レペゼン地球の件で感じた違和感

どうも、ほなです

レペゼン地球が、セクハラパワハラをネタにした炎上商法で、
レペゼン地球の思惑通り"炎上"している


一連の流れを簡潔に産業説明(一応)

ライプグループ(レペゼン地球の会社)に入った新人(女)が社長のセクハラパワハラをTwitterで暴露

社長ハゲにして謝罪

セクハラパワハラはやっぱ嘘で〜〜す!全部プロモーションでした〜!


これに対する世の意見は

「さすがレペゼン!天才!すごい!」派と、「いやいや笑えない冗談すぎるでしょ」派に分かれている


ちなみに私の意見はこうだ


まあ褒められたことではないけど、ほぼ全国民(メディアまで)が踊らさせられていたのだからシンプルにすごいと思う

普通は批判を恐れてやらないし、良識的な人間だったらできない

それを怖いものなしで、できてしまうっていうのもすごい


ただ、TLを見ているとあまりに批判派(いやいや笑えない冗談すぎるでしょ派)の意見の声がでかすぎないか?

この手のネタ(倫理的問題を含んだもの)は、正論をぶつけた意見の方が誰からも批判されないし、さも正しい主張であるかのように胸を張って発言ができるように感じる

インフルエンサーや有名人ならなおさら擁護しても叩かれるだけだ
だから批判派に回ったほうが手っ取り早いし保身にもなる


このレペゼン地球の炎上商法は、プロモーションだけではなく現代に対するヘイトだ

この方がうまく言語化してくれている


要は、擁護している盲目ファン、フェイクニュースもすぐ流してしまうネットニュース、保身でさも正義かのように正論を振り回すインフルエンサー、それに盛り上がる取り巻き、この現代の歪みをたった一つのプロモーションだけで表現しているわけだ


シンプルにすごくないか?

正直なことを言うと私が一番初めに思ったことは「悔しい」

土俵が違いすぎるなと思った


すごすぎるという事すら気付いていないのか、触れないようにしているのかはわからないけど、批判派の声でかすぎるだろという違和感を感じた

何でもかんでも正論ぶつけりゃええってもんではないだろ


うーんあんまりうまくない例えだけど

「友達(ブス)の似顔絵を書いてください」と言われて

超ブサイクな細部まで書いたら「絵としてはすごい」けど「人としてはどうなん?」ってなるやん?多分そんな感じだ?

「すごい」という事実には変わりないし、
周りから見たら「おもろw」ってなる人もいるだろうし、
本人からしたら至って「面白くない」し、
それに同情して「笑えない」と感じる人もいるだろう

まさにそういう事


プロモーションである前に、今回の炎上パフォーマンスは表現なんだと思う

アーティスト、クリエイターとしてシンプルにすごいし
絵であれ、音楽であれ、小説であれ、お笑いであれ、表現者と言うものは批判を恐れていたら"表現"にならない

時には反社会的、反倫理的表現もするだろう

抽象画なんて特にヘイトの集まりじゃないか


まあすごいとは思うけど、やっぱり自分ではやろうとは思わない

常々言っているようにロックではないから


もし自分がセクハラパワハラの当事者だったら、やっぱり笑えないと思ってしまうと思う

その時点で、こうやって褒めている事もやっぱりロックではない

でも、正論を振りかざしてただ批判するのも自分的にはロックではないと思った


まあ、批判するも擁護するも、こうやって異議を唱えるも、全部レペゼン地球の思惑通りなんだよ

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ほな

マルチクリエーターです。「飲酒ROCK」と言うYouTubeチャンネルをやっています。ex.こじらせギャング

徒然なる落書き帳

これはほなの脳みそである
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