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ブックレビュー「ソングの哲学 ボブ・ディラン」

Bob Dylanに関するブックレビューは今回で3回目になる。一回目は記念すべきnoteの第一作「ロバート・シェルトン”ノー・ダイレクション・ホーム:ボブ・ディランの日々と音楽”」。二回目が「ハーバード大学のボブ・ディラン講義」

今回の本書「ソングの哲学 ボブ・ディラン」はBobが選んだトータル66曲について、その歌詞の彼なりの解釈とその曲の時代背景や根底に流れる哲学を語ったものだ。

Bobは1941年生まれなので、私よりも二回りほど上。このためどうしても私にとっては馴染みの無い古い曲が多くなるが、その中には後に歴史を遡って知ったものや誰かのカバーバージョンで知った曲もある。そういう曲も含めて彼ほど歌詞を深く考えたり妄想したりすることはないので、今回の彼の文章から学ぶことは多い。

ただのラブソングかと思いきや連続殺人鬼が歌いそうなうただ、といったり、曲のモチーフから彼が想像する曲を連ねたり、あまりの曲の見事さにただただ賞賛したり、クラシックのメロディに基づくポップソングに関する知識を披露したり、そのミュージシャンを的確に表現してみせたりする。

時にソングは変装した姿で現れる。ラヴソングは怒りとか恨みとか、他の様々な感情を隠してしまいがちだ。幸せに聞こえるうたが、同時に深い悲しみの淵を含んでいることもあるし、こよなく悲しく聞こえるうたの奥から、深い歓びの泉が湧いてくることもある。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

最近北野武が、次のようなことを言っていたが、Bob Dylanはまさにそれを地で行っているのだろう。

独りよがりの作品ばかりつくっていたら、誰にも見向きもされない。文化やアーティストを生き延びさせるのも評論家なら、潰すのも評論家。製作者と評論家、ふたつの視点を同時にもたなきゃいけない時代なんだよ

出典 北野武が教える「伝統の因数分解」と、売れるために必要な「本当の才能」

本書からいくつかここで興味深かった曲とBobのコメントを紹介しよう。彼が一流の評論家でもあることが理解できると思う。

1. Pump It Up by Elivis Costello

以後のキャリアで、彼は室内楽を奏で、バート・バカラックと共作し、カントリーを演り、他人のカバーをし、ソウルのレコードを出し、バレエとオーケストラの音楽にも手を染めた。バート・バカラックと一緒に作曲をするとなれば、リスナーがどう思うかなど関係なくなる。エルヴィス・コステロはあらゆるジャンルを突進する。まるでジャンルの別などないかのように。自分を極限まで「膨らませた(”Pump it Up”)」結果、そこまでやれるようになったのだ。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

2. Money Honey by Elvis Presley

以前妻を失って間もない友人と食事をしたが、彼の言葉が心に残った。「何であれ、物事が意味を持つのは、終わりがあるからなんだよな」。ダイヤモンドや金とは違って、妻との時間は本当に限られたものであって、その一瞬一瞬を彼は貴重なものと感じていた。(中略)結局、カネの問題ではないということだ。カネで買えるものは重要ではない。椅子をいくつ持っていても、乗っける尻は一つしかないのである。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

3. My Generation by The Who

自分たちの世代の歴史の最前列席に彼はいて、憎しみや戦争に対するプラカードの文字が読めた。まあたしかに、きみが尽くしたお陰で変化はあった。だがその成果と引きかえに、どの世代も無知という傲慢を抱えてしまうように思える。以前になされた土台の上に築いていくことを選択せずに、過去を無視し払拭してしまうのだ。だからピートのような人間が自信の経験から得た知識を差し出し、過去に自分が歩んだ同様の道で学んだことを告げようとしても、それを役立ててくれる人間はいない。無理にもそれを告げようとしたら、相手は視線をピートに向けて言うのだろう、あんたが見えない、聞くこともできないと(”Can't See You, Can't Hear You”)。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

4. Tutti Frutti by Little Richard

リトル・リチャードのうたには数多くの人物が登場する。ステレオタイプの勢揃いだ。アンクル・ジョン、のっぽのサリー、メアリーとジェニー、デイジー、スー、そしてメリンダ。みんな性と夢の、影の世界を行き交う連中だ。隙を見せればカモにされる。
リトル・リチャードは間違いなくリトルではない。彼は知らしめている、何かが起こっていると。世界が崩れ落ちるだろうと。彼は説教師であり、<Tutti Frutti>は警告の叫びである。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

5. Ruby Are you Mad at Your Man by the Osbourne Brothers

ブルーグラスはヘビーメタルの裏面なのだ。どちらも伝統にずっぽり浸っている。ヴィジュアルもサウンドも何十年も変わっていない音楽形式が二つあるということ。どちらの領域を訪ねてみても、いまだにビル・モンローの格好や、ロニー・ジェイムス・ディオの格好をしてプレイしている。どちらの形式も使う楽器には伝統的なラインナップがあって、音楽的にも幅が狭く、形式への執着が強い。

出典:ソングの哲学 ボブ・ディラン

人は伝統を硬直と混同してしまう。古いレコードを聴くと、それが琥珀の中に閉ざされているかのように想像してしまう。自分自身の必要を満たすノスタルジアに逃げ込んで、その伝統が、どれだけの汗と労働と怒りと血をこめて作られたものであり、別様にもなりえたということには想像が及ばないのだ。

出典:ソングの哲学 ボブ・ディラン

6.  Volare(Nel Blu, Dipinto Di Blue)by Domenico Modugno

このうたは、サイケデリックな幻覚ソングの第一号だったのかもしれない。ジェファーソン・エアプレインの<ホワイト・ラビット>より十年早い。これ以上キャッチーなメロディに出会うことは絶えてないだろう。聞こえていなくても聞こえてしまう、勝手に空気に忍び込んでくるうたである。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

7.  Your Cheatin' Heart by Hank Williams With His Drifting Cowboys

こんなソングを耳にすると、自分を顧みずにはいられない-行動の一つひとつをだ。これは完璧な演奏と歌唱から成る。フィドルとギターのフレーズがメロディの大きな部分になっていて、しかもそれぞれのフレーズが声と手を繋ぎ合っている。これを今の時代にやるのは至難だ。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

今の時代の問題はそれだ。どももかしこも満杯の状態。何でも過剰に与えられる。すべてのソングが、一つのこと、一つの個別的なことを明確に歌い、その周りに翳りも、ニュアンスも、ミステリーもない。そんなだから、今時のうたは人々がその時々の夢を託す場にならない。どこもギュー詰めなので、息苦しくて、夢を託そうにも託せないのだ。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

8. Dirty Life and Times by Warren Zevon

素晴らしいレコードである。だが、ここにいるのは<ロンドンのオオカミ男>や<プア・プア・ビューティフル・ミー>を歌う、おなじみのウオーレン・ジヴォンではない。声も違う。しかしこちらもまた本物だ。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

ギターはライ・クーダーである。彼は使命を帯びた探求者で、ブラインド・レモン・ジェファーソンとブラインド・アルフレッド・リードがどこで繋がるのかを、地図も持たずに旅して探った。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

9.  Doesn’t Hurt Anymore by John Trudel

 この人のことははじめて知ったが、エピソードを知るとその体験は極めてエモーショナルで筆舌しがたい。

1970年代末のある日、ジョンはワシントンの議事堂への上がる石段で、部族を超えたインディアンのデモンストレーションを率いた。その翌日、ネバダ州のダックバレー居住地にある彼のトレーラー・ハウスが焼き討ちされた。ドアは外から南京錠がかけられ、身重の妻と、三人の子と、妻の母が生きたまま焼かれた。放火犯は捕まっていない。この出来事を思えば、ジョンの書いた多数のソングの情と魂の底にあった情景が想像できるだろう。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

10.  I've Always been Crazy by Waylon Jennings

この曲は本当に愛する女性に対して、Authenticに生きること、Vulnerabilityの難しさを歌っているのかもしれない。

別にきみはここで心機一転して、新しい道を歩み出そうというのではない-動機は、彼女を守りたいだけ。本当の自分を見せて、俺のことを判断するのは簡単じゃないぞと伝えたい。褒められるべき生き方をしてきたのか、貶められ非難されるべき男なのか、自分でもわかっていない。それを含めてすべてを彼女に伝えておきたい-どういう男のところへ飛び込んでこようとしているのか。

出典 ソングの哲学 ボブ・ディラン

この本に登場する66曲を網羅したPlaylistはApple Music上にもいくつかあるが、ここでは萩原健太さんが公開しているPlaylistをどうぞ。


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