アタマでっかちとカラダでっかち
「わかる」ってどういうことだろう?
「わかった」と感じたら「わかった」のだろうか?
「わからない」と「できない」は同じではない。
「わかる」と「できる」も同じではない。
「できる」はカラダが動くこと。
「わかる」は「できるカラダ」と「わかったアタマ」が繋がること。
アタマだけで「わかった」は「わかったつもり」
だから「わかる」ためには「でき」ないといけない。
「わからない」と「できない」は同じではない。
「わからなく」ても「やってみる」ことはできる。
「わからない」なりにやってみるのだ。
「こうかな?」「こっちが違うかな?」
自転車に乗るときに、乗り方を「わかって」から乗る人はいない。
「わからない」と「できない」と思い込んでいる人は
アタマでっかちなのかもしれない。
じゃぁ、「できる」人は「わかる」のか
「でき」ても人に伝えられないこともある。
「でき」ても言葉にできないことがある。
そうやって「できる」ことは、人の中に耽溺していく。
「でき」ても「わからない」人は
カラダでっかちなのかもしれない。
「わかってる」と「コトバ」にできるの?
「わかって」なくても「コトバ」にすることはできる。
「でき」もせず「わかり」もせずに「コトバ」だけ発する、
どこかで仕入れた情報を自分の「コトバ」として表現する。
そういう人は「コトバでっかち」なのかな。
「できる」「わかる」「コトバにする」
アタマとカラダとコトバのバランスをとっていきたいね。
皆様のサポートによって、より新たな知識を得て、知識と知識を結びつけ、実践した結果をアウトプットして還元させて頂きます。