負けること

意識が身体の内側に向いている。透き通るような青い空も,日に日に冷たくなっていく空気も,穏やかに流れる川の水も。そんな些細なことに気が付かない。

時々,冷酷な現実に打ちのめされる時がある。そこでハッと気が付かされることがある。自分が思っているほどの水準に僕は達していない。

これまで,行き当たりばったり。よく言えば臨機応変。対処療法的な生き方をしてきた。その姿がそのまま弓の形に表れている。これをすればああなる。あれをすればこうなる。その繰り返しだ。でもそれでは,今後衰えていく一方の体力・知力のことを考えると,あまりよろしいことではないらしい。

そのうち弓が引けなくなる。

前回の記事にも書いたけど,今僕は自分の中にある弓に対するイメージを全く違う形に変える試みしている。おかけで,自分の弓が怖くて引けなくなるところまできている。

今まで使ったことない筋肉を使う。今まで感じなかったものを感じ取る。意識の奥底に眠る新しい感覚を探し求める。左手に感じる弓の強さ。右手に感じる弦の感触。もっともっと弓の力を感じなければならない。

僕はこれまで,「勝つ」ことを目的にしてきたように思う。全くそのように思っていなかった。けれども,これまでの行動を振り返るとそう考えるしかない。負けたくない。他の誰よりも多く的中させたい。試合に勝ちたい。審査に受かりたい。弓の力に勝ちたい。

けれど,そうやって力でねじ伏せることはもうできなくなってきている。分かっている。頭では。けれど僕の意識は前例を踏襲する。相変わらず僕は力を使う。力を感じることはせずに。

どうすれば負けることができるか。いや,負けを認めることができるか。負けたことを意識の奥底に押しやって,都合の良いことばかり目を向けていやしないか。

と,あまり自分を追い込んでも仕方がない。「負ける」とか「勝たない」ってどういうことなんだろうと考えてみる。

弓は反動力で矢を飛ばす道具だ。弓の力を上手に矢にのせることにって,より速く,より勢いのあるものにすることができる。僕は自分の力で弓の力を制して,弓の反動力を殺している。弓に勝ってしまっている。

また,右手で握りこんでいるから,麻弦なんか使うとたちまち切れる。ここで弦にも勝ってしまっている。

力をかけすぎてしまっているので,どれくらいの加減でやればいいのかわからない。しかし,今弓の力をもっとダイレクトに生々しく,自分の身体に襲ってくるような。そのような感覚で引いている。今まで力を込めていた身体の一部分を使わない。そして,より正しい箇所の筋肉を使うように意識する。

こんなに弓が強いものか。今まで難なく引いてきた弓が,急に他人の弓を引いている感覚になる。

これは,まずまず,方向性は間違っていないのではないだろうか。今僕は弓に負けている。けれども離れは軽やかだ。師匠は褒めてくれる。

僕の自己改革は始まったばかり。もっと身体に弓を引きつけたい。けれども師匠はそれを「ぜいたく」と言う。まずは今のステップを定着させること。できるようになるまでは矢数をかけなければならない。

弓道はプロセスの連続だ。ちょっと何言ってるかわからなくなってきた。結果ありきではない。良い積み重ねが良い結果につながる。そう信じて,結局はコツコツ地道にやるしかない。

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僕もあなたがスキです(/ω\)
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ジロー

家族と自然と弓と歌と喫茶店。妻1人子ども3人。地元高知の自然が大好き。作詞作曲なんかも少し。喫茶店は僕の大切な隠れ家。 30代に入り目まぐるしい日常を過ごす中、湧き上がる直感にロジックを与えて記録に残す。 サブの肩書 エコピープル。緑サポーター 。防災士。弓道四段。

FORM FOLLOWS FUNCTION

弓を引く日々。 弓に従い、弓に教えられる。僕は大山を前にしてその山門をくぐったところ。寄り道をしながらその道を歩んでいく。形は機能に従う。それはきっと芸術。
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