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ユートピアを探すのをやめた日は、人生のどんなステージの始まりなんだろうか

風邪をひいていました。忙しかったのがひと段落ついたら途端に熱を出して、2年ぶりくらいの高熱でひたすら寝ているしかなかったので、その間Netflixでストレンジャーシングスのシーズン1を1日で見ました。シーズン2はこれから見ます。というわけで文章の調子がこれまでとちょっと違う気がしますが、忙しさと熱と裏側の世界のせい、ということで。

大学院修士課程が今年の12月で終われそうな目処がつき、「アメリカに残りたい(できたら西海岸に移りたい)」という一心で就職活動をしていたけれど、なかなか思うような結果が出ない。。先日、日本にいる親と電話で話をして「仕事が向こう数カ月で見つかればこちらに残りたいと思っているが、現時点ではわからない」という話をして、その頃ぐらいからなんとなく、このアメリカ生活の終わりというのを意識し始めた。

この数ヶ月、自分の今後というものへの考え方が定まらず、自分でも自分がどうしたいのかわからない、という困った状態だったのだけれど、最近改めて思ったことがある。それは「ここに住んでいればずっと幸せ!」「ここがわたしの生きる場所!」というユートピアのようなところはおそらくないのだ、ということ。何を当たり前のことを言ってるんだこいつ、と思われるかもしれませんが小娘なので許してください。

たぶんどこへ行ってもそれなりに生きづらさはあるし、心配事や寂しさも、どこへ行ったってついてまわる。

アメリカにいる時、自分ははなっから外国人なのでそれに伴う気楽さがある。だけど、ここにわたしが拠って立つことのできる磐石な場所やコミュニティは少ない。日本にいると、組織に組み込まれた歯車のような息苦しさを感じるけれど、勝手がわかっている街や土地だからこその動きやすさもまたある。

たぶんわたしは、そういうホームとアウェイのどちらかに偏るのではなく、その両側を行き来しながら、どちらの長所・短所も新鮮に呼吸しながら生きていくのがいいのかな。

わたしは長いこと日本で息苦しさを感じてきたのだと思う。女の子だけどボーイッシュな遊びが好きだということに風当たりが強かった小学生時代から、身体的違いへのからかいがそれなりにヘビーないじめに発展した中学時代、素敵な同級生に恵まれたのに中学での人間不信のせいできちんと友人関係を築けなかった高校時代、高校留学を経ての大学時代は楽しかったけれど、パワハラセクハラ過労で深刻に心を病んだ会社員時代まで…。まぁもちろんそれぞれの時代にはポジティブな瞬間もあるけれど、ネガティブな事項を並べると自分の人生わりときついこと多いな。笑

高校生でのアメリカ留学は、もちろん大変なことはいくつもあったし、それこそ日本では遭遇しないような誤解・すれ違い・ハプニングもたくさん経験した。けど全体として見てみると、全く知り合いのいない土地で、友人や頼りになる先生や、家族と呼べる人たちと関係を築けたことは自分にとって非常に大きな成功体験になった。また、アメリカという環境に根付く「みんな違っていて当たり前」「お互いの違いを受け入れ、異なるということを楽しむ」というおおらかな空気の中で、とても生きやすさを感じた。

そういうバックグラウンドがあったために、心を病んだ会社員時代に「アメリカでもう一度挑戦したい」という想いを抱いて、アメリカでやりたい仕事に就きたい!と思って頑張ったけれども、結果が出なくて落ち込んだ。だから、もし今現在アメリカで仕事がとれていたら、違う考えになっていた可能性もあるけれども、今現在ないものは仕方がない。

自分が大学院留学のために日本を出た頃、日本で最大手の広告代理店の新入社員が過労・パワハラ・セクハラのために心を病んで自殺してしまった事件が大きく報じられた。自分のいた業界がほぼ同業種だったこともあって、その報道や様々な人が書き記したそれぞれの体験談はわたしのフラッシュバックを引きおこし、日本へ戻ってまたあの、心がくちゃくちゃになる労働の世界に戻ることになったらどうしようという恐怖もかなり強くあった。

そういう恐怖・葛藤・抵抗があって、ボストンにいる時でも一時は心を病んでしまっていた。今はだいぶ良くなった。その対処のためにカウンセリングに通ったりして、そこでの会話でいろいろな発見があった。

アメリカで仕事がほしいけれども、自分のベストを尽くしても結果が出ない時は、単に外部要因のせいであって自分のせいではない、と考えられるようになった。そのおかげで不必要に自分を責めるのを止めることができたし、仕事がないものは仕方がないと思えるようになった。だって難しいんだもん。自分はベスト尽くしてるけど、それでも壁が高くて厚いんだったらしょうがない。

また、今のわたしのアメリカでの状況も結構孤独で、精神の強度の限界を試されているような気すらするので(笑)、自分を追い詰めながらここにい続けるのもなかなかしんどいよね〜と、もう1人の自分があっさりと友達に話しかけるように考えられるようになった。

やっと本題に戻ってくると、そうした紆余曲折の末にやっと最近考えられるようになったことが、以下のようなことだった。

どこに住んでいても、どんな仕事をしていても、そういった「付加情報」に自分という存在を定義させないこと。自分の人生を充実させるのは場所や職業ではなく、自分がその人生をどう生きるか、どう彩るか。だから「ここに住んでいれば幸せ」「この仕事につけたら幸せ」というようなユートピアはないのだ。

アメリカの自由な空気は好きだし、ボストンという街も暮らしやすくて好きだし、その中でなんだかんだ飄々と暮らせている自分のことも割と好きだけど、それでも孤独に心を病みがちな自分がいることもまた本当。

日本の窮屈さや偏狭さにはやっぱり閉口するだろうけど、家族や友人が多くいる場所だし、わたしは東京の景色が好きなんだなぁということを、ボストンにいる間に改めて実感した。またその景色の中を歩く自分のことも割と好きだったりする。

どんな場所に住んだって長所も短所もあるし、bad timesもgood timesもある。だから大事なのは、たとえば美味しいものを食べた時に幸せをちゃんと感じること。たとえば気の合う友達とおしゃべりして大笑いすること。たとえば休みの日に楽しいことを企画して、心が震える体験を自分にさせてあげること。

そういう「どのように自分をハッピーな状態にしてあげるか」ということのほうが、どこに住むとかどんな仕事をするとかという情報よりも大事なんじゃないかと思う。今は。

去年の年末「やっぱり年越しは日本がいいなぁ」としみじみ思ったので、どうせ帰るなら12月中に帰れたらいいかなぁと思っていたけれど、12月に大学院過程が終わって、そこから帰国準備するのは慌ただしそう。あと年末のフライトチケットとかめちゃ高そう。

12月帰国は叶わないかもしれないけど、やっぱり大晦日に食べるおそばに勝るソウルフードがあまり思い浮かばない。「日本食」って言ったら寿司とか天ぷらとかいくらでも挙げられるけど、年越しそばみたいに文化と強く結びついていて、しかも年越しは家族で集まることも多いだろうから、家族で一緒に時間を過ごす記憶もセットになっていて、そこが最強だ。


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