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『白昼夢の青写真』プレイ日記③CASE1


つづきです


CASE1 波多野凛編


凛「……先生が父とは違う道を選ぶことで、私は救われるかもしれない」

男主人公が救われることでヒロインも救われる関係
勤務先にも家庭にも居場所のない中年男性のセキュアベースとして、教え子の父の仕事場が与えられる。とても情けなくて良い
CASE3と対称的に、非常に陰鬱な調子。CASE2も仲間の処刑とかあったけど、酒場の騒々しさ、劇団員とのワチャワチャ感もまたあった。今のところ本章ではそうしたものも特にない。ふたりとも文学好きで物静かだし。強いて言うならあの根明同僚男くらいか。

レイプした妻に家出される最後に引き留めてかけた言葉が、自分たちの最初の出会いの理由についてとかマジで最低だな。「なんでも物語にしようとしないでくれる?」ほんそれ。

いや〜素晴らしいな。男主人公の加害性としょうもなさが徹底的に糾弾される。これもまた一つの(しょうもない)ミソジニーというか、女性にかまってほしい醜いヘテロ男性心理の典型的な表れではあるが、必要最低限の言葉を残してすぐに主人公の前から去る妻の振る舞いは完璧だと思う。教え子との交流よりも、関係が徹底的に破壊された妻とのドロドロした後処理の話をこそ読みたいんだけど、それを欲する事自体が妻からすれば「何もわかっていない」んだよな。
ならば、このまま妻に逃げられて、徹底的に孤独なまま崩壊する主人公の行く末を見たいんだけど、そこに波多野凛という「救い」が存在しているのがなぁ…… まぁそのための夫婦崩壊ではあるんだけど。

こんなときでも律儀に出勤し授業をこなす有島。自分と凛とを、ここに居場所のない別世界の人間として素朴にロマンチシズムを適用しているのがほんと腹立つ。しょうもない。妻がいなくなった以後、そのしょうもなさにどれだけ物語が自覚的であれるかが、本章の評価に直結するだろう。

ルー語だ。やっぱりCASE1では波多野秋房がスペンサーに相当する人物なのか。
めっちゃ薄っぺらい秋房の日記に全面的に共感して理解者を見つけたと興奮する有島。どっちもしょうもねぇ。
秋房の仕事場の原稿が最終的に火事で燃える確率70%くらい?
波多野秋房はできちゃった婚だったのか。望まれない結婚、望まれない子供──凛かわいそうに。


教え子と食事をして奢り、まだ奢られ慣れていない美少女に「これからどんどん男が気持ちよく会計できる優雅な立ち振舞を覚えていくんだろうなぁ」と儚さを覚えるのくそキモくてすき

教え子の一人暮らしの家で夕食。『羅生門』冒頭の文を芥川の心の叫びでもあると解釈するのは、これまでの章での芸術-作者観と整合している。


父の法人事務所のクレカで高い買い物を平然として夕食を振る舞ってくれた教え子に説教する犯罪教師。諭す内容自体はまぁ真っ当なのがまた面白い。本人自体が説教してられる立場ではないということを除けば。ある意味、主体の属性や状況を度外視して普遍的な倫理に奉仕するのは誠実かもしれないが。

私は、軽く一世帯は埋められる巨大な墓穴を掘ったようだ。

わろた。不謹慎シュールギャグコントとしてかなり面白いんじゃないか? これまで、シリアスよりもコメディが上手いライターだとは思ってきたが、本章もやはり捻くれたコメディとして読んだほうが楽しめる気がする。

波多野凛さんの境遇もなかなか難しいよなー…… 世間の常識から外れた裕福な一人暮らし生活を送る学生、というのは羨望の対象にも憐憫の対象にもなり得る。有島はそれを理解した上で、彼女のためを思って、自分で稼いだものではないお金を散財するなと諭す。常識を教えてくれる大人がいない環境でこれまで育ってきた不幸を鑑みた上で。
ひとつ言えるのは、説教されて落ち込んで「お茶を淹れてもいいですか。……わたしのお金で買ったものじゃ、ないですけど……」とシュンとしながらもなお有島に対してグイグイいく凛はなかなかにいじらしいということ。

……そうか。わたし今日、初めて人に怒られたんだ。

教師の有島に自分の父親代わりというロールを求めたくなる凛。
死んだ母親代わりに歳上の教育実習生と懇ろになり、男主人公側が自身の未熟さに焦りもするCASE3とは対照的でいいですね。すももはむしろ、カンナよりも自分が大人である(早く老いていく存在である)ことに焦燥感を覚えていたけれど、CASE1で凛は飴井カンナのように、好きな人に比べて自分が子供であることを恥じる。

この前の凛の悲しみは秋房が生んだもので、今日の凛の悲しみを生んだのは、ある意味においては私だ。
それを思うと──
わたしは不思議と嬉しくなった。
凛には、私の言葉が確かに届いているのだ。

これは作家として嫉妬の対象であった秋房から娘を寝取った(代替した)高揚感としても読めるか。


この場所で、今、私の口が吐き出しているのは私の言葉ではない。

授業なんだから当たり前だろ。ましてや古文という、私が生まれるずっと前に生きていた人々の紡いだ言葉を、その連綿と続いてきた研究の文脈に乗せて今生きる若者に教える大切な場なのに。「私の言葉」至上主義が通底しているなぁ。それは学問や芸術の軽視に繋がっている。こうした面は、ひとつのフィクションとしての本作にどのような影響を与えているのか?

一人で食事をするよりも、凛との時間が楽しいなら私から誘えばいいだけの話だ。
私が非常勤講師であることも、凛が私の受け持つ生徒であることも──
それは互いが担っている立場の一側面でしかなく、私たちの人間性とはなんの関係もないラベルでしかない。

まじで大人失格だなこいつ。本気で言ってんのか。「担っている立場」をすべて剥がしたところに独立した「私たちの人間性」があるのだと素朴に信奉している、思春期の子供じみたロマン主義。教師-生徒という関係が「担っている立場の一側面」であるからこそ、それに応じて関わり方を考えるべきだ。と、つまらない道徳律を説きながら、いいぞもっとやれ!大人失格のクソ教師!!と楽しんで読んでいる。


彼らはいつから父の顔を持つようになったのだろうか。
女性のように、腹を痛めて子を産んだわけでもないのに。

答えがあからさまなありふれた着眼とはいえ、こうした性差にエロゲのなかで真っ当に言及するのは興味深い。

いま有島が教え子である凛の擬似的な父親(かつ恋人)になりつつあるように、凛の実父である波多野秋房を含めて世の全ての「父親」は実は "擬似的な父親" に過ぎないのではないか? だからこそできちゃった婚や我が子の認知問題(父であると認めるかどうかの審級)が存在するのだし。つまり、女性の体内への射精行為そのものが「父」としての通過儀礼たり得ないことへの男性の葛藤(と責任逃れ)の問題として読める。

これは往年のKey作品や『終のステラ』などを含め、ヒロインの擬似的な父親になる男主人公、というエロゲ/ギャルゲの一潮流の上でもどう考えられるべきだろうか。

ただし、あまりにこうした生物学的/解剖学的な性差(ジェンダーではなくセックス)を強調し過ぎるのもまた、本質主義に基づく多方面に差別的な価値観へと容易に接続することは注意が必要である。


え? 「貴族の末裔」て。スペンサーは波多野秋房じゃなくて凛のバイト先のスーパーの店員かいw 立ち絵すらないぞ。

バイトによる自己実現。いくら有島から「他人の金で歳不相応な贅沢をするな」と諭されてショックを受けたとはいえ、自ら資本主義に絡め取られに行かなくてもいいのに……これは難しいところですね…… てか、諭すべきなのは高校生のうちから非常識な散財をしないほうがいい、という点のみであって、自分で稼いでないお金で出しゃばるな云々はお門違いだよな。だって(亡き)親の遺産なんだし、どう考えても凛のお金ではある。稼いでないお金云々は、あくまで子供らしからぬ高価な買い物を無自覚に行っていることの危うさを浮き彫りにするためのこじつけに過ぎないので、本当は、もう少し庶民的な感覚を身に付けさえすればバイトなんてする必要はない。学生(高校生)の本分は勉強であり青春! 決して労働ではない!!!


肩出しの私服これはいけませんね……

即日バイトの給料で料理を振る舞える凛うっきうきでかわいい
しかし「自分で稼いだお金で買い物をするのは、確かにちょっと楽しかった」と高校生の教え子に言わせるのは…… いや「生活感に溢れた場所に、きみはいなさそうだ」という幻想を凛に押し付けるのは確かに良くないんだけど、だからといってその幻想からの脱却のために若い内から労働に従事するのを肯定的に描くのはどうなん? そもそもそれは有島(や我々プレイヤー)が凛に抱いた幻想であって、それをなんで凛が主体的に行動することで解消しなくてはならないんだ。変わるべきは幻想を投影されている側ではなく投影している側だろう。

うわ〜〜 「いいこ」!! オリヴィア〜〜 オムニバス形式でヒロインの鋳型が同じだという設定を生かした鋭い展開
けっきょくウィルとオリヴィアの年齢関係はわからないままだが、そこでの台詞をこうして明確に歳下の(子供扱いされたくない)ヒロインに言わせる破壊力よ。


小説よりも日記。ウィルがオリヴィアの所作を観察してトレースしたように、有島は秋房の日記から秋房という存在に深くのめり込み、トレースしようとしている。
有島は千葉県南房総市の出身。CASE3とも繋がった。

あの美しいほどに純粋な嫉妬心。
毅然とした主張。
凛の瑞々しい全てが、私には苦痛だった。

有島は凛の、祥子への嫉妬心(自分へのやきもち)を快くは思っていなかった。というか、あぁいう修羅場を経験すればそれはそうか。凛と秋房を「親子」と一括りにして糾弾する、もっとも彼女が傷つく言葉を的確に吐いて応戦した。そして有島に残されたのは秋房の日記のみ──。

凛と自分が一緒にいる(惨めな)ところを元妻の祥子に見られることにとりわけ不快感と動揺を覚えるのは、有島のなかでまだ祥子が一種特別な存在であることの証左だろう。「見られる」ことの不快感というのは、基本はヒロインを見てばっかりの男主人公的にもかなり面白いテーマ。


せめて死に方だけは秋房を真似ようとする有島。月曜の朝に、人生で初めて学校をサボってドキドキするの子供かよw
秋房に親近感を抱いていくガキンチョパートより、祥子との離婚調停や後処理といった大人の生々しいやつが見たかったなぁ


秋房が自死した浴室の清潔な床やシャワーヘッドから降りかかる水といった「映画的」なスチルの自己陶酔感と、凛からのLINEのアジの三枚開きの画像とトーク画面を直截に映す「非-映画的」な演出の現実感の対比がすばらしい。

「美少女」あるいは「ヒロイン」の自殺はエロゲにおいて映える(映えてしまう)けれど、中年男性主人公の自殺は映えない。

死の淵から醜く生還した有島は、自分の使命が凛への自らの執着・愛を書き綴って伝えることにあると確信する。それはもはや小説ではなくラブレターだろ。

有島「──いや、今の私には自分のことしか書けない。それに気がついた」

まぁどの章の男主人公の創作態度もこれだよね。
原稿を読む前に行為に入る。まぁ読み終えたあとに(感動して)やるのも執筆の報酬みたいで嫌らしいけど。
改めて、桃ノ内すももさんの貞操観念すごいな。手は出してたとはいえ。
波多野凛にとっては、失われた〈父〉という性的な対象を獲得し直すという、めちゃくちゃフロイト的なおはなしになっている。

凛さん、祥子への競争心がエグいな…… 有島の家のキッチンで料理をして、徹底的に「妻」の座を奪い取ろうと、自分で塗り潰そうとしている。祥子本人はもう有島に関わりたくないだろう。
自宅での執筆合宿。二十年遅れの青春。

地上を知らない少年少女と一匹の鳥の話。これも世凪たちの世界と関係があるのか。

ここがあの女の寝室ね。

うお〜〜 妊娠…… 卒業までなあなあで続くかと思ってたけど、こう来るか。アツいな

CASE1おわり! マジか…… めっちゃバッドエンドじゃん…… 最後の展開がいきなり重すぎて全部持ってかれた。

男は小説を書き、女は子供を産み育てる。それでいいのか……
小説は一人で書けるかもしれないけれど、子供を一人で育てるのは美徳でもなんでもない。自身を孕ませた愛する男のためを思って、彼には妊娠を知らせずに、10代の女性がひとりで産み育てるのを決意して終わる──のを、さも成長とか美徳かのように描くことのおぞましさといったら。

問題は、この結末を作品自体がどう位置づけているかだよな。それは今後、CASE0で明かされる真相?でこれらの「夢」がどう扱われるかにもよる。しかしCASE1単体としては、背徳的な物語が最後の最後で背徳とかそういう問題ではない、より生々しいミソジニーに裏付けられたおぞましい着地をする極めて容認し難いものと読まざるを得ない……桃ノ内すももの株がどんどん上がっていく。。


つづき


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