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私を構成する90年代のレコード...から10枚をひとつまみ


「私を構成する...」シリーズ第三弾は90年代(第一弾は「私を構成する70年代のレコード...から10枚をひとつかみ」で第二弾は「私を構成する80年代のレコード...から10枚をひとつかみ」)。

実は第二弾の80年代が5月18日時点でビューアー数が20,352、スキ数が64と私の過去のnote上考えられないほどの反応だったのに対して、第一弾の70年代がビューアー数が202でスキ数が14というのは、理解できないほど大きな差だった。単にnoteの読者が若い層だ、ということなら良いが、いまや70年代の音楽は市場価値が無くなってきたというがその差の原因であれば寂しい限りだ。

さて90年代の音楽は、NirvanaPearl Jamをはじめとするグランジ(grunge)R.E.M, Radiohead, My Bloody VelentineBeckと言ったオルタナティブ(alternative)Red Hot Chili Peppersのようなミクスチャー(Mixture)Jeff Buckley, Fiona AppleLucinda WilliamsといったSinger Song WriterあるいはAmericana英国勢ではOasis, Pulpなどが人気を博した時代だった。

80年代にはまだ残っていたアナログレコードはほぼ完全に店先から無くなり、CD一辺倒レンタルレコ―ド店はレンタルCD/ビデオ店にとって代わったが、映像がDVDに移行するにはもう少し時間がかかった

個人的には大学入学後は聴く一方だったのが、90年代前半に会社のXmasパーティ向けに独身寮のメンバーと高校時代以来のバンドを結成、最初はギターを担当し、後にはボーカルも兼務した。結局そのバンドはメンバーを入れ替えながら98年まで続き、自分を含めてメンバー/元メンバーの結婚披露パーティやライブハウスでの合同ライブもやった。

オリジナル曲は無く、最初はThe BeatlesThe Police, The Rolling Stonesのカバーで始まったのが、次第に自分の趣味に沿ったDerek & Dominos, Eric Clapton, Traffic, Bad Finger, Oasisに変化して行った。

92年に結婚、翌年には長男が生まれ、仕事も忙しくなるにつれ、音楽に割くことができる時間は制限されていった。当時の楽しみは休日出勤の際にオフィスのあった新橋のキムラヤで旧譜CDを購入することだった。グランジ以降はヒットチャート上位の新しい音楽を聴くことは少しづつ少なくなり、また長年購読していたロッキンオンも編集部のゴタゴタを契機に96-97年頃から読まなくなっていった

代わってレコードコレクターズやその別冊特集を参考に、時代に流されないジャンル、例えばパワーポップの旧譜を集中的に聴いたり、当時住んでいた田園都市線宮前平駅の中にあったCD屋で見つけたマニアックなCDや港北ニュータウンにあった新星堂で名盤発掘隊といったシリーズのCDを買うようになる。この頃は毎年東京タワーの近くで催される廃盤放出CD市にも行っていた。

一方、89年にわずか3ケ月だったが参加させてもらった米国短期語学留学の影響冷めやらぬまま、現実逃避から海外駐在を目指して英語の学習に邁進。85年の入社後初めて舞鶴で受けたTOEICのスコアは610点だったが、90年代半ばには920点にまで上昇、会社への海外志向のアピールを強めた。

95年頃に長男が自閉症で知的障害も伴っていることがわかり、生活が彼中心になり、先行きに対して急速に不安が募った。92年に担当が変わり一旦は面白くなった仕事の方も次第に煮詰まってきて、ますます海外へ飛び出したくなっていく。同時に転職への誘いもポツポツとあった時期で、97年には転職に有利になることを期待して中小企業診断士の資格を取得した。

そうこうする内に、たまたま間接上司に就いた人が入社時の採用担当で、私が入社当時から海外指向だったことをよく覚えていてくれて、しかも従前に米国事業の立て直しに関わってきたこともあり、彼に猛烈に海外希望をアピール。結局、彼の口利きで米国事業を統括する人が私の人事部門でのキャリアと海外志向に興味を持ってくれたこともあり、99年についに念願の米国に赴任することが決まった。最初の赴任地はトヨタ自動車が進出したケンタッキー州ジョージタウンの隣町であるレキシントンだった。

障害児を抱え常時ストレスを抱えていた妻は渡米へ不安を抱えていたが、「米国の障害者教育は日本よりも随分進んでいる」と説得し、結果彼女がやっとのことで築いた日本での長男への支援体制を捨て家族三人新生活に挑戦することになる。

そういった音楽よりも生活面での変化が激しかった90年代を通じて自分自身に影響が大きかった10枚を選ぶとすると次のような選択になる。

1. Bellybutton by Jelly Fish (1990)

「私を構成する80年代の...」で触れた通り、80年代後半にTodd Rundgrenにはまったことと彼がプロデュースしたことがあるBad FingerのCDが再発され始めたことで、いわゆるPower Popというジャンルに入れ込んでいた矢先にこのJelly Fishと出会った。

世の中がグランジ一色になろうとしている頃に、The Beatles、Elton John、Queen、ELOといった70年代の音楽への愛情が溢れるポップかつハードな曲調で勝負。冒頭の曲は彼らのオリジナルでは無いので申し訳無いが、特にこのBad Fingerの名曲”No Matter What”をさらにパワーアップした感のあるこの演奏はパワーポップ愛があって素晴らしい。実際私が結成していたXmas向けのバンドでもこのバージョンでカバーさせてもらった。

確か当時はミニアルバムに収録されていたが、Apple Musicではセカンドアルバムのボーナストラックとして収録されている。このアルバムでは他にもWingsの”Jet”のライブがボーナストラックとして収録されている。「この曲は間違いなく史上最もセクシーな曲だよね。もちろん君たちが決めることだけど」と言ってから演奏に入るのが面白い。余程好きな曲なんだろう。

さらに彼らは何とピンクレディSOSをカバーしているのでも有名だ。

Jelly Fishは残念ながら2枚のアルバムを残して94年に解散していたが、昨年6月に3名の元メンバーがThe Lickerish Quartetを結成している。

またメンバーのJason FalknerBeckのバンドのメンバーとして来日していたのを武道館で見たことがある。

2. Dream by Tuck & Patti (1991)

1988年に放送開始したJ Waveは開局当初は英語を話すDJが洋楽を中心に流していた記憶がある。セゾングループが運営した六本木のCDショップ”Wave”が関わっていたのだろう、ヒットチャートにこだわらない質の高い洋楽を発掘する力もあった。それが私が米国在住中にJ Popにシフトしてしまい、帰国した時にえらくガッカリさせられた。

Gypsy Kingsと並んで当時ヘビーローテーションになっていたのがこのTuck & Pattiで、この曲はCyndi Lauperの名曲をセンスあるギター演奏とエモーショナルなボーカルで仕上げている。

2001年頃米国ケンタッキー州のLexington在住中に地元の大学で催された彼らのライブを観に行ったことがある。ギターのWilliam Charles "Tuck" Andressはやはり素晴らしいテクニックの持ち主でだったが、演奏する際にギターの指板を全く見ずに観客の方をずっと見ているのだが、その姿が腹話術の人形のようで面白かった。

 New Yorkに移ってからは、マンハッタンにある有名レコード店Colony RecordsでTuckの教則ビデオを購入したが、まったく歯が立たなかったのも良い想い出だ。今はDVDになっているようだ。

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そう言えばSt. VincentはこのTuckの姪で、一時Tuck & Pattiのローディー転じてツアーマネジャーをしていたこともあるらしい。

3. Bed Finger by Cash (1992)

90年前後にXmasパーティ向けに結成したバンドのメンバーとはよく飲みに行ったりカラオケを歌いにいったりしていた。彼らとオフィスのあった新橋にライブハウスが出来たので行ってみると、The Beatlesのカバーバンドが演奏していた。

その後Rock'n'Onの松村雄策がこのバンドCASHを同誌でも取り上げ、オリジナルCDを発表したことを知り、すぐに購入してみた。

CDジャケットは明らかにBad Fingerの”No Dice”のパロディーだが、楽曲がしっかりしていて曲調はThe Beatlesへのトリビュート風味が散りばめられているのが嬉し恥ずかしい。しかもライブで培った演奏力も確かだ。

その後もその新橋のライブハウスに何度も観に行ったが、そのライブハウスも2年程度で閉店してしまいCASHを観ることはその後無くなってしまった。

ライブでは彼らが演奏した「カメラのさくらや メガネKAN」だったかの短いCMソングをやっていて(「メガネ、メガネー、メガネ、コンタクト...コンタクト、メガネ...コンタクト、メガネ」という歌詞だった)、それが我々も含めて特に客に受けていたため、毎日何度もやっていたのが面白かった。

ネットで調べて見るとメンバーのヒロ渡辺が今でも活動しているようだ。

4. Give Out But Don't Give Up by Primal Scream(1994)

Primal Screamの93年作で、当時サザンロックに挑戦したということで話題になり、曲調はストーンズやサザンソウルの影響が多く、私も気に入ってよく聴いていた。

ところがメンフィスでプロデュースにTom Dowd、マッスルショールズのリズムセクションを迎えて製作した本アルバムだが、Creation Recordsがリリースに難色を示し、また本人たちもオリジナル音源に確信が持てず、プロデューサーをBlack Crowesらを手がけていたGeorge Drakouliasにスイッチし、録音やリミックスをやり直したものが発表され、オリジナル音源はその行方もわからなくなってしまっていた。

そのオリジナル音源が見つかったらしく、2018年にTom Dowdによるオリジナルレコーディング版が発表されいている。リーダーのBobby Gillespieは「(オリジナル音源は)その当時はクリーン過ぎる気がしたのではないか」、「(オリジナルで発表しなかったのは)若気の至り」だと言っているようだ。

ちなみにオリジナル版のプロデューサーだったTom Dowdはマンハッタンでオペラ歌手の母親とコンサートマスターの父親に生まれ、幼少時からピアノ、バイオリン、チューバ、ストリングベースなどを演奏した。コロンビア大学で物理学を学び、何とあの原子爆弾を開発したマンハッタン計画にも参画していた(本人はその目的を知らされていなかったようだが)。

戦後はクラシック音楽の仕事についていたが、その後アトランティックレコードのレコーディングエンジニアとして1950年代にはRay CharlesCharles MingusJohn Coltrane等の作品に関わった後、1960年代にはメンフィスに移りOtis Reddingの”Otis Blue”でエンジニアを担当した。

1960年代後半にはMuscle Shoalsのスタジオミュージシャン達を起用してAretha Franklinなどのプロデューサーを務め、1970年代にはAllman Brothers BandDerek & Dominosの"Layla and Other Assorted Love Songs"、Rod Stewartの"Atlantic Crossing"などを手掛けた。

2002年に亡くなったが、2006年に”Tom Dowd and the Language of Music”(邦題は『トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男』)というドキュメンタリー映画があるので彼がプロデュースした音楽が好きな方は是非見て欲しい。

5. Ron Sexsmith by Ron Sexsmith(1995)

カナダオンタリオ出身のRon SexsmithもCASHと同様Rockin'onの松村雄策が強く推していたので購入してみたものだった。

1964年生まれのRon Sexsmithは17歳の頃からバーで演奏を始めたが、当初はワンマン・ジュークボックスと言われるぐらいカバー曲ばかりで、1985年頃からオリジナル曲を作り始めた。いわゆる遅咲きで、セカンドアルバムでメジャーデビュー作になった彼のこのアルバムは1995年リリースで既に31歳になっていたということになる。

Ron Sexsmithの声は本当に素朴でそのためむしろ心に沁みわたる。95年というとちょうど長男が自閉症であることが判った頃なのでこういうメランコリックな音を個人的にも受け容れやすかったのかもしれない。

Harry Nilsonに捧げられた本アルバムのプロデュースはCrowded Houseなどを手掛けたMitchell Froomで、Quebeck出身の”あの”Daniel Lanoisが一曲だけプロデュースしている。このアルバムにDaniel Lanoisが絡んでいたとは今回初めて知った。

その後もRon Sexsmithはコンスタントに作品を発表しており、また色々なカバー曲を演奏している。2015年のビルボードライブでの来日時に彼のコンサートは見たことがあるが歌の通りおとなしい人柄だった。

6. L.P. by the Rembrandts (1995)

TVシリーズで人気を博した”Friends”の主題歌”I’ll be There for You"を歌うThe RembrandtsはOne Hit Wonderと思われている方も多いかもしれないが、本アルバムは全体的に出来も良く、特にこの”April 29”は恰好良い。イントロからメロディアスでコーラスも素晴らしくギター演奏もワイルドで良い。なぜか他の曲はヒットしなかった。

2年前に再結成して新しいアルバムをプロモーションしていたがそれほど売れなかったようだ。しかしここでの演奏もやはり素晴らしい。

7. Being There by Wilco (1996)

2000年に”Yankee Hotel Foxtrot”で大ブレイクすることになるWilcoのセカンドアルバム。今でもこの”Misunderstood”はライブでよく演奏されている。

Wilcoは元々Jay Farrarが抜けた後のUncle Tupeloの残存メンバーで結成されたバンドで、私の最もお気に入りのバンドの一つだ。Wilcoやメンバーが結成しているAutumn Defense, Jeff Tweedy親子によるTweedy, Nils Clineのソロなど来日する度にライブは見に行っている。

Tweedyの来日ライブでは、"Yankee Hotel Foxtrot"をMixし、その後Loose FurでもコラボしたことがあるJim O’Rourkeがアンコールで飛び入り参加したのが良い想い出だ。

Jim O'hrourkeといえばこの平成演歌塾の出演があまりにも可笑しい。物腰がShyな日本人そのもので元Sonic Youthとはとても思えない。

この前のThe Rembrandtも含めてWilcoもファーストアルバムの頃から松村雄策がRockin'onで薦めていた。それほど当時の松村雄策の推薦ディスクは素晴らしいものが多かったし、私にとって最も信頼できる音楽リスナーだった。

8. Buena Vista Social Club(1997)

1959年のキューバ革命前に会員制音楽クラブで活躍していたミュージシャンたちをRy Cooderが集めてセッションを行ない製作された1997年のCDで、後にDVDも製作された。

実は当初はアフリカのマリのミュージシャンとハバナでセッションを行うはずだったのがビザの関係で訪問できず、急遽当初の計画を変えて地元のミュージシャンと録音することになったらしい。

2016年に5人の生存メンバーが来日した際に彼らの演奏を観ることができたが、本当に素晴らしエンターテイナーだった。どうもそれが彼らのサヨナラ世界ツアーだったらしく、2018年にはその時の模様もDVDになっている。

余談になるが、最初の計画のマリのミュージシャン達のアルバムも2010年に”AfroCubism”として発売されグラミー賞にノミネートされた。

9. 金字塔 by 中村一義 (1997) 

「金字塔」というタイトルにふさわしい日本語ロックの最高傑作のひとつだと思う。これが中村一義のデビュー作で、しかも演奏はすべて自宅に持ち込んだ楽器で自らやっている。

当時日本語でありながら、斬新な曲調が洋楽っぽく、本当によく聴きこんだ。後でこのアルバムそのものがビートルズへのオマージュだったという話を聞いてえらく納得した。確かに「永遠なるもの」は...色々その要素が垣間見れる。

そういえば以前ある女性作家が日経新聞で「ずっとミュージシャンになろうと思っていたが、中村一義のデビュー作を聴いて、その夢は諦めた」と言っていたのが面白かった。あれは誰だったのだろうか、未だに思い出せない。

10. Passion Session by Don Ross (1999)

確かギターマガジン誌でこのアルバムレビューが掲載されていたのが本CDを購入したキッカケだったと思う。

カナダ出身のフィンガースタイルのギタリストであるDon Rossは1988年と1996年の二度National Fingerstyle Guitar Championshipを受賞している。

この数年後に日本でも押尾コーターローがタッピングを多用したフィンガースタイルで評判になったが、Don Rossの変則チューニングと斬新なギタースタイルに驚かされた。いつかこういう風に弾けるようになったらとも思うが、どうみても無理そうだ。

また彼の音色はアメリカの乾いた空気によく響く。99年に住み始めたケンタッキーの青い空の下、Don Rossのギター音を聴くと日本で聴いたのとは違うように聴こえた。空気の乾燥度が違うからかもしれない。

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以下は番外編ということで、ここに挙げなかったが他に当時よく聴いていたり、後に好きになった90年代の音楽には次のようのものをご紹介したい。

まずはThe Commitments。91年製作のダブリンを舞台にしたソウルバンドの結成と解散までの物語を映画化したものでサントラも素晴らしい。描写されるアイルランドの様子に何故か親しみを感じたし、ボーカルのデコのこの歌には驚いた。後に映画”High Fidelity”でMarvin Gayeの”Let’s Get It On"を見事にカバーしたJack Black並のインパクトだ。

Ron Sexsmithで登場したDaniel Lanoisがプロデュースした同時期95年のアルバムがこのEmmylou HarrisWrecking Ball。これは米国コネティカット州コスコブ在住時代に近所の図書館で見つけて聴いてすぐに気に入った。タイトルはNeil Youngの同名曲からで、本アルバムにはそのNeil Youngの他Lucinda WilliamsSteve Earleも参加している。当時私の姉にこのアルバムを紹介したら「Emmylou HarrisはThe BandのLast Waltzに出てたよね」と指摘された。

Lucinda Williamsのこの98年のアルバムは90年代を代表するアルバムとして必ず登場する名盤で、これも最初に聴いた時からすぐに気に入った。Steve EarleとEmmilou Harrisがゲストで参加。後にBetty Lavetteがこのアルバムに収録されている”Joy"をカバーしているが、これがまた素晴らしく、まさにBettyの声ににぶっ飛ばされた。

97年に発表されたWhiskeytownStrangers Almanacも本当に美しいアルバムだ。Ryan Adamsの作曲力が爆発するが、それと共にメンバー交代が激しくなって結局Ryan Adamsはソロ活動を始めることになる。

1990-91年にTVシリーズとなったMark FrostとDavid Linch製作のドラマ。キャラクターが多彩で、ストーリーの明暗が激しく使い分けれれ、しかもコミカルな部分もあることでTwin Peaksマニアまで登場したカルト作品。このテーマ曲を聴くだけであの世界に入っていけそうな気になる。

Tim Buckleyの息子として注目を浴びてこの曲も収録されたJeff Buckleyファーストメジャーアルバムの”Grace”はヒットしたが、セカンドアルバムを録音中にミシシッピ川で溺れて亡くなってしまった。オリジナルはLeonard Cohenでカバー曲も多い。

キャッチーなメロディーでかつAerosmithがGSを演奏しているようなAustin, Texas出身のFastballのこの曲は典型的なOne Hit Wonderだが名曲に間違い無い。Chris ThileがLive From Hereで嬉しそうにこの曲を演奏していたのが面白かった。

同じく90年代の英国を代表するOne Hit WonderがこのThe La’s"There She Goes"。デビュー作のゴタゴタで空中分解していったThe La’sだが、この曲はロックの歴史に残る名曲と言って良いだろう。

North CarolinaのChapel出身のこのバンドはギターレスの三人組であるにも関わらずBen Folds Fiveと言う名前だ。95年にデビューしてすぐに高い評判を得て、当時来日したことがあるが、その時のRockin'Onのインタビューは全く通訳泣かせな感じだった。ギターが無いにも関わらずPower Popな要素をたくさんもった良いバンドだ。

George Martinが98年に息子のGiles Martinと共同プロデュースして製作したコンピレーションアルバムで基本的にはThe Beatlesのカバー曲が中心。Jim Carreyの”I am the Walrus”やPhil Collinsの”Golden Slumbers / Carry That Weight / The End”メドレーなども面白かったが、やはりJeff Beckのタイトル曲”In My Life”が素晴らしい。流石Jeffの名盤”Blow by Blow”のコンビ復活!Jeff Beckのギターがあればボーカルすら不要であることを証明した。

Guy Ritchieの98年作映画のこのサントラ盤は素晴らしい。のっけからこのOcean Colour Sceanの曲で炸裂。映画もスピード感とスリル満載で素晴らしいが、特にワル役で名サッカープレイヤーであるVinnie Jonesが出演しているのが凄い。

98年の米映画のサウンドトラックはThree Dog Nightsのカバー曲”One”など良い曲がたくさんあるが、やはりこの映画の最後を締めくくるこの曲が素晴らしい。

90年代の音楽界でもう一つ忘れてはならないのがMTVシリーズのUnplugged。89年に番組はスタート、このEric ClaptonのUnpluggedは92年でその後は93年のNirvanaなど名盤を輩出、何と2019年まで続いていたようだ。このEric Claptonのアルバムからは事故で亡くした息子に捧げる”Tears in Heaven”が大ヒットした。サポートしているAndy Fairweather Low等も良い仕事をしている。

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これらの曲を含むPlaylistをApple Musicで公開しているので興味のある方はどうぞ。




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