見出し画像

「書き手の頭をいかに刺激するか」も編集の仕事である

編集の介在価値を学んだ話。

---

僕の所属するinquireでは、月次で代表のモリジュンヤさんと面談する機会がある。基本的には前月の振り返りと課題発見、整理、ネクストアクションの設定をもとに次月の目標作りなどをしていく。

人によって内容は違うと思うが、僕が今月課題感を感じ相談していたのが、編集力の向上とタスクマネジメントの話だった。

タイトルは、その面談の中でジュンヤさんから聞いた言葉。

僕としてはかなりの金言だったので、内容を元にしつつ、自分の中で解釈を入れながら記事にまとめたいと思う。


きっかけは、「編集はどこまで手を入れるか」と言う話からだった。

編集は書き手ではない。ライターと読者の間に立ち、原稿をより適切なコミュニケーションをできるプロダクトへと導いていく。そのためには、書き上げてもらった原稿に少なからず手を入れることもある。ここで、どこまで手を入れるかは、僕にとって中々悩ましい問題だった。

ただ、この悩みを少し引いて見ると、もっと前にできることがある。

編集は、企画、取材、構成…といった書く前のプロセスにも介在する。そこでは、ライターとすり合わせを行う。ここで適切にすり合わせておけば、後工程で手を入れる必要性は下げられる。

情報構成や、トンマナなど、伝える内容は幅広い。一定までは言語化できるものの、非言語な部分もある。ここで話題に上がったのが、タイトルに置いた「書き手の頭をいかに刺激するか」だ。


それは、共に目指すゴールへ導くためでもあり、熱量のためでもある。

文章には、書き手の熱が必要だ。どんなに理路整然とした文章も、淡々とまとめるとさらっとする。逆に、論理展開は多少雑でも熱のこもった原稿は熱量がのる。

編集者はその前提の元、いかに熱を込めてもらうかを考える。「すり合わせ」て引っ張っていくのではなく「刺激」し、書き手が主体的に熱を込めてもらう状態をつくらなければいけない。


それは、考える方向や深さの糸口を作り、新たな思考へ導くためでもある。

特に寄稿など「書き手の主体性」が強い記事の場合、いかに書き手が思考を深めアウトプットできるかという、執筆前プロセスにおいて編集が担う役割の方が大きい。


「適切な問いをたて、書き手の頭を刺激する」

編集者が向き合うのは原稿だけじゃない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?