ギロチナイゼーション 1582 パート1

 焼け落ちんとする本能寺は炎の中で光り輝いていた。

 信長はじっと畳の上に座するがまま。目前には一本の小刀が横たえられている。手勢が謀反人の軍勢に勝てぬと見るや殿中に引き返し、ここを終焉の地と決めた。その戦の音も今は遠い。彼の耳に届いてくるのは周囲を焼き焦がす火の音と、今にも押しつぶされようとする梁の軋む音だけだ。

 彼が割腹した後は、燃え盛る火が介錯人の代わりとなろう。言うなれば自らの野望に身を焼かれて死ぬことになるのだ。それも悪くない。信長の頭に浮かぶのは臣下である宗易の姿である。狭い部屋で二人して茶を囲んだ記憶の中の風景と、後に利休と呼ばれる茶人の落ち着きある佇まいが、今この時に至っても彼の心を鎮めるのだ。――あの日は確かそう、障子戸から茶碗に向けて、白々とした秋の日差しが射していた。信長は茶碗を手に取るがごとく、悠然と小刀に手を伸ばす。

 ふと、彼の前に人影が射した。炎によって細く長く引き伸ばされた、大柄な男の影。「宗易か」信長は咄嗟に顔を上げた。が、すぐに自分が浅はかであると気づいた。「私は宗易ではない」目前の男は丈の長いコートにシャツ姿、下はキュロットを履いていた。信長は動じない。彼はそれが南蛮人の服装だと知っていたし、本能寺のそばには南蛮人の崇めるデウスを祀る教会もあったからだ。だが、男が頭に被った武骨な鉄の仮面はどうか? 目出し穴の奥からじっと自分を見据えてくる虚ろな瞳は? 「私はギロチン」男は言った。「ハラキリはよすがいい」

 しばし呆気にとられていた信長だったが、やがて思い直し、改めて小刀を手に取った。さてはこの南蛮人も謀反人の一味か。業火の中をここまで――天にはどこまでも嫌われたものだ。彼は苦笑する。「あいわかった。しかし腹は切らせてもらおう」「ダメだ」ギロチンは上から信長の肩を掴んで押し留めた。

「案ずるな」そのまま顔を近づけて告げる。厳かな口調、よく見れば全身に飛んだ血のしみ。信長は狂気の匂いにたじろいだ。「離せ」その手を振りほどこうとするが、できない。凄まじいまでの力だった。「苦痛のないよう首を刎ねてやる」ギロチンは続けた。その背後で轟音とともに梁が落ちる。寺社全体が今しも崩れようとしていた。だが同時に男の背後では焼け落ちた木材や倒れたふすまが折り重なり、やぐらに似た奇妙な建造物を形成し始めていた。二本の柱を赤々と燃え上がらせるそれは、超自然の力によって火に撒かれながら絶えず崩壊と修復を繰り返している。

「来たまえ」ギロチンは信長の腕をとった。すると激しい抵抗にあったので、そのまま背中側に捩じ上げた。信長は喚いた。許しを乞うた。腹を切ろうとした。いずれも叶わなかった。ギロチンは火を噴く柱へと彼を引っ立てていく。「全ての罪人に……」首からかけたロザリオが、炎の照り返しを受けて鈍く光った。「……神の名と……」行く手には柱と柱の間に青い鬼火がわだかまり、薄く研ぎ澄まされた刃を鍛えている。今やそれは明確に大掛かりな断頭装置をかたどっていた。「……人権の名のもとに……」ギロチンは断頭装置の前まで来て立ち止まった。信長はその一瞬のうちに万の力を奮った。掴まれていない方の手に小刀を持ち替え、体を反転させ、ギロチンの肩に刃を突き立てた。決死の行動だった。

 束の間ギロチンは信長を見下ろした。信長は数々の屈辱に打ち震えていた。その形相は鬼のごとくであった。ギロチンは意に介することなく、信長の顔面を断頭台の柱に打ち付けた。そして呻き声をあげる信長を抱え上げると、無造作に装置の上に放り出した。「……ギロチンによる死を(guillotinized.)」断頭台の刃が落下し、速やかに大名の首を切断した。「アーメン」ギロチンが神妙に十字を切ると、後にはパチパチという火の爆ぜる音だけが残った。

――

 フランスの地を死神が歩いていた。民衆が商店や貴族の邸宅、果ては教会までもを襲い、略奪と殺戮を繰り返すのがこの頃の常であった。国外では臨時政権を守るための戦争が続いていたが、臨時政権というのは、とどのつまりは無法地帯のことに他ならなかった。

 ジョセフ・ギヨタン博士はそうした無法の犠牲者である。彼は王からの覚えめでたく、かつては議員を勤めた紳士であったが、今日ではいわれのない罪で監獄に閉じ込められている。髪は腰まで伸び、髭の伸び放題になった博士は、今この時祈るような面持ちで独房の中央に座していた。とある報せを待ちわびていたのである。調度のない殺風景な部屋の中で、首にかかったロザリオが格子窓から射し込む秋の日差しを受けてきらめいていた。

 監獄の廊下に革靴の足音が響いた。隣の房から圧し殺した悲鳴が上がる。処刑の執行を恐れているのだ。看守は隣の房の前を素通りし、ギヨタンの房の前に差し掛かると、握り拳の中から素早く何かを投げ入れた。それは軽く二、三度床を跳ねると、ギヨタンの膝にぶつかって床に落ちた。看守は房の前を歩み去って行った。

 ギヨタンは足元に転がった紙屑を拾い上げた。それは新聞の切れ端だった。彼は目を通し、くつくつと笑い始めた。「今度はなんだ」隣室の男が言った。「マリー・アントワネット妃が処刑された」ギヨタンは厳かに答えた。男の呻く声がした。「くそズボンども(サン・キュロット)め。どこまで王家が憎い」それは次第に呪いの言葉へと変わっていく。「案ずるな」ギヨタンの口調はあくまで穏やかである。「やったのはアンリ・サンソンだ」

「だからなんだ」男の怒りはやむことがない。「首を刎ねたんだろう。ギロチンで」男の言葉にギヨタンは眉を潜めた。時の王に処刑の際の断頭台の使用を進言したのは確かに彼であり、その設計にも多少たずさわりはした。だが断頭台に自分の名をつけて呼び出したのは、口さがない市井の人々である。むろん彼自身はそれを快く思っていないのだが、隣室の住人はそんなことを知る由もない。恐らくは隣にギヨタンがいることすら知らないはずだ。

「王妃は斬首の際に苦痛を感じず安らかに崩御されたはずだ」ギヨタンは憮然として言った。「それはそうだが」男は言葉を続けようとした。「そうだが」しかしじきに思い直してやめた。話しているうちに段々と怒りよりも失意の方が勝り始めたらしかった。「銃殺刑や剣による斬首とは違う」ギヨタンはロザリオを弄びながら一人話し続ける。「断頭台に失敗や躊躇はない。刑の執行は一瞬のこと、死に行く者の苦しみが無意味に長引くことはありえない。断頭台は神の御許への直行便なのだ」

「そうだな」男はぼんやりと返事をした。「俺たちもじきそうなる」ギヨタンは無視した。「……そう言えばこんな噂を聞いた」男は問わず語りに言う。「ギロチンで処刑された者には首を落とされた後も意識があると。鋭利な刃物で一撃で切り落とされるために、己の死にすら気がつかないのだそうだ。仮にそうだとすれば」「だとすればなんだ」「首を落とされた後の痛みは地獄だろうな」「ありえない。首を切られた時点で人は死ぬよ」ギヨタンは話を打ち切った。会話は終わった。

 ここに一つの部屋がある。床や壁には継ぎ目の一つたりとてなく、全面が白く光り輝いている。出入り口は一つだけ。それもごく小さいのが、部屋の壁の片隅に四角く口を開けている。調度の類は一切ない。昼も夜もなければ、部屋の外の世界も存在しない。部屋の中には折り畳んだ自分の足の上に座る男が一人だけ。繰り返すが他には何もない。

「ギヨタンよ」一人の男は囚人に向けて呼び掛けた。彼には顔がなかった。継ぎ目のない真っ白な皮膚で覆われた顔に、ぽっかりと開く口だけがあった。「なんだ」囚われの身のギヨタンは答えた。自分の話し相手がどこの誰かなど知るはずもない。何となれば隣の囚人が懲りずにまた話かけてきたのだと思った。「お前は真の悪魔だ。お前の手は血にまみれている」ギヨタンは心底うんざりだという風にかぶりを振った。丸めた新聞を隅の方へと放り投げ、牢獄の床に寝転がった。「何とでも言え」

続く

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桜区一家無惨帳

一体何をどうしようというのか。
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