んだ後も、時代や場所を問わず現れています。聖性は時を越えるのです。だとすれば貴方が時を越えたこともまた、そうした奇跡の一つではありますまいか」

 宗易は目をしばたかせた。彼にとって思ってもみない言葉である。疑わしくもある。だが一方で、一連の出来事を奇妙に説明づけているように思えはしまいか。聖人が死して時を越えるというのなら、彼が茶器を回すしぐさはまるで――茶を覗き混むように体を傾けつつ、一つ一つの動作に細心の注意を払いながら手首を回すそれは――武士が腹を切るのに瓜二つではないか。

「教えていただきたい」宗易はこの聖者の知恵に感服し、深々と頭を下げた。「だとすれば、私はどうするべきでしょう」「務めを果たすことです」サント・ミゲルは宗易を勇気づけるかのように言った。「迷える魂を導きなさい。もう一度その男の元に行き、道を説くのです。人を殺めずに済むように」サント・ミゲルは話しながら徐々に自分自身確信を深めていくようであった。宗易は怯んだ。道を説けと言うのか。主君の首を刎ねた相手に。

「説得に成功した場合上様はどうなりますかな」宗易は老人を真っ直ぐに見据えて言った。この話は只では受けられぬ。「帰られるでしょうな……首だけは確かに。上様は本能寺で明智に攻め立てられ、心おきなく腹を切られることでしょう」サント・ミゲルはうっそりと答えた。そのとき彼は確かに、この国の武士の生き様というものを理解していた。「では、もし説得に失敗したら。私はどうすれば良いでしょうか」サント・ミゲルは怪訝そうに片眉を釣り上げる。「そのときは――」

「ありがとうございました」庵の前の宗易はサント・ミゲルに改めて礼を述べた。二人の周囲では肌を刺すような冷たい風に、立ち枯れのススキが揺れている。わびしい秋の夕暮れ時であった。庵は街の外れにあり、日暮れ前でも人通りが少ない。この日に至るまで宗易は憎悪を圧し殺し、よくギヨタンの説得に勤めた。戦の世に生きる宗易にしてみれば降伏を促そうとする相手に、尊厳を保ったまま腹を切るよう促すのは当然のことである。そして試みは失敗に終わった。「私はこれより物の怪を討ちに山崎へと向かいます」

「礼には及びません。私は何もしていませんよ」サント・ミゲルは相変わらず笑みを浮かべたままだ。宗易はもはやその思惑を探ろうとは思わない。どういう腹にしろ自分の助けになろうとしたことには変わりがないのだから。彼はこれより堺の街を離れ、馬で山崎へと向かう。折しもそこでは遠征先の中国より取って返した羽柴秀吉が光秀と合間見え、天下分け目の決戦の最中である。「僅かばかりの光秀の手勢に対して、秀吉殿の軍勢は膨大なものと聞き及びます。光秀の負けはもはや決まりました。覆りません」宗易は予想される事態を感情を込めず訥々と述べた。

 こうした戦況を彼に伝えたのは、またも信忠の臣下の鎌田新介である。彼は自身も山崎へ打って出て死ぬつもりだと言い、昨晩宗易の元を発った。仕えるべき主君を失った武士の哀れというものであろう。そしてそれは宗易にしてみても同じことだ。「だからこそ行かねば。戦に乗じて今度は光秀の首が物の怪に討たれるようなことがあれば、私は上様に合わせる顔がない」

「したいようになさるとよろしい。もはや私は貴方に指図しようとは思いません。いや、それどころか」サント・ミゲルは宗易に向けて手を差し伸べた。宗易が差し出されれた手を取ると、朽ちかけた老人の手がその手をぎゅっと握った。温かい手だった。「悪霊を打ち倒したそのときには、貴方は私などよりも遥かに偉大な聖人として、歴史に名を遺すでしょう」「聖人……ですか。このわたしが」まさしく。サント・ミゲルはそう言って頷いた。人身を脅かす悪魔に打ち勝ち、見事その首を刎ねた暁には。彼の名は世に轟き、永久に人々の記憶に留まるであろう。「……そのとき貴方は、晴れてSaint-Licor(聖なる霊酒)の名を授かるのですよ」

――

 京は地獄さながらであった。秀吉軍と光秀軍は鎌田新介の予想した通りに山崎の地で戦となり、光秀軍は兵力の差を覆すことができずに敗走した。争いがあったのは、実際のところたった2日に過ぎない。前日のうちに陣を張ってにらみ合った両勢であるが、翌日の日暮れ時にはもう勝敗は決していた。

 戦が終わった後の京では、軒先や門の下など、至る所に鎧を着込んだ死骸が下がり、月の光を浴びて恨み深げにゆらゆらと揺れていた。それらはどれも光秀軍の武将達の遺体である。彼らは秀吉の命で、死して尚謀反人として街頭に晒されているのだった。両脇を死骸が守る街道を歩む者は誰一人としていない。ただ死肉の臭いに釣られてきた鴉だけが、闇の中で時おり翼をはためかせていた。

 さて、実を言えばそれらの死体にはみな首がない。これはとても奇妙なことだった。彼らは謀反人として晒し者にされているはずなのに、首がないのでは誰が誰やらわからぬ。何より戦の中で首級は武士の功労の証拠である。自分の働きを証明するために敵将の首を持ち帰るのはこの時代の習いのはずだが、ここにあるのは首から下ばかりだった。

「またか」秀吉方のとある武士はボリボリと頭を掻いた。彼がいるのは戦場からほど近い枯れ野である。そばには秀吉軍の建てた粗末な陣があり、そこからぼんやりと行燈の灯りが漏れている。今彼の目前には首のない死骸が丸太か何かのように無造作に投げ出されていた。また遺体を挟んだ向かいには、粗野な服を着た男たちが三人ばかり、所在なさげに立ち尽くしている。恐らくは近くの集落に住む百姓たちであろうが、武士はその詳しい素性を知らない。

「首はどうした。落ち武者狩りなら首を持て」武士の口調にはうんざりとした様子がありありと表れている。百姓たちは顔を見合わせた。返事に窮しているらしかった。「……失くしました。ぶったぎった後に」百姓の一人が話した。「いや、ありえん。あんた方が飯のタネになる首を失くすわけがないだろう」武士はぴしゃりと言った。しゃがみ込み、わずかな星明りの元で死骸を検分する。「切り口も偉く綺麗だ。百姓の仕業じゃないな。誰がやった」

 武士の問いも最もだが、百姓たちは「自分らでやった」の一点張りだった。駄賃がもらえなくなるのを危惧しているらしい。彼らにしてみれば当然のことだ。ここで金子がもらえないのなら、わざわざ死体を差し出す必要はない。鎧を剥いで売り払っていた方がずっと儲けになるからだ。「……いい加減誰かに真相を話してもらわねば困るのだ」武士はひとりごちた。似たような死体はこれでもういくつになるかわからない。

「あの」埒が明かないのを見て取った百姓の一人が前に進み出た。「この侍を倒したのは確かに我々百姓です。それとは別に……お侍様にお伝えしたいことがあります」「別とは」武士は何とはなしに話の流れが変わったのを見て取った。話し出した百姓とは別の二人は、何やらそわそわと落ち着きがない。「きっとお役に立つ話ですから……それを聞いて、この死体を我々の手柄ということにしてもらえないでしょうか」

「申して見よ」虫の良い言い分である。武士は憮然として言った。「村のそばで光秀を見たという者がいます。何でも山に一人でいたとか。村人が総出で山狩りを行っているところです」「その村というのは」「ですからそれは褒美をいただかないことには……」武士は歯噛みした。近頃の百姓は落ち武者狩りもすれば悪知恵も働く。あるいはこれも根も葉もないハッタリかも知れない。だがもしここでみすみす光秀を逃して、それがまた首のない死体となって届けられようものなら。

 短い逡巡ののち、武士は陣営に向けて大声で呼ばわった。今この瞬間、動ける者は皆陣を出よ。これより山中の光秀の追撃に向かう。このことを陣の中の茶頭・宗易殿にもお伝えせよ。もはや待ったなしであると。

続く

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