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長く付き合える“モノ”を見つける技術

本記事は昔書いていたブログから転載したものです。

2016年、スウェーデンでは、モノを新品で購入するよりも修理して使い続ける方が安くなるよう、修理にかかる付加価値税(VAT)を約半額にする政府予算案が提出された。

買い換えず、1つのモノを長く使い続けるのは良いことで、モノとの付き合い方としては疑いようもなく正しい。まさしく“正義”だと思う。他方で、世の中には修理して長く使い続けられないもの、使い続けるべきでないものが多数存在しているのも事実だ。

世の中には「計画的陳腐化」と呼ばれるものがあって、これがわたしたちの経済的・環境的破滅に大きく関わっているとされている。わたしたちが購入する製品は、脆弱で、どんどん壊れやすくなっている。そして、よく知られているように、修理するのは新しいものを購入するよりも費用がかかる。

これがいくらか発展の土台となっていることは、産業は物語ってきた。国民総生産を、そして雇用を増やすには、わたしたちは売って、売って、売りまくらなければならない、と。

上記WIREDの記事では「計画的陳腐化」により、生産側は意図的に長く使えないモノを作っている旨を語っている。近い話で、日本でも有名なのはソニータイマーの話だろう。

長く1つのモノと付き合う方法論

意図的に壊れるように作ることはないとしても、意図的に最新でない部品を使うことは各メーカー当たり前に行なっている。それは製品ラインナップやヒエラルキー上の関係性であったり、歩留まり、価格との兼ね合いなど様々な理由からだ。

つまり、全ての製品が「長く愛用してもらうために最適なかたち」で作られているわけではない。

とはいえスウェーデンの話でも語ったように、長く1つのモノと付き合い続けることは、モノとの関係性から考えれば絶対的に“正義”だと僕は思う。

もちろん環境に優しい、1つのモノを大事にするという道徳的な意味合いもあるが、個人的に大きいのはモノを買い換える度に悩む労力の無駄を省けるというメリットもある。

では、「長く愛用してもらうために最適なかたち」で作られていない製品があるなか、どのようにして「長く愛用できるもの」を探すべきか。

『物理的耐久性』と『社会的耐久性』

この問題に対し、僕はモノの耐久性を計るのに2つの評価基準を持って判断するようにしている。それが、『物理的耐久性』と『社会的耐久性』だ。

『物理的耐久性』は、物理的に使い続けられなくなる耐久限界を計るものだ。壊れたり、本来の性能を発揮できなくなる、消耗するなどで限界を迎える。

修理の話はこの物理的耐久性に含まれる。壊れても修理して使い続けられるものは物理的耐久性が高いといえるが、修理する体制が用意されていなかったり、修理できる場合でも修理価格が高すぎるものは、物理的耐久性は低いといえるだろう。

もう一方の『社会的耐久性』は、使い続けることが非効率になったり、メリットがなくなる耐久限界を計るものだ。作業効率が悪くなった古いパソコンや、流行を過ぎたり飽られた服、物理的には使い続けられるが、使い続けられない(けるべきではない)状態になることで限界を迎える。

社会の変化により耐久限界が訪れるため社会的耐久性と呼んでおり、カセットテープなどが淘汰されたのは、より効率的なメディアが登場したことによる社会的耐久性の限界を迎えたからだ。

この2つの基準で考えると、耐久性というものが立体的に見えてくる。

「丈夫」「長く使える」「飽きが来ない」「一生モノ」など耐久性に関する表現は数多存在するが、どれも作る側のロジックでしつらえられた言葉であり、消費者側にとってはこれらを一度に並べられると、その優越がとてつもなくわかりづらい。

だからこそ、モノを選ぶ際の評価基準はそれぞれが持つべきだと思うし、それは必ずしも一軸で整理できるものではないと思う。


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