結局、ぜんぶ、OK

認められたくて、OKが欲しくて、躍起になって…、ワタシ頑張ってます!てSNSで発表して、、こういう考えが全く無い。
※私の書く行為の理由はそこじゃない。

一見あなたのため、って行為も、実際はほぼほぼ皆様ご自身の為、生きる為だわなーと思って見渡してる。
その思考次元じゃないでいて、どうぞ、という事があるとしたら、ほんとに文字通り、有り難いこと。激レア。

世の中は、自分にとって利益かどうかがいつも気になる事で【幸せな生存】が最大の関心事。
自分に好都合だと「良い人」になり、都合悪くなれば「嫌な人」になる。
それで感情が上がって下がって、ガックンガックン、ジェットコースターライド。

たとえば、相手にとって私が不都合だとしても、私が相手に好意を抱くかどうかは、ただ、主体的に決めれば良いだけの話だ。ほんとは。

茶番劇にはもはやどっぷりハマれない。物理的に見えるカタチで披露してるものが、何も素晴らしいとジャッジしない自由だってあるのだ。誰からも、世界中から支持されなくても、ひとりだけよし、と思ってたら、それでよし。

ジブンて思ってるこの自分が、まさかホログラムのように投影された情報の世界の住人なんだと気がつくと、あれが出来て素晴らしいとか、これがあるから駄目だとか、そういう考えは出来なくなる。

奪わない人になりたいって考えてたことがあって。しかし、欲なく生きたいなどという欲が幻想としてある限り、辿りつくことはないと気づいた。奪わない、とは、究極言えば、奪う奪わないという概念が無いとこになら必ずある。(ない、がある。)

見えない世界を信じましょう!とか、見えないチカラを味方にしましょう!とか、なんか手に力込めて呼び掛けるのを見ると、これもショーみたいだなぁと思う。

感情は好きに選べばいい、欲しいものは手に入れればいい。今すぐ。

感じないでもいい。考え抜いてもいい。

これは、感じる世界は幼少期からとうにあって辿り着いたところがあって、だからこそ言ってる。これも、今のところ、そうだってだけ。

結局のところ、OKと決めたらOKなんだ。

ただただ、それだけ。

なんでもありの、なんでもない。

ほんと、そんだけ!(笑)

#私の哲学タイム #学問のすすめ #私には物理であり#科学#哲学

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コメント1件

うなずきながら読ませていただきました。

人口100人の村があったとして、100人が全員「社会的ステータスがあるから」という理由で医者にはなれない訳じゃないですか。
誰かは食べ物を作らなければコミュニティが成立しませんし、衣類、住居を作る人とかも必須で、つまり社会的ステータスというのもすべては全体とのバランスで決まるというだけで。

そこに難易度に高低差はあるのかも知れません。
ただ『俺は努力してこの地位を得た。あいつは努力しなかった。だからは俺はすごい』
と簡単に言う事はできないのだろうな思ってしまうのです。
自分以外にもっとすごい人がいたら、自分はそのポジションにはいられなかったかも知れません。

なので、社会の中で自分が取得したステータスというのは、まさに自分も「茶番劇にはもはやどっぷりハマれない。」という心境です。

元々の記事の趣旨とそれてしまったようですが、
つまり自分も価値判断を社会的な関係性の中で導き出すことができなくなってしまっていたので「自分が OK」という方針を取っています。

しかし、それはそれで孤独で寂しいという気持ちもあって、
なかなか難しいですね。。。
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