見出し画像

めぐりゆく循環

ふぅ。

オンラインバンキング(ペイジー)で納税。
消費税、法人税など。

銀行店舗ATMから現金引き出し、窓口で納税していたこともあった。
その方が札束触る。「痛み」感じる。だからいい、と思っていたが、なにしろ物騒だ(笑)。
それと、そのころのぼくは「納税」を「痛い」と思ってた。
非対称だったんだね。
つまり、「税金を取られる」という考え。

いまは違う。

納税できるってことは、商いの算数が及第点もらったことであり、かつ、会社ってのは社会に「生かされている」生物だから、そのための住民税と思えば対称になる。実際、法人住民税ってのがあるしね。

だから、社会へと循環させる。
災害時とか、要るものね。お金。

ネットで操作してると、記号を動かしてるだけな気になってくる。
納税金額のお金を実際に手にしてないから、よけいに。

考えてみれば、アマゾンや楽天で何か買う、というのも、記号を操作してるだけ。自分の口座から相手の口座へ実際にお金が物理的移動するわけじゃない。なんか、不自然だなあと思った。

お金って、腐らない。この点からすでに自然と乖離してる。

生物は、生きると同時に、死ぬ。死と隣合わせが生。毎秒死に近づきながら、生きてる。

鮮度と腐敗は対称として存在する。

自然はすべて対称。

貨幣経済を始め、人間のつくるもの、特に経済は非対称。

その究極の姿が核。ウランという鉱物から莫大なエネルギーを取り出すプロメテウス的な科学は、原発を生み出した。でもこれは非対称。独裁者みたいなもので、自然に何も還さない。還さないどころか非常に危険。これは放射能が危ない、というレベルの話じゃないよ。自然じゃない、という原理的な話。

フィジオクラシー(physeos自然+kratesis支配)観点から見ると「不自然」なんだ。フィジオクラシーを重農主義と訳すことがあるけど、農業に限らない。もっと大きく、自然と生きる哲学。自然に沿った哲学。

ふと思い立ち、富山会館で買ってきた。

通称「逆さ地図」。こうして見ると、日本海は内海だ。

遥か縄文、その先の石器時代、日本海はもっと狭く、湖みたいだったはず。
人の往来は激しかっただろう。人が交わると文化も交わる。
「国家」というコンセプトが生まれる前だから、自由に動き回っていたはず。
「貨幣」もなかった。なくて済んでた。1万年以上。

だから貨幣経済なんてのはあくまで「かりそめの実験」と思えばいいのだろう。β版みたいなもの。

非対称は自然じゃない。続かない。

逆さ地図といえば、オーストラリアのこの地図。

思い込みなんて、捨ててしまおう。

お金がすべて、ではなく、生き物としての人間がすべて。

自然は循環が基本。

「めぐりゆく循環」をいつもどっかに意識していこう。そう思ってます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?