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「アソビ人のススメ」

Prologue

すれ違った瞬間
「あれ、どこかで見たことがある。文化人、有名な人だ、誰だったか」
と少し混乱したが、すぐにそれが坂本龍一さんだと気がついた

しかし冷静になり目線の先に背中を追ったときには、その姿はもう無かった

ぼくが始めて会った
いや、会ったというのは相応しくない
人生において初めてすれ違った有名人は、坂本龍一さんだった

あれほどの有名人、国民的英雄を真近に見ても瞬時には誰だか分からないほどに高揚していたし、脳が受け付けないほどに田舎者だった

西新宿にあるパークハイアットホテル
20歳の誕生日を迎えて少しした頃に、お世話になっている先輩に突然そこに呼び出された

一階のエントランスをくぐるとすぐ中央にはオブジェがあり、台座に腕時計が埋め込まれている

そのオブジェがアンソニー ドナルドソン氏によるものであって、埋め込まれた腕時計は

「ここから先は時計、つまり時間を忘れてゆっくりお過ごしください”というホテルからのメッセージ」

だなんてことは知っているはずもなく

「おお、こんなところに高そうな時計が落ちている」と喜んで手を伸ばしそうになった記憶がある。
もちろん仮にそれが本物であったとしても、置き引きは犯罪です、という事くらいはきちんと理解していたので持って帰ったりはしないのだが。

とにかく初めての高級ホテルのエントランスでひどく興奮して、そのすれ違いは、今でも記憶に鮮明に残っている。

当時のぼくはといえば、夜になればカエルの鳴き声で寝付けないほどの埼玉の”ど”田舎町から大学進学とともに東京に出てきて、趣味であるサーフィンを続けながら歌舞伎町で働いていた

さすがに東京でも話題の超高級ホテルという事で、入学祝いに買った一張羅のGUCCIのスーツを着て、オシャレだと信じ込んでいたローファーを履き、下品な金髪を結わいて、その日の待ち合わせに向かった

やっぱり高級ホテルには車で横付けしなくてはカッコ悪いと思い、新宿駅から黒タクを選び、なけなしのバイト代を払い、ホテルに向かった記憶がある

今思えば、パークハイアットのエントランスでこんなにも田舎者むき出しのいかにも怪しい若造を、さわやかな笑顔で扉をあけて気持ちよく迎え入れてくれたベルボーイはとても優秀であったに違いない

丹下健三氏の設計による新宿パークタワーは東京のどこからでも見てとれる上部に段々と並ぶ3つの三角形が象徴的で、先ほどの置き引き未遂のオブジェがあるエントランスからホテルのレセプションのある41階へはエレベーターで直行する作りになっている

将来的にはアソビや食を極めんとして海外へも足繁く通うことになるので、香港のリッツ・カールトンの103階まで直行するエレベーターのボタンをカッコつけて押すようにもなるのだが、その当時はボタンの数が少ないそのエレベーターがとても先進的で都会的に感じてそれを押す指が震えたような記憶がある

緊張しながら、エレベーターを降りる
場慣れしているかのように自分なりに堂々と歩き、待ち合わせのバーを探すがどうにも見つからない

そう、待ち合わせのバーというのは52階のニューヨークバーだったのだ

読者のみはさんはご存知の通り、パークハイアット東京の52階に位置する同ホテルのメインダイニングであるニューヨークグリル(ニューヨークバー)はぼくが震えながら乗り込んだエレベーターでは到達することが出来ない

41階で降りた後、フレンチレストラン「ジランドール」のレセプション前を通過して、かの有名な2000冊の本が並ぶ壮観な本棚のアーケードを通過した先にある第二のエレベーターに乗り込む必要がある

ぼくは当然のことながら41階で散々迷った挙句(恥ずかしくてホテルマンにお店の場所を尋ねることなどできず)10分以上遅刻してその天空へのエレベーターにたどり着いた

パークハイアット東京の立ち上げに携わった現場のメンバーというのは非常に優秀で、後々東京のみならず日本各地のホテルやレストランで活躍する人材となっていく

10年以上前だが、東京中の遊び人が集い夜な夜な酒を飲み、宿泊して、ウッドデッキのバルコニーで二日酔いを引きづりながらさわやかな朝食を食べた目黒のCLASKAや、未だに週末はランチから深夜まで人で溢れかえる表参道の2ROOM Grill & Bar などもこのパークハイアット東京立ち上げメンバーたちが関わっていると聞く

さて、ようやくその存在に気がついた”第二のエレベーター”が52階に到着し、その扉が開く。

すると、ぼくの眼にはマンハッタンの摩天楼と見間違うほどの圧倒的な夜景が飛び込んできた

しつこいようだが、この時点でぼくはニューヨークになど行ったこともない田舎ものだったから、ただただ初めてみた圧巻の夜景と、受付に立つ黒いスーツを見にまとった美しい二人の女性に目を奪われて言葉を失っただけだ

ニューヨーク的な、と表現されたレストランはこのパークハイアット東京「ニューヨークグリル」の他にもいくつか存在した

それらの共通点は、天井が高いこと(これは当時では非常に珍しかった)、レセプショニスト(受付)の女性が華やかであること、タブリエ(サービスマンのエプロン)が真っ白で長いこと、料理がボリューム満点であること、ドリンクがグラスにたっぷりと注がれること

であった
今思えば何がどうしてニューヨーク的なのかは分かりかねるが、当時の東京は世界一のグルメシティでもなく、まだ外資系ホテルグループが大挙してくる前であったから、そのような雰囲気のレストランを知っているというのは非常にウケが良かった

後々この物語にも登場してくるが、ぼくの従兄弟である外資系金融機関のマネージングディレクターを務める「ソウシクン」は、ぼくとは年齢が1つしか違わないにもかかわらず当時からそうったらニューヨーク的なレストランにとても詳しかった

「ミカワサン」

予約の名前を聞かれたわけでもなく、強迫観念にかられるようにそのレセプショニストに向かってぼくは口にした

ミカワサンとは、今回ぼくをこんな場違いなところに呼び出した張本人である

20歳になったばかりのぼくを面白半分でニューヨークバーに呼び出した彼は、ぼくのアルバイト先の先輩であった

職業フリーターであった彼だが(その時はぼくも知らなかったのだが)同ホテルの一室を一族で常に抑えていて、子供の頃から風邪を引けばハイヤーが迎えに来るという特殊な家庭に育った

美しいレセプショニストはやはりプロフェッショナルで、嫌な顔1つせずに明らかに場違いな田舎者のぼくを、ミカワサンの席へと案内してくれた

東京の夜景に囲まれ、天空に浮かび上がるようなそのお店ではお洒落なジャズの生演奏が行われており、その美しいピアノの音の先に彼は座っていた

ぼんやりと、こんな所で働いていたら家に帰るのが嫌になるな、とかスタッフの人たちはコンビニ飯なんか食べたことないだろうな、なんて思っていた

「おお、遅いぞ」

とミカワサンは「ラジオシティ」というオリジナルカクテルを飲みながらチョコレートをつまむ

「迷っただろ?」

ニヤリと笑う彼は、田舎者のぼくがこの天空の城へとたどり着くまでに田舎者丸出しでホテルの館内を無様に徘徊する様を予想していたのだろう

10年以上経つにも関わらず、その一杯のカクテルの名前まで鮮明に覚えているほど印象的な夜だった

もっと言うとつまんでいたチョコレートが今までの人生で見たことがないほど薄くて大きい、まるで紙のようなチョコレートだったことまで覚えている。

そしてそれが田舎者のぼくに最初に訪れた、人生の転機と言える。

ぼくはスッキリしたものが飲みたく、それはえらく緊張して喉がカラカラだったからなのだが、勧められるがままに「ジンリッキー」を注文した

リッキーなんて、名前がニューヨーカーっぽいななんて考えていたが、ジンリッキーはワシントンのレストラン『シューメーカー』で最初に飲んだお客さん「カーネル・ジム・リッキー(Colonel Jim Rickey)」に由来するのだから、実際はワシントン的である

まあでもそうやってカクテルや料理のソースの名前だとか、その由来だとか、そういうのを自分で調べる最初の良いきっかけになった

そして、それ以来ぼくはバーでは最初の一杯目に必ず「ジンリッキー」をオーダーする

その日のミカワサンとの会話の内容全ては覚えていないが、ぼくが会計時に恐る恐る財布を出そうとした時に、ぼくの中で人生の格言となるような言葉をいただいた

「お前が稼いで、今度は後輩を連れてきてやれよ。その時はカッコつけるんだぞ」

随分と美味しいお酒をご馳走になった

話はそれから2年後に飛ぶ

22歳になり、社会に出たぼくはその日のミカワサンの言葉を胸に刻みとにかく稼いでお金を貯めて、自分の力であのバーに行こうと決めていた

それが一番手っ取り早い

あの日一度経験しているのだから、次は恥をかかない

金髪のちょんまげでもないし、ブカブカの一張羅のスーツを着ていくこともない。
41階で徘徊することもないし、1杯飲んでチョコレートを食べてカバーチャージを払ったらそれだけで1万円掛かることは、もう知っている。
恐るるに足らず、である。

これは常々言っていることだが、経験が人を大きくするのである。一度体験したことは、それほど恐怖を感じなくなる。
未知のもの、未知の経験にひとは恐怖を感じる。
堂々としている人、いつも穏やかな人、そんな大きな器の人というのはやはりその経験値が豊富である

話を戻す

22歳のぼくの初任給は手取りで12万円程であった
東京の家賃は高い
家賃や水光熱費を払い、普通に生活しているだけでは、天空の城へのキップなど手に入るはずもなかった

カッコつけて彼女と行って、食事もせずに一杯だけ飲んで帰るわけにもいかない

そう思い、とにかく節制をしてお金を貯めようと考えた
朝から晩まで仕事をして、夜は倒れるように眠り込む。休みの日は家に篭り、せいぜい読書をする程度、自炊してはもやしやニラばかりを食べている

当時、付き合っていた彼女に振られた時に言われたセリフがある

「仕事ばっかりで、いつも余裕がない。アソビがなくて、窮屈で、魅力を感じなくなった」

アソビというのは自動車のハンドルのそれだ
ブレーキにもアソビが必要だ

アソビとは、ゆとり、もしくは余白と表現した方がわかりやすいのかも知れない

ぼくにはアソビがなかった

朝から晩まで働いて、プレッシャーに負けて、自己弁護の言い訳ばかりを考えていた

遊ぶ余裕など、全くなかった

かっこいいなと憧れたミカワサンは遊び人であった

出会った頃、つまりあのラジオシティを飲んでいた頃の彼は25歳くらいだろうか
豊富な人生経験からかいつも笑顔で穏やかであった
誰からも好かれていたし、声を荒げて怒るようなところは一度だって見たことがない
目の奥は強く光っていて、穏やかなのだがこの人を怒らせてはいけないという畏怖も感じられた

ぼくの目指した人は遊び人であった

あれから十数年が経ち、成功者と言われる数多くの経営者、有名人と出会った

彼らの考え方に触れて、時には彼らのプライベートの過ごし方も覗き見るようになった

必ず、と断言しても良いと思う

世の成功者、ひとかどの人物は全員アソビ人である。
アソビ人というのは、遊び慣れていて遊び心がある。
人を楽しませようと想像力を働かせて、驚かせようと常に少年少女のようないたずら心を忘れないという事だ

ミカワサンのようなアソビ人になるには、どうすれば良いのだろうか

このカッコいいホテルを颯爽と歩き、周りの人が見ても違和感がないようなお洒落なアソビ人になるにはどうすれば良いのだろうか

あまりにちっぽけな目標だったかもしれない

ただ
田舎から出てきた20歳の若造にとって
これほど重要な人生の目標は今まで存在しなかった

よし、アソビ人になろう

その時決心したからこそ、今のぼくがある

本著はぼく自身のあまりにも変化に富んだ人生の物語でありながら、多くのアソビ人たちのリアルなエピソード集である

アソビ人とはどういう人なのか、なぜアソビ人を目指すべきなのか、どうすればアソビ人になれるのか、最後まで余白を楽しんでもらいたい

続きはEXODUSにてクラウドファンディングにて出版予定(読みたいぞという方は後ほどぜひご支援、応援よろしくお願いします)

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