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プロセカ『ワンダーランズ×ショウタイム』ストーリー雑感メモ


ニーゴの次にワンダーランズ×ショウタイム(ワンダショ)のストーリー全20話を読みました。
これは読み終わってから書いた文章ではなく、読みながら何か思うことが少しでもあればどれだけしょーもないことでもメモったやつです。1枚もスクショを貼ってないのでゲームのどの場面を指してコメントしてるのか非常に分かりにくいと思います。
整理されたユニット考察やキャラ考察を読みたいひとは他をあたってください。

もちろんネタバレ満載なので注意!(ただ、ストーリーと並走した感想なので、例えば5話まで読んだひとは5話までの感想までなら6話以降のネタバレは無いので読んでも大丈夫です)





プロローグ
「スターを目指す理由」を忘れた司に「本当の想い」を見つけてもらうためにセカイが生まれた。
まず、夢の理由を忘れるって普通あり得ないだろう。そもそも明確なきっかけが存在しなかったり、いつの間にかすり替わっていたりすることはあるかもしれないが、「忘れる」ってのは非常にフィクショナルだ。
そして、このフィクショナルな起点が、ワンダショのハチャメチャ感、コミカル具合の源泉となっている。


1話
あれ、寧々と類は司の前からワンダーステージで働いてなかったのか?

意外と、オーディションに不採用だったこと自体にはショックを受けていない。(受ける暇なくえむの相手をしているだけかもしれないが…)


2話
フェニックスワンダーランドの全面改修、ワンダーステージだけ工事が延期……何か理由がありそう。

お魚の世界のショー、えむはマンボウ役。誰が脚本・演出をしていた?

えむが司を強制的に引き止めるのすこ。でもこれ男女逆なら許されないよな……

ワンダーステージをお客さんでいっぱいにするというえむの「約束」…誰と?

プロジェクターにいきなりミクが投影されたのに対して、えむが意外と冷静に驚いている。もっとテンションがあがって飛びつくかと。


3話
セカイに来た司「そもそもなぜ、バーチャル・シンガーのミクやカイトがいるんだ?」とかすごく冷静で合理的な質問してる。
(それに対して全く答えになっていないカイトの回答)

セカイのミクたちは、セカイが出来たのと同時に生まれたってことだよね?

このセカイのミクの喋り方いいな。


4話
自分が世界一のスター街道を進むことは全く疑わないのに、周囲の状況に対してはきわめて常識的な反応を示す司。
おそらく司の素は常識人のほう。
でも、幼い頃から「スターになる」という自己暗示をかけすぎて、司の中ではそれが当たり前になっている?
だから結果的に、スター関連のみ非常識な常識人になった?
周りは見えているが自分が見えていない


5話
類、超名門校から最近転入してきただとッ・・・!?
これは過去妄想が捗る〜〜〜


6話
勧誘パート、部活モノか冒険モノの仲間集めパートみたいで熱いな〜〜〜。
司が自信満々かつ相手の魅力を完全に肯定して誘ってるのが良い。

「これも、いい機会かもしれないな……」類→寧々の感情気になる〜〜〜〜

類とえむの会話めちゃくちゃ面白くて草


7話
そういやなんで寧々は付いてきたんだろう。類に言われて仕方なく、かな。
寧々自身にそんなにステージに立ちたい願望は無さそうだし。類と一緒にいたいのかな……

司と寧々の絡みはすでに完成されてる感。
えむと寧々の絡みに期待。

類寧々にものすごい湿度のポテンシャルを感じる……


8話
「劇団ペガサス☆インザスカイ」のえむ評を聞きたかった。酷評するのか……?

えむの劇団ネーミングに対する「……教育テレビ番組?」って控えめなネネロボのツッコミいい。まだ遠慮してる感じがたまらない。

「ワンダーステージはショーでいろんな”世界"になる」……”セカイ”設定と引き合わせて考えたくなるなぁ。
ワンダーステージとボカロ(曲)が対応してるのか?「ボカロは曲によっていろんなセカイを創る」

☓の意味いいなぁ。かけ算でショーをした分だけワンダーランドが増えていく、だから複数形のワンダーランズなのか。


9話
おお!すでにナチュラルに寧々が「えむ」と呼んでる!幕間に何か話したのかなぁ、いいなあ。

類の実験的演出でステージ中に司が事故死するifルートの二次創作ほしい。(もうありそう)

演出周りになるとえむ・司・類の3人がなんだかんだで我に返らず暴走する。それを傍から呆れて見守る寧々(3人を止める気はさらさらない)という構図がいい。

高校生4人で一般の商業施設の舞台をイチから企画・運営・実演してるの、冷静に考えるとどうなんだ???
これってやってることは内容だけ見れば文化祭の出し物企画みたいなもんで、文化祭前の準備期間がずっと続いている感じだよな、このユニットは。


10話
セカイに移動するときネネロボごと来てるけど、物陰に隠れてた寧々はセカイでも慌てて物陰に隠れたりするのかな。(それとも都合よくセカイの物陰に転送される?)

ミクさん超絶陽キャでワロタ。寧々の””陰””属性が引き立つ練られた展開。

うさぎのぬいぐるみのCV誰だ……?えむの人?設定的に咲希の人?藤田咲さんでは……ないか。

来年のエイプリルフールネタでネネロボの3DMV実装してほしい。(エイプリルフール曲、ボカロで一体どれだけあるんだ……?)



11話
そういやえむだけ高校が違うのってなんでだろう。メタに理由を考えると。

ワンダショは4人それぞれでめちゃくちゃキャラが立ってる上に、6通りのどのペアの組み合わせでも魅力的な関係性が出来てるからまじで強い。


12話
電池切れとは単純すぎて逆に盲点だったな〜。
これって客観的には整備を怠った類の責任では……?
でも類自身はほとんど責任を感じていないところからすると、ネネロボの運用はほとんどもう寧々に任せっきりだったんだな。


13話
ここで寧々(本人)と初対面なのか、えむと司は。

ここで司がキレるのかー。

類の論理的な諭し方ほんとすき。信頼できる。
「客と向き合う」ってのは物理的なものだけじゃないよね。
演出家や脚本家、監督たち、大道具小道具、照明係などの演者以外のスタッフ全否定することになっちゃう。
でもそれは、ほとんど自分たちだけでショーを作り上げていた司たちだからこそ気付けない点でもあって、ここは脚本の妙だなぁ。
普通は演者兼脚本とかやらないもんね。
実態は高校生の学園祭みたいな感じだけど、司の意気込み・メンタリティはスターになるための正真正銘のプロとしてのショー作りだったというアンビバレンスが綺麗に破綻して、こうして問題として表面化したって感じか。

「……スターになるために……?……ああ、なんだ。本当に言葉通りなのか。君にとって、ショーは自分の目的を果たすための手段にすぎないんだね」

うわ〜〜〜〜クリティカルすぎる。ここで司の”セカイ”が生まれた理由、本当の想いを思い出すことに繋がるのか。シンプルに上手い。

「僕はもうここにはこない。それと、君はスターになんてなれない」

うわあああああクリティカルを積み重ねんな〜〜〜〜(最高〜〜〜〜〜)

このへんの諍いに一切えむが口出しを出来ていないってのもまたポイントだよなぁ。

えむは「自分が楽しんで、お客さんも楽しませたい」、司は「自分がスターになれたら楽しいが、ショーが失敗したら楽しいわけがない」で見事にすれ違ってる。

神山通りって何?悩み落ち込む人のための通りなの?

夜の「ワンダーランドのセカイ」キレイだな!オーロラとか観覧車のパープルめのライトアップとか。


14話
司のわんだほ〜いは狙いすぎてるけどかわいくてワロタ。パンダホ〜イ!

まぁ予想は出来てたけど、劇が劇中劇をなぞるって王道の展開だよなぁやっぱ。
なんだっけ、ツカサリオン?みたいなやつ?
一度躓いてから、精神世界的なところで自身のルーツに関係ありそうな謎のマスコットとリハビリ的冒険をするところとか、司の英雄譚=主人公譚としてバッチリ決まってる。
『君の名は。』でいったら口噛み酒を飲んだあとのあの数分間の素晴らしい幻想アニメーションパートに相当するやつだ。

「セカイにあるのは、そのセカイを生み出した人の想いの奥底にあるもの」
分かってはいたけどこういう展開ズルいわ〜〜〜泣く。

兄妹の病院エピソードやめて〜〜〜〜〜こういうの弱いの〜〜〜〜
てか、いうて司と咲希って1歳しか離れてないんだよな……

「……オレよりあいつらのほうが、よっぽどスターじゃないか……」
そうか、他の3人はとっくに「皆を笑顔にするためにショーをしたい」というスタンスだったから、この3人からはセカイが現れず、あくまで司ひとりがセカイを生み出したんだな……。

ちょっと水を差すことを思いついてしまった。
本当の想いを「見つける」じゃなくて「思い出す」なんだよな司は。
これってレオニの、幼馴染だったあの頃を「取り戻す」って動詞モチーフと似ていて、なんだか今のところこのゲームでは革新よりも保守を礼賛してる向きがあるように感じる。
べつにそれが悪いってことじゃないけど。でもなんかこういう若者向けエンタメ作品って「保守より革新を!」みたいなノリで大団円にもっていくものが多いような気がするから、ちょっと変わってるな〜と思った。

なぜ「革新より保守」を称揚するストーリーに今のところ(っていってもサンプル数2だけど)なってるかって考えると、やはりキャラクターの魅力を「関係性」に基づいて売り出していこうというスタンスの影響だと思う。
関係性というか、「過去」のエピソードにそのキャラの一番大きなわかりやすい魅力を見出させる手法だな。
これってサービス開始直後だから、キャラの「未来」なんてものはまだわからないわけで、「現在」の魅力をプレゼンするときに「過去」に訴えるってのは至極当たり前のやり方だ。

あーでもこのへんの過去-現在-未来におけるキャラクターコンテンツの展開の仕方って、発売時点で完結しているコンシューマゲームじゃなくて、プレイヤーの時間軸とコンテンツの歴史が並走して進んでいくソーシャルゲームならではの要素って感じもする。ソシャゲだからこそ「未来」の話はじっさいに現実世界における「未来」に展開できる。「未来」がいずれ「現在」そして「過去」になっていくことを前提としたストーリー作り・キャラ作りができる。買い切りゲームだとこうはいかない。

なんか大げさな話になっちゃった。
プロセカに戻ると、サービス開始直後だから今は保守的なストーリー展開が目立つけど、サービスが続けば、この最初のストーリーを覆して乗り越えていく形の革新派のシナリオももっと増えてくるのだろうと予想するって話。


夕方のフェニックスワンダーランドの背景美術もいい!!!司一瞬どいてくれないかな……(ノベルゲーの背景オタク)


15話
うおおおお観覧車内の背景もあるのか!!!豪華!


なるほどおじいちゃんがオリジンなのね。(これもまぁ過去の因縁なので保守的か)
ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夢』みたいな感じでえむのおじいちゃんの二次小説書きたい……

なんか、杏のお父さんといい、奏のお父さんといい、東雲姉弟のお父さんといい、えむのおじいちゃんといい、男性血縁に因縁があるキャラ多くない??
逆に母親とかとアレなのは……あっ、いましたね……。

ああ、意外と打算的というか、世知辛い状況のなかでやっていたのねえむちゃんも。

司くんかっこいいよ……ああ……あなたは正真正銘のスターだ

まず「バカえむ!!お前が泣きそうになって、どうすんだよ!えむだって、お前のじいさんが言ってたみんなだろ!?」と叱りつけながら眼前で泣いているえむの涙を止める説得をしてから、「……オレが悪かった、えむ」と謝るの、完璧すぎる。
謝罪が先じゃだめなんだよな。まず叱って励ましてから、過ちを謝って一歩引いて、そして「だからまた……オレと一緒にショーをしてくれないか?」という”申し出”なの、ほんとうに良い。一般的に良い台詞展開であるだけでなく、これが司の芯の部分から自然に出てくるんだよなぁと納得させられる、キャラクター性とも見事に合致した流れ。

ネネロボっていつから存在したんだっけ。かなり前からの付き合い???
寧々が自身でステージに立って歌う展開なんだろうけど、ネネロボもショーの要素として魅力的だし、何より寧々がネネロボにすごく思い入れがあるようなので、うまく共存していってほしいなぁ。一緒にステージに立つのかな。

寧々にピノキオピーの「東京マヌカン」とか歌ってほしい。
というかこの子、ピノさんのちょっとしっとり目の曲が全般的に合いすぎる説ない?


16話
泣きながら逃走する寧々を追いかけるシーンをコメディにできるのはほんとワンダショの強みだよなぁ。あくまでコメディというか、「楽しい」が根底にあるユニットって感じがストーリーにもよく現れてる。

個人的に、完全に自分の責任でしかないトラウマを抱えたキャラが好きなので寧々ちゃん推せる。

なんかあれだな、今の年齢が高校1,2年生である設定のために、プロセカ時空では中学時代=トラウマ製造期みたいな位置づけになってない?大丈夫???

寧々、「ここさけ」の成瀬順に近いものがあるな……寧々に「わたしの声」歌ってほしい。(で、類が合流して「心が叫びだす | あなたの名前呼ぶよ」をデュエットすれば完璧。ワンダショ全員でコーラスしてもいいな)




17話
ぼく、おさななななじみCPだ〜〜いすき!!!

ああーーー……ここでひとりぼっちの錬金術師の続きをやるのか……!

類が「君とはもうショーをやらない」と言って抜けた理由ってあんまし明瞭じゃないんだよな。
だから司が謝っても「それは関係ない。君と寧々の問題だ」ってすごく理知的で冷たい割り切りをしてくる。このへんの類のいかにも頭がいい人ってかんじの質感の思考過程、すんごくそそる。性癖。

「最高のショーがしたい」っていうけど、この動機も「スターになりたい」と同じくらい漠然とした目標だよなぁ。
自分が最高だと思って満足できればそれでいい……というわけではないのは、類も「お客さんを笑顔にする最高のショー」的な発言をしてることからわかる。
そうなると、類の「最高のショーができればそれでいい」というスタンスは別に司の(以前の)「スターになりたい」って動機と噛み合わないわけでもないような気がするんだが。
自分の動機うんぬんよりも前に、司をひとりのショーマンとして期待していて、その期待が外れて失望したから抜けた、って理由のほうがしっくりくる。

ここで追いかけられないナイーヴな司すきだよ。


ワンダショ……というか司に「スターナイトスノウ」合わないかな(突然)
いや、スターで連想しただけなんだけど "いつかまた泣くならば笑って 笑って” とか、良さげじゃない?





18話
「話を聞かない道化役者」は草。

ここでステージに立てている寧々にだけ反応する類すき。

ああそうか、ペガサス王子の英雄譚が司の主人公譚にオーバーラップしてくるだけでなく、ここで更に、それまでの自分たちの辿った軌跡を「劇」として再上演することで3つ目の演劇の位相がストーリー中に現れて、類を説得する取っ掛かりになるのか。
ここで司が、すでにものすごく反省している傍若無人な過去の過ちを自ら再演してるのすんごく良いなぁ。
これ、演劇が現在の彼らの状況に追いつく時点から、劇と現実が融合するんだよなおそらく。

劇中での語り部がこのセカイのミクさんであるという位置づけも、ワンダショのストーリーにおけるミクの立ち位置、それからプロセカ全体におけるバーチャル・シンガーの立ち位置を踏まえていくらでも考察できるな……うーむ、これはめちゃくちゃ深そうだぞ。。。
(『語り部としてのボカロ』ってテーマだけで数百曲は集めて分厚い評論が書けそうなのがボカロ文化のやべえところ)


そもそもプロセカ外の、我々の現実世界におけるミク(たちボカロ)ってのは我々が作曲や絵などの創作をすることで創り出せる存在だ。つまり、ミクは我々現実の人間に完全に依存している。ボカロに対して創作者(人間)はメタに立っている
(こうしたボカロ観はまさに『愛されなくても君がいる』だ)

でも、ここではミクが司たち人間の劇(フィクション)の語り部を務めていて、つまりは人間に対してボカロが局所的にメタに立つという倒錯が起きている。
あるいは、プロセカ全体の世界観としても、ミクたちバーチャル・シンガーはどうやらセカイからこちらの現実世界を覗いているようで、割と好きなときに彼女らの意思で干渉してくる。これもボカロが人間に対しメタに立っている構図として解釈しやすい。
ただ、セカイは人間の想いから生まれる場所なので、その意味ではやはり、実際の現実世界(ややこしい)の、我々とボカロの勢力関係に近い。

このように、ちょっと考えるだけでももんのすご〜くややこしく面白そうなセカイが広がっているという気がする。そのうち向こうから呼ばれたら"本当の想い"を見つけに行きたいと思います。


「かわいい妖精」でダヨーさん出てくるのズルいだろwwww笑わせんなwww最高

ここで類が大真面目にハッとしてるの、"シリアスな笑い"じゃん


"あの日司と咲希を笑顔にしたスター"アンソロとかないかな。


あぁこの劇、べつに類の説得のためだけじゃなく、司が自分の「本当の想い」と向き合って、懺悔して、これからを決意して宣言する儀式としても機能してるのか。
司だけじゃなくて、寧々がステージ上で演技してトラウマを乗り越えるリハビリでもあるし。この場面設定天才だろ。

うわ〜〜〜「ワンダーランズ×ショウタイム」というユニットストーリー(フィクション)のなかの、類を再び引き入れるためのショー(フィクション)のなかの、旅の一座が錬金術師を再び引き入れるためのショー(フィクション)だ!!!
メタフィクション好きとして大興奮ものですよこれは。

何物をも演じていない"素の司”として類に謝って説得しようとしても失敗した。それは類が"ショーマンとしての司"に失望しているからだ。
だから、彼は”座長”という役を被って、その被った役柄のままに、それでも司としての本心を錬金術師=類に訴える。
最後の最後に、台詞としての『』が外れて、素の司として「……だからもう一度、オレと一緒にショーをやってくれないか?」と声をかける演出、鳥肌が立った。

「ビューティフルなフィクション」じゃん……しんどい……


ああああ「僕は類じゃない。錬金術師さ」完全に解釈一致です完璧ありがとうございました。これにて閉幕!


19話
どのユニットストーリー読んでも思うんだけど、19話の途中でその想いが具現化した歌のライブが挟まる演出入れてほしいんですけど〜〜〜〜
話読み終わってからだと感情のピークを微妙に取り逃してる気がしてむず痒いんですけど〜〜〜〜〜〜

そうか、ワンダーランじゃなくてワンダーランのセカイなのは、司ひとりの想いから生まれたセカイだからか。
ここで司が本当の想いを見つけて、4人がワンダーランズ×ショウタイムとして歩みだす。
これから彼らはたくさんショーをして、そのたびに様々なセカイ=世界を作っていく。(司と出会う前にえむがやっていたショーが「○○の世界」という形式ばかりだったのもここで活きてくる)
その、数え切れないほどこれから生まれるワンダーランズ=セカイの始まりを告げる曲(="”再生を告げる鐘”")が「セカイはまだ始まってすらいない」なの、完璧すぎんだろ……
(「完璧」って使いすぎて陳腐化してるほどにワンダショのストーリーの完成度はえげつない)


「連休までに動員を稼がないとステージが撤去されちゃう!」完全にガルパンのノリ。(ラブライブもそうか)

まーたそうやってメタフィクショーを重ねて俺たちを喜ばせる〜〜〜〜〜

司自身が「オレはスターだからな!」なじゃなくて「未来のスターだからな!」と言って締め。All perfect.


〜MV視聴中〜



20話
「わ……わんだほい!!(感激)」こっちも泣くわ

あっ、「今度はネネロボも一緒に、ステージに立てたらいいな」うれしい!

セカイのミクたち、ショーやるって言ってるけど観客はいるんだろうか……ぬいぐるみたち……?




おしまい!!!
めちゃくちゃ良かった!!!
「ショーで皆を笑顔にする」というミュージカルユニットのコンセプトが、プロセカの根幹の「想いの数だけセカイ=ミクは存在する」→「一緒に歌おう!」というテーマと見事に結びついてとてつもない完成度のストーリーに仕上がっていた。笑って泣けて、まさに最高のショーだった。

リリース前のワンダショのイメージは「司とえむという元気キャラ2人が掛け合いながら引っ張っていくユニット」だったんだけど、まぁ幕が上がってみれば全然違った。
4人それぞれのキャラが濃いのはもちろんのこと、どの組み合わせでも面白い掛け合いとエモい関係が出来て、おそろしく作り込まれたユニットだと感じた。これは人気出るのも頷ける。
どうせ変人奇才キャラなんでしょとノーマークだった類が、思ったより地に足のついた人間味のある理知的なキャラだったのもすっごく刺さった。推しといっていいかもしれない。
寧々も興味薄かったけどすっごく好きになった。類に湿っぽく重い感情抱いてそうでいいと思います。(それはお互い様か)
えむちゃん?最初から大好きです。
「のんのんびより」のれんちょんとか「よつばと!」のよつばのようなイノセントなキャラが好みなんだけど、えむは高校生なので相応の落ち着いた面をときおり見せる感じが更にたまらない。
いろんな表情をしてくれて見てるだけで飽きない。

全ユニットを読むまでどこを贔屓にするかは決めずに中立でいきたいと思ってるけど、ワンダショは今のところすごく有望株ですね。
なかでもいちばんの推しはピノキオピーです。よろしくお願いします。





これはリリース前日に書いたやつ


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