kiyoto01

そろそろガタがきているおっさんプログラマ。最近、関西に移ってきた。

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最近の記事

伊藤智彦「HELLO WORLD」

京都に越してきて一年半あまり、カメラを始めて半年あまり、ということで、京都を舞台にした、しかも私たちプログラマにとっては、特別な熟語であるタイトルを帯びた作品ということで、まぁ、観てきたのであった。 結論からいえば、たいへん雑で稚拙な作品であった、というよりほかないだろう。主たる舞台に京都という土地を選択した必然はほぼ皆無と言ってよかったし、HELLO WORLD という語句の解釈はともかく、その表出の実践についてはまったくもって稚拙であったというよりほかない。 たぶん、

    • 山田尚子「聲の形」

      聲の形を観たのだった。こういうことでもなければ観ることはなかっただろうが、傑作の部類であった。 繊細さと丁寧さ、ということに尽きるわけだが、同時に最高度に女性についての話でもあるのだった。原作は男性作家のようであるが、そのあたりがどのように変化したのかは、じつに興味深い。ハーレムの中心に位置する主人公を含めて、男性のほうには奇妙なまでに現実感がなく、彼らはとりまきの女子たちはおろか監督及び脚本家も含めた女性的繊細さを時間的に繰り延べるための機構なのであった。 おそらく、意

      • 新海誠「天気の子」

        まぁ、なんだろう。観てしまいはするのである。 世間では、いろいろと評論も出ているし、たしかによくできた作品であると思う。とても丁寧に練られた脚本で、私が「セカイ系」とカテゴライズするジャンルの典型を成しているし、それを死を伴う戦闘行為の高揚を排除したうえで成立させている、というのは実際、レベルが高い仕事だ。 そして、まぁ、これが私の感想のすべてである。それは私も私なりによく知っている何かだが、私には決して同意できないものである。私の個人的なサブカル史というのは、ようするに

        • ポール・ダノ「ワイルドライフ」

          ひさびさに映画館で映画を観た。近くのイオンでこうした単館上映系の作品がかかるのは珍しいが、まぁ、ようするにスタッフとキャストのネームバリューということだろう。 出来は、まぁ、普通によくない。ポール・ダノの初監督作品ということもあって、低予算で製作されているのだろうが、まぁ、単純に撮影下手だよね、という感じであるし、演出もこなれていない。やりたいことはわかるのだが。 まぁ、なんだろう、ようするにサリンジャーがやりたいのである。が、そのためには、おそらく色づくりや彩度の調整か

        伊藤智彦「HELLO WORLD」

          濱口竜介「寝ても覚めても」

          カメラもウィッチャー3もひと段落してきたので、また別の趣味を再構築しようということで、映画も再開してみんとす。 そうしたときに観る最初の一本というのはわりと大事ではあるのだが、ちょうど濱口竜介の作品が観れるようになっていたので、これにしたのだった。彼の初商業映画である。 端的にいって、ひじょうに素晴らしかった。完全な意味でのカンヌ的作品であった。ただ、それは現代の日本においては、このように微温的なものなのである。 カンヌ的というのは、ようするに人間の精神なるものの多様性

          濱口竜介「寝ても覚めても」

          伊藤正人「京町家を愉しむ」

          先週、平安神宮を起点に疏水界隈を散歩した際に、帰りによった TUTAYA で目にとまって購入したのであった。 内容としては、大阪市立大学の教授である著者が4年かけて、九条の東寺のすぐ南あたりにある町家を探し当てて購入し、改築して棲み始めた軌跡のログである。専門が学習心理学やら行動心理学やらであるそうだが、まぁ、ようするにインテリだが町家建築の素人である。その著者の町家は、最終的には 2015 年の「京都を彩る建物や庭園」に選定されたほどに見事に仕上がったわけだが、それまでの

          伊藤正人「京町家を愉しむ」

          大九明子「勝手にふるえてろ」

          なんだろう、松岡茉優かわいいよね、というための映画である。 まさに、勝手にふるえてろ、という感じである。いや、ほんと。 予告編があるが、良くも悪くも、基本的にこれですべて、ということでよろしかろう。あとは、松岡茉優のファンが実際に見て、堪能すればよい。 なんというか、青春の痛々しさなるものを、こうして客観的に戯画化する、という作品が現代において、どの程度効力を持つものか、というのは、わりと疑問だな、というのはあらためて思ったのであった。もう、こういうふうに大人が相対化し

          大九明子「勝手にふるえてろ」

          レンズの見ているものと私の見ているもの

          だんだんと Nokton F1.5 50mm ASPH に馴れてきて、ボケと被写界深度なるものの効用が少しずつわかってきた。開放時には Nokton はたいへん薄くなってボケまくるわけだが、これを利用して「私の見ているもの」なるものとそうでないもの(その画においては背景)を明示的に区別することができるのである。いや、まぁ、教科書に載っていることなわけだが、私にもすこしその部分をコントロールできるようになってきた、というわけである。 もちろん、それは最終的には「私の見ているも

          レンズの見ているものと私の見ているもの

          イルディコー・エニェディ「心と体と」

          奇妙なバランスの作品であった。いったいなんの話をしていたのだろう。たぶん、運命とか見えない糸とか、あるいは愛の形の無限のバリエーションへの讃歌とか、そういうことについて何か言っているんだが。 基本的な構造としては、ハネケを筆頭とするオーストリア系の正統派のリアリスティックな絵作りと演出なのだが、そこで語られている内容というのが、あろうことか純粋なファンタジーなのである。そして、なんと驚くべきことには、ほんとうにただそれだけなのである(笑)。本気で拍子抜けする。 不具者とい

          イルディコー・エニェディ「心と体と」

          Leica CL + Summicron-TL 23mm F2.0 ASPH + Nokton 50mm F1.4 ASPH 2ヶ月目

          さて、Leica CL を買ってから丸二ヶ月が経ったのである。ふた月目のトピックとしては、はやくもふたつめのレンズ、Voigtländer Nokton 50mm F1.5 Aspherical を購入した点だろう。 私の買ったのは、この VM マウントのものではなくて、さらに古い Leica L39 マウントのものである。なぜこれを選んだのかといえば、Leica CL は L マウントだが、これはもともと Leica SL 用の SL マウントで、最近、Panasonic

          Leica CL + Summicron-TL 23mm F2.0 ASPH + Nokton 50mm F1.4 ASPH 2ヶ月目

          廣木隆一「彼女の人生は間違いじゃない」

          さて、ひさびさに映画を観たのである。まぁ、なんだろう、日本の伝統的な小品を観たかったから選んだ、というわけなのだが、そうした意味では適切な選択であった。 何がよいかといえば、これはまず撮影がよい。新しいカメラでまっすぐに撮っている。この手の地方の生きづらさを描く作品では、フィルム的なテイストを出そうとするのが定番だが、本作ではバキっとデジタル一本で撮り、きちんと作品になる水準に仕上げている。冒頭の帰宅困難区域の朝や、上京なる行為をひじょうに効果的に表現している上空からの映像

          廣木隆一「彼女の人生は間違いじゃない」

          山本七平 日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヶ条

          さて、こちらは Kindle で読んでいたのであるが、たいへん興味深い内容であった。 小松真一なる化学技術者の南方での従軍経験を綴った『虜人日記』を底本に、そこに注釈を加えていくといった形で、日中戦争および太平洋戦争における日本軍ないし日本国の敗戦の要因について分析するといったものである。 まずは私としても、小松の挙げている敗因21ヶ条を素朴にコピペしたい。なぜなら、山本も指摘するように、これは日本人の生き方による敗北のパターンのテンプレートだからである。そして、当然のこ

          山本七平 日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヶ条

          山本七平 「常識」の研究

          さて、私は今年は山本七平に傾倒してみようと思っているわけなのだが、そのためには、彼の考えにどの程度(日本的なスコープにとどまるが)普遍性があり、現代でも適用可能なのか、ということを知る必要がある。 その点で、このエッセイ集はちょうどよいものであった。話題も多岐に渡り、当時の日本でどういった事柄が社会問題として扱われており、山本七平がそれをどのようにピックアップし、そこからどのような普遍性を抽出していたのか、といった点が垣間見える。ちなみに当時というのは、今からちょうど40年

          山本七平 「常識」の研究

          カメラと覚えていること

          京都に生活の場を移してもうじき丸一年になるわけだが、仕事もまぁほどほどに馴れてきて、秋口に町家を引き払って移った今の部屋の暮らしも落ち着いた年末あたりから、わりと明確に余裕ができてきた。そこで、これまで仕事にかまけて捨て去れられていた趣味(今では、そういってよいと思う)たちを、すこしずつ再開したいとぼんやり思うようになってきていたところに、あの Paypay 祭がやってきたのだった。機材を入れ替えて、すこしマジメに写真を撮ることを再開してみようという気分になったのである。

          カメラと覚えていること

          山本七平「日本人とは何か。」

          さて、ようやく読み終えたのである。山本七平は、このあとも主要な著作については順番に読んでいくことになるだろう。 京都に来てからの私の関心は、ようするに山本七平のいうところの「日本人の行き方」なるものが、グローバリズムが前提となった現代の企業活動において、なお競争力を持ちうるか、という点に尽きている。 以前も書いたように、任天堂はかなり純粋な日本型の運営スタイルを、相応の注意深さをもって維持している企業で、その方面からいっても、よくもわるくもここはデジタルエンターテイメント

          山本七平「日本人とは何か。」

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          Leica CL + SUMMICRON-TL F2/23mm ASPH の一ヶ月

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