ヒトとは?人間とは?(2)

 ダーウィンは、その当時18世紀の人たちに、人間の体がサルと同じ祖先から変化して現在のように進化してきたことを知らしめることができました。

 そして、心も体同様、サルと同じ祖先から変化して進化してきたと考え、そのことを説得しようとしましたが、こちらはうまくいきませんでした。

人間の精神と高等動物の精神との差異は確かに大きいが、それは性質ではなく程度の差異である。われわれはこれまで、感覚や直感、あるいは愛情、記憶、注意、好奇心、模倣、推理などのさまざまな感情や心的能力といった、人間が誇っているものが、下等動物にも原始的な状態で見つかり、ときにはかなり発達してることを見てきた。チャールズ・ダーウィン著『人間の進化と性淘汰』(文一総合出版)より

 17世紀、ルネ・デカルトは、「彼ら(獣)は知識でなく器官の性質によって行動する。……獣は、人間よりも少ない理性しかもっていないどころか、まったく理性を欠いているのである」といっています。それに対して、ダーウィンは、人間固有であると思われている心が、動物たちの行動にも見られ、それは、性質の違いではなく程度の差異だと言っています。ダーウィンは、ある程度、このデカルトの考え方を揺るがすことに成功しますが、世の中の考え方を一変させるところまでは持って行けませんでした。

 20世紀前半になると、心理学者たちが、訓練すると、犬や猫がドアノブを空けることできるようになるのは、何回もくりかえし行った結果であり、犬猫が考えて理屈を理解し、それができるようになったわけではないことを実験結果から見いだします。そして、動物たちに心はなく、ただ機械的に動いているにすぎないと主張します。

 その後、この考え方が主流となり、ダーウィンが主張した程度の差はあれ、動物にも同じような心があるとの主張は、20世紀後半に入るまで、ある意味封印されてしまいます。

 ところで、ダーウィンのいとこであるフランシス・ゴールトンという人物は、ダーウィンの進化論を人間社会に当てはめ、社会において、積極的に自然淘汰をおこし、優秀な人材を増やし、優秀な人材で社会を満たしいくべきだと主張し、その学問を優生学と自ら名づけました。今では考えられない話ですが、当時の彼は、優秀な家系は、積極的に近親で縁組みして、より質の高い家系を築いていくべきだと主張していました。

 19世紀後半から20世紀のはじめにかけて、植民地を拡充していく社会において、この考え方は、自由主義者や社会主義者を中心に支持されます。ちょうど、日本では、幕末から明治維新、そして明治政府樹立の時期にあたります。そして、世界はより優秀な民族が納めていくべきだという考え方が広まっていきます。イギリスを初めとして世界各国に領土を広げていったヨーロッパ諸国はもちろんのこと、アメリカや日本でもその考え方は広まっていきます。そして、その流れが単一民族主義などに発展していき、最終的にはナチスドイツがおこなったユダヤ人の大量虐殺に結びついてしまいます。ダーウィンの進化論による負の遺産ともいうべきものでしょうか。このへんのドロドロした話はまた別の機会にしようと思います。

 しかし、この優生学では、一番大事なことが抜けているのです。進化の過程の自然選択は、すべてが都合のいい方向に向いているわけではありません。偶然による選択なのです。だから、常に人間にとって有利な方向に進化するとは限らないのです。ゴールトンが主張した近親同士の縁組みなど血が濃くなって家系を維持するどころか、死産になるか奇形を生むきっかけにしかなりません。動物たちでも自然に避けるしくみを持っているのに、そのしくみを無視して、タブーを実施すべきだと主張していたのです。動物たちが近親相姦を防ぐしくみをもっている話は後日別途したいと思います。

 優生学のような考え方は、今でもどこかでくすぶっています。人間だけを特別視する考え方から発展して、我々の民族は特別優秀だと考えてしまう人たちが後を絶たないのでしょう。しかし、この考え方は、ダーウィンの進化論とはまったく関係ありません。解釈が間違っているだけです。

 さて、次回は、1970年代に世界の考え方を一変させる話に移ります。動物の中でもヒトに近い動物に心があることが判明します。

 エッセイ集Ⅱ もくじ


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