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記号と具体と抽象の話

7月の頭に家族でクレマチスの丘にある、ヴァンジ彫刻庭園美術館に遊びに行きました。そこでは、庭園にある花をスケッチしようというアクティビティがあって、うちの5歳児と4歳児(保育園の年長さんと年中さんの年、2人とも早生まれ)も楽しそうにお絵描きしていました。

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それで、出来上がってきた絵をみて、その違いがとても面白かったです。
まず、こちらが5歳児(お兄ちゃん)が描いた花の絵。

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そしてこちらが4歳児(妹)の花の絵。

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それぞれ、お絵かきの様子を後ろから見ていたところ、兄は花をじーっとみて、みた様子を絵に落とし込んでいる。細長い花びらの花をみながら、細長く、絵を描いている。

一方、妹の方は、「私ちゃん、このお花描こうっと」と言いながら、観察している花は色々なのだけど、どの花を描くのにも、全部、丸と五枚の花びらの絵を描いている。

なお、0歳児は父ちゃんに抱っこ紐に入れられてすやすや寝ている。

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上の子2人の差は、恐らく、年齢、発達段階の差が現れていて、それを目の当たりにしたのでした。
このページの、カタログ期にあたる妹と、図式前期(のさらに前期?)にあたる兄、というところかなあ。

多分、「花」という概念を記号としてインストールして、それを記号としてアウトプットしている4歳児。「花」という概念を記号としてインストールしたあと、そこに具体性を見つけていて、具体的な花ごとの違いをアウトプットしている5歳児。そして、何歳なのかは知らないけど、この先には、更に、この具体を抽象的に見つめ直す時期が来るんだと思う。ピカソみたいな絵を描くのかな。適当に言いすぎか。

記号→具体→抽象、のプロセスに自分にも思い当たるフシがあった。

これだけだったら、意識高い系の家族の週末のアクティビティを、意識高く考察しているだけなんだけど、そういえば、この半年の自分にも思い当たる節があって、これは子供だけに限らない話かもしれない、と思ったので、noteを書いています。

約半年前に、化学の会社からECの会社に転職して、そのタイミングで、自分のやってきたことを振り返るために、「科学ってなんだろう」を考えてnoteを書きました。

そのときに、ある人から、「次はECとはなにか?を考えることになりそうだね」とフィードバックをもらったのですが、当時の僕は、「いや、ECって、単にネットでお買い物するだけのことだから、その問い、全然おもしろくないじゃん。考えがいがないな。」って思っていました。(ていうか、その認識で、よく転職したな、って、思うけど・・・)子どもたちの絵と比較して考えると、僕はうちの4歳児と同じように、ECを、記号でしか捉えていなかった気がします。どのECをみても、丸に五枚の花びらをつけて描いちゃう。

半年間、ECの会社で働いて、ようやく、ECを具体的に知ることができました。なるほど、お客さんはこういう感じの人たちで、情報はこう流れて、ものはこう流れて、これが数字として管理されていて・・・というように。だんだん、「花」じゃなくて「どんな花か」に目が行くようになってきた。

そろそろ、ECを抽象的に捉えて、「ECとは何か?」という問いに答えられそうな予感もあります。結局、僕はいつだって物事を化学にたとえたほうが理解できるので、ECを化学の言葉で理解してみようと思っていますが、それはまた今度のnoteで。

さらに、情報の発信する側に立っても同じかも。

幼児に限らず、情報を「記号」→「具体」→「抽象」の順で処理するのだとすると、逆に、情報を発信する側も、もしかしたら、この順番を意識する必要があるのかもしれません。

どんなに頑張っても、まずは「記号」として認識されるのなら、「記号」としての情報を提供したほうがたくさんの人に届きそう。でも、もう「抽象」で理解できている人に「記号」の情報を提供しても、たぶん、つまらない。僕自身はnoteを書くときは、できるだけ「抽象」の情報になるように心がけているかもしれない、と思いました。

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