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リトルを愛せる日まで

10月22日、私はあるセミナーに参加した。
妹がお世話になっている理学療法士の安廣さんという方がされている自己愛セミナーだ。

セミナーに誘ってくれたのも妹で、その話を聞いた私もすぐに参加したいと思った。
妹が、社会人になり、色んな人と出会い、人生が180度変わったかのように素敵になっていく姿を見ている。
昔を知る私としては、驚きもあるし、また羨ましくもなる。
そんな妹も、この安廣さんという方の個人セッションを受けたり、自己愛セミナーに参加しているのだ。

最近では、姉も同じセミナーに参加しており、どんどんといい方向に向かっているのが分かる。ふたりが楽しそうにしているのをみて、私も一歩踏み出したくなった。

自己愛セミナー

22日、20:00。
新しく買ったタブレットPCの前に座る。
噂では、号泣必須のセミナーと聞いていたので、タオルも横に。

安廣さんという方が、画面に映り、セミナーが始まった。
この方のnoteがある。
詳しくは、こちらのnoteを参照ください。

今日のテーマは自己愛。
自己愛を高めるためにすることは、たったのひとつ。
自分の中にある“リトル”に目を向けること。

リトルって?

リトル、というのは、自分の心の中にある本心のことをいうらしい。
というのも、人の本心にフォーカスしてみると
基本的に

・やりたくないなぁ
・いきたくないなぁ
・いやだなぁ
・めんどくさいなぁ

で溢れているらしい。

確かに、仕事があるとして「よーし、今日は喜んで仕事に行くぞ!」って人はなかなか少ないと思う。

他にも、名前のない家事が世の中にはいっぱいあるとして、「よーし、洗濯物取り込むのだーいすき!」となる人は少ないと思う。

いやだなぁ、めんどくさいなぁ

そういうことを思うのって

イヤイヤ期の子供じゃないですか?

私達はみんな本心では5歳児なんですよ。

でも、社会に出れば社会人、立派な大人として働かないといけないし、責任も取らないといけない。

家では父親、母親として振る舞わないといけないし、家事などの役割を果たさないといけない。

大人だから。

本心は5歳児なのに、大人だから頑張りすぎている人が世の中にはたくさんいる。

自分は大人なのに、なんでこんな事もできないんだ。
親だから頑張らないといけないんだ。
自分のバカバカバカバカ、って責めている人がいる。

いや、チョット待って。
5歳児だから、できなくてもいいじゃないか。

むしろ、5歳児がまわりに気を遣って、8時間以上仕事も頑張って、家に帰ったら家事も頑張って、あれこれして・・・って

すごくないか?

すごいんだよ。
本当に。

そんな自分を褒めて、認めてあげる。
これが、自己愛を高めるための方法。

自分の中にある、小さな自分、リトルを愛する。
たったのそれだけ。

自分で自分のことを認める。
それが基本。

リトルを愛するための具体的な方法は?


そのための方法が、リトルを褒めること。
具体的には3つある。

①毎日、一行日記を書く。

書くことはたったの一つ。
その日の自分を褒める。

「今日、早起きできてえらいね!」
「みんなに気を遣ってすごいね」

些細なことでもいい。
一行、今日の自分を褒めてみる。

②“リトルの日”をつくる

月に一回、リトルの日をつくる。
その日だけは、自分の中にいるリトルのわがままを聞いてあげる。
行きたいところ、ほしいもの、やりたいこと、やっちゃう日。

たとえば、リトルあやちゃんが「焼肉食べたい!」って思ってたら、連れて行ってあげる。

ただ、これにはひとつ決めておかないといけないことがある。
それは上限

リトルの日には、その日使っていい金額や時間の上限が必要である。
金額は具体的に言うと、月収の5%。
使いすぎは良くないってこと。

リトルの日にどんなことをするのか。
女性であれば、外見を磨くことが有効だそう。

・美容院に行く。
・服を一式購入してみる。
・マツエク、まつげパーマにいく。
・ネイルサロンにいく。

女性は、外見を変えるだけで、自己肯定感がバク上がりだそう。
これはわたしも試してみたい。
とりあえず、まつパいく。

男性であれば、外見ではなくて資格取得などキャリアに関わることが有効だそう。

③スマホの待受を小さい頃の自分の写真に変える

リトル、というのを思い浮かべるのはなかなか難しい。

そのためのヒントとして、自分の小さい頃の画像を使うのだ。

小さい頃の自分、できれば笑顔の自分。
その画像の横に「褒めて」と文字を入れる。

リトルをほめるのを忘れないように、毎日スマホをみて思い出せるように。

この3つを、とりあえずやってみよう。
3ヶ月続けたら、何かが変わるはず。

その後、実際に自己愛セミナーやコンサルを受けた人たちの体験談を聞いて、この日のセミナーが終わった。

セミナーを終えて

今紹介したのは、ほんの一部だが、たったの2時間のセミナーで安廣さんワールドに引き込まれてしまった。

その次の日から、そのセミナーで聞いたことを実践してみた。

次の日、早速一行日記ノートを買った。
ダイソーにちょうどいい感じのがあった。
たまーに忘れてしまうけど、一ヶ月続けることができた。
3ヶ月、がんばってみる。

そして、待受も変えてみた。
自分の画像を探してみたが、いい画像が見つからない。

とりあえず、この画像にしたが、人に見せるのはちょっと恥ずかしい。
小さい頃の私は、こんなにもやんちゃだったのか。
見るたびにくすっと笑ってしまうが、それもまた良いことだと信じて。

変化

このセミナーを受けて、自分の小さい頃のことを思い出そうとした。
だが、そうすると、自分の心に強い衝撃が走る。

急に苦しくなって、涙が出てきて、どうしようもなくなるのだ。

リトルだった頃の自分を思い出すのがつらい。

そんなことあるのか、と思うが、ほんとうに辛いのだ。

私は、過去の自分のことを愛せていない。
だから今、自己肯定感がものすごく低いのだと悟った。

こんなことを思った日もあった。
もし、過去に戻れたら・・・

昔の自分を◯す。

過去の自分は、素行も悪かったし、問題児だったし、性格も悪かったから誰からも好かれなかった。いじめたりもしたり、いじめられたりもした。

いいこともあったはずなのに
いいところもあったはずなのに、悪い自分だけがクローズアップされてしまうから、負のループにはまってしまう。

過去に戻って自分を◯したい。
こんなことを思ってしまうほど、私は自分で自分を苦しめていた。
そんな自分を今更愛そうなんて、いやでも、このままじゃきっと、リトルだけではなくて本物の自分も◯してしまうぞ。

危ないと思った。
今、変わらないと、きっとこの先もお先真っ暗だ。

少しずつでいい、向き合うことにした。
小さい頃の私が、なぜそのような行動を取ったのか。

いろんなエピソードを紹介していく。

①一人っ子の友達を妬ましく思っていた

私の友達に、一人っ子の子がいた。
家は大きく、お金持ちで、専業主婦のお母さんがいつも家にいた。
一人っ子だから、ほしいものはすべて手に入れていた。
当時流行っていた、ローラースケートも、ローラーシューズも、漫画も、なにもかも持っている子だった。

一方、私は欲しいものがあってもめったに買ってもらえず、家も狭い。姉妹も多い。両親は共働きで参観日に来ることもあるようなないような。

私はその子と一緒にいることが多かったが、あまり好きではなかった。
時には、意地悪もした。

その根底にあったのは、ないものねだりの気持ちだったのではないか。
羨ましい気持ちではないか。

家に帰れば、大きなお家があって、一人部屋があって、母親が迎えてくれて、かわいい犬もいて・・・。

それに比べて自分は・・・。
そんな気持ちを抱えていた気がする。

自分の生活に満足していたら、そんな気持ちは抱かなかっただろう。
このときから“ない”ものに目を向けて、その喪失感を嘆いて、そしてその惨めさから人に攻撃的になっていた。

もっと早くから、今あるものに幸せを見いだせたら。
羨ましい気持ちに気づいて対処できたら。
攻撃的な自分の根底にある思いに気づいてたら。

もちろん、羨ましくても人に意地悪することはやってはいけないこと。
意地悪をしたことに関しては、当時から散々叱られてきた。
だけど、だれも根底にある気持ちには気づかなかった。
わたしでさえ。

気づいてあげられなくてごめんね。
今となればこれしか言えないけど、気づくだけで救われるものもある。
うらやましかったんだよね。
わたしもその子みたいな生活がしたかったよね。

あなたもいいものいっぱい持ってるじゃん。
姉妹もいっぱいいて、家に話し相手がたくさんいたじゃん。
たくさん旅行も連れて行ってもらったじゃん。
ええやん。
自信もて。十分いい生活や。

②人に宿題をさせていた

これはできれば墓場まで持っていきたいエピソード。
だけど、これもなぜこんな行動を取ったのか向き合わないと行けない気がした。
こじつけでもいい。
この出来事を思い出すたびに、私は私を◯したくなるから、もう悩まなくて大丈夫だよ、と言わせてほしい。

当時の私は、宿題が嫌いだった。
やりたくないのもあったし、わからないのもあった。

音読とか、聞いてくれる人がいなかったし、やらなくても生きていけた。
算数は全くわからなかった。九九だけは覚えた。

とにかく、宿題が嫌だった。
やりたくない、めんどくさい。
そんな気持ちもあったのだが

それよりも遊びたかったのだ。

わたしは、姉妹が多い。
親も共働き。
自由になれる時間は、そう少なくはなかった。

小学生といえば、友達と遊んで、帰ったら美味しいご飯と、温かいお風呂が待ってるし、温かい布団で眠ってまた、次の日を迎える。

わたしの日課といえば。
ご飯を炊く、洗濯物を入れる、お風呂掃除、お湯をはる、洗濯をたたむ、妹の世話、それがあってやっと宿題。

妹が遊んでるのに、テレビを見ているのに宿題ができるか、といわれると自制心のない小学生には難しい。

いろいろ家事をしないと怒られるのもあったから、宿題の優先順位は低い。

まとまらなくなったけど、きっといろんな気持ちを抑えていたんだと思う。
そんな気持ちが宿題をやらない、という行動になって
でも、それだと怒られてしまうから、宿題をちゃんとしている友達の手を借りて宿題をしてもらったりしてた。
させていた、というか分担してた。でも年下の子も使っていたからそれが問題になって当時の担任から死ぬほど怒られた。

遊びたかったよね
うらやましかったよね
宿題やりたくなかったよね
わからなかったんだもんね
時間がなかったんだよね
家事頑張ってたもんね

過去にやってしまったことは、どうしようもできない。
やってしまった行動だけに目を向けて、自分はなんて悪いやつだ!って自分で自分を殴り◯すのはやめよう。

家族と昔の話をするときに、両親が毎回この話題を出すんだ。
そのたびに私は、死ぬたくなるんだ。
過去の自分は人に宿題をさせる悪いやつで、生きてる価値がないって気持ちになるんだ。
昔の自分のイメージが完全に悪いやつだから、昔を思い出すのが辛くなるし、昔の自分が嫌いになっていた。

だけど、そんな行動の裏には遊びたいとか、うらやましいとか
こどもらしい本心がかくされていたんだなって。

子供だから仕方ないよね。
子供だもん。
9歳だった子供だもん。

そんなわたしにも、いいところとか、いいエピソードがいっぱいあったはずだもん。
家族とはそういう話がしたい。
私の悪いところをほじくり出して、自尊心を傷つけるような話はもうやめてほしい。

わたしからの、大事なお願い事。

最後に

ここまで、とても長い文章を読んでくれてありがとうございます。
気づいたら約5,000文字書いてた。

このnoteを書いていて思ったことがあった。

わたしが子供時代に、子供らしくいれたらどれだけ救われただろうか。
心の声を打ち明けられる人に出会えていたら、理解してくれる人に出会えていたらどれだけ、今が楽だっただろうか。

26歳になってしまったから、もう何をしても子供に戻ることはできない。
子供らしく振る舞うことも許されない。

体も心も大きくはなったけども、本心“リトル”は5歳のままなんだって
今回のセミナーで知れたことは、本当に良いことだった。

がんばってんだって。
生きてるだけですげーーことなんだって。

わたしの“リトル”を愛せるその日が早く来ますように。
これから、今まで以上に自分のことをたくさん褒めて、甘やかして
自分の本心と向き合っていきたい。

おわり

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