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諏訪考 木の宮・石の宮(~上田考)。

諏訪地域の信仰は、縄文から引き続いているものも多く見受けられ、磐座や御神木が重要な存在であることは間違いない。「磐座」と「御神木」は、諏訪や信州全体を理解するための大事なキーワードでもある。
諏訪地域では、七石・七木として語り継がれてきた磐座・御神木があったといい、七石・七木では、湛(たたえ)の神事というものが行なわれていたのだという。大自然の神の力を湛えておく、依り代としての磐座・御神木をお祭りしていたということであろうか。
磐座の方は今日でも比定できるものが多いとされるが、長い歳月のうちに生物である御神木の方は朽ちてしまい、今日では七木の名前だけをとどめているという。
七木として湛に数えられたときでさえ、相当な樹齢であったはずであるが、それが枯れて朽ち果て、今は名のみ留めるだけというところが、諏訪という土地の深遠さである。
諏訪にあっては、歳月に関する人間の感覚は麻痺してしまう。


諏訪地域では、下社は「木の宮」、上社は「石の宮」などという呼ばれ方がされている。
前宮近くの下馬沢川を登っていった奥にある小袋石様や、本宮の境内にある硯石・沓石などは、石の宮としての風格充分に鎮座している。
秋宮の根入りの杉、春宮の結びの杉など、下社境内には御柱さえ凌ぐ存在感で、御神木が聳えているが、樹齢700~800年ほどと、諏訪信仰としてはそれほど古くはないように思う(このあたり、諏訪にあっては、歳月に関する人間の感覚は麻痺してしまうようである)。
下社が今ある土地に、祭祀施設が作られた時代には、きっとその時代の御神木が立っていて、それが木の宮の由来になっていたことだろうと思う。
このあたり、苔生した小袋石様が数千年の歳月に渡って、その場所にあり続けている上社の在り様とは異なり、どこか境内に清新さを感じるゆえんともなっている。
下社側のふたつの宮に足を踏み入れれば、ほのかな花の香り漂ってきて、さすがに女神様を祀っている神社だなぁと、なにやら心地のよい気分になる。


女神を祀ると言えば、諏訪湖には、八坂刀売神とは別の、水の女神が存在している伝承がある。
八坂刀売神は、建御名方神の入諏よりもずっとあとに、下社が持ち出してきて祀り出した比較的新しい女神であって、おそらくはそれに先立つ女神の存在が諏訪地域にはあった。
諏訪地域には、ソソウ神という、正体のあまり判然としない、白蛇とされる神の存在がある。
建御名方神自身が出雲由来の龍蛇神とされ、諏訪明神は龍神と見なされていたため混同されて終わっていたが、龍蛇神はおそらく二体、雌雄一対で祀られていたのではないかと思う。
秋田の三湖伝説で言えば、八郎太郎に対する辰子姫のような存在である。
諏訪湖をその源流として、諏訪湖から流れ出す川は、天竜川だが、この天竜川を司るとされているのは、やはり女神なのである。
下社春宮の境内から少し足を延ばせば、浮島社という社がある。
霧ヶ峰の山麓から流れてきた砥川という川が、諏訪湖にそそぐ手前の春宮の土地で、一度ふたつにわかれてまた合流する、その川中島のような地形に浮島社はある。
小さい祠ではあるものの、この浮島社こそは、元春宮などという呼ばれ方をされている祠なのである。
もともとは、この浮島社こそが、下社のあった大事な場所で、きっと砥川の女神を祀るというところから、下社は始まったのかとも考えられる。
砥川の上流・霧ヶ峰は、縄文時代には黒耀石の名産地であったし、縄文の昔から諏訪の民は、霧ヶ峰と繋がるこの川を、女神として祀っていたのかもしれない。
そして、この浮島社の祭神として、また、天竜川の女神として、囁かれている女神の存在は、瀬織津姫である。
(ひさしぶりに浮島社を訪れてみたら、祭神は祓戸大神であるという、以前はなかった答え合わせの立札が建てられていて驚いてしまった。)

春宮 浮島社 立札付き

さて、一度、上田市の方へと視界を転回しよう。
やや思考に飛躍のある内容であると感じたら、少しお伽話のように読んで楽しんでいただければと思う。
上田市真田町にある、戦国真田氏にもゆかりの深い山家神社。
ここを拠点にして、真田氏は、白山修験の山伏たちを忍者として用いていたと言われているが、今回はその話題はあまり関係がない。
過去の時代において、諏訪の祭祀圏は、内県・外県・小県・大県と四つの県(あがた)に分けられていたという。
内県は諏訪郡であり、外県は上伊那郡、大県は佐久郡であり、小県はそのまま現在でも小県郡と呼ばれているが、これが上田地域である。
小県郡にあって馬牧を運営していた滋野三家と、諏訪神党との結びつきも強く、東信地域は古来より諏訪信仰と密接な関係にあった土地柄であった。
武士団としての結束もそれなりに固く、木曽源氏・義仲の挙兵も、中先代・北条時行の挙兵も、諏訪・小県・佐久の武士たちがひとつになってこれを支えたのである。
上田市のあたりには、諏訪信仰の古い形態などが残っていることがあるのかもしれないと邪推している。
山家神社の境内の奥の方には、一般の人目を避けるような位置取りだろうか、男石と女石という石が置かれている。
なにも知らずに足を向けてしまうと、その露骨さっぷりに思わず、えっ?となってしまうこと、請け合いである。
男石は、雨風にさらされる格好で無造作に立ち、その周囲には白い玉砂利が撒かれている。女石は、木の根にひらけたウロ(樹洞)の奥に、守られるようにして置かれている。
男石の周りに散らばる白い石を拾って、やや離れたところ、女石の置かれている樹洞まで持っていって捧げると、子種が授かるのだという。
これが、「石の宮・木の宮」の原型のようにも思えてくる。

山家神社 男石
山家神社 女石

上田市周辺には、このような信仰形態が多く見受けられ、別所温泉の別所神社には、社殿裏に男石・女石・子種石という石が飾られているし、生島足島神社の荒魂社についても、石棒崇拝を思わせるものが建てられているのであるが、中でも圧巻なのは、真田町にあるその名も男石神社である。
上田市真田町の出早雄神社から歩いてすぐのところに、瀧宮神社と男石神社というふたつの神社が、まるで一対となるかのようにして鎮座している。
まず目に入るのは瀧宮神社の方であるが、瀧宮神社の雰囲気は、こんな山間地になぜ?と思うほどに、なんとも竜宮的なたたずまいをしている。
男石神社に向かうには、瀧宮神社裏の細道を、まるでこっそりと参拝するかのように入っていくところにあるのだが、そこに見えてくる男石神社の社殿内には、男根を象った石彫や木彫の細工物やら絵馬やらが、これでもかとばかりに祀られている。
両社ともに、祭神や由来などがわからなかったが、夫婦(めおと)神を祀る社だったと見れば、境内が隣接しているその理由も頷ける。
境内をまたぐ形で、山家神社と同様の儀式が行われていたかもしれないからだ。
石の宮から、木の宮へ。
それは、豊穣と繁栄の象徴であるだろうか。
男石とは陽石であり、太陽の象徴であるとするならば、そこに祀られているものは、太陽の神であろうか。
瀧宮とは滝の宮であり、龍神の宿る場所であるとするならば、そこに祀られているものは、水の女神であろうか。
太陽神と、龍の女神が、対になって祀られているとするならば、それは夫婦神ということになるであろうか。
視界をふたたび諏訪の地に戻してみれば、磯並四社に似たような並びの祠があったことを思い出す。
磯並社から小袋石様へと登っていく山道には、瀬神社、穂股社、玉尾社という四つの祠が、小さいながらも神々しく並んでいる。
瀬神社の祭神は瀬織津姫、玉尾社の祭神は饒速日命であると、聞きかじったことがある。
玉尾社から、瀬神社へ。
この磯並四社のある場所は、縄文から弥生へと至る時代の人々が、ここで両神に向けて祭祀を行なっていたその跡なのだろうか。
古史古伝の世界において、太陽神・饒速日命と、龍の女神・瀬織津姫とが、夫婦であったとされているのは、あとになってから知ったのであった。

瀧宮神社 神池
男石神社 社殿内部


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