ヒトとは?人間とは?(36)

 11世紀の終わり頃、ローマ教皇の呼びかけで、キリスト教の聖地であるエルサレムを奪回するための十字軍遠征が始まります。

 第1回十字軍は、バルカン半島の西海岸沿いを陸路でパレスティナを通ってエルサレムに向かいました。彼らは、宗教的熱狂に包まれており、その勢いで、次々とイスラム教徒を虐殺していきます。そして、最後にエルサレムの奪回に成功します。

 一度、エルサレムを奪回すると、そこを維持するために物資などをヨーロッパからエルサレムへ運ぶ必要がでてきます。そこで、海上を使った船での物資輸送が始まります。その拠点になったのが、ヴェネツィアでした。こうして、大量の人や物資が、ヴェネチアを通ることになりました。

 十字軍の遠征は、9回ほど行われましたが、この一大イベントによる恩恵を一番多く手に入れたのがヴェネツィアでした。

 ヴェネチアは、十字軍に船をレンタルするだけでなく、水や食糧そして、乗組員や兵士まで用意して貸し出していました。もともと、ヴェネツィアでは、海外貿易を行っている商人たちに、船や乗組員を貸し出すことが行われていました。それを、十字軍に応用したのでしょう。こうして、莫大な契約金を手にします。また、ヴェネツィアは、自分たちが優位になるような契約を十字軍と結んでいました。それは、十字軍が征服した土地の一部を割譲してもらう契約でした。そのため、ヴェネツィアは、貨幣だけでなく、領地も手に入れることができたのです。また、ヴェネツィアを通る物資には、関税をかけました。これによる利益は、莫大なものでした。

 十字軍が活躍して、領土を奪えば、自動的に、ヴェネツィアの領土も増えていきます。また、物資がヴェネツィアを通れば、ヴェネツィアの財政が潤います。こうやって、ヴェネツィアは、財政面においても、領土の面においても他に例を見ない強国になっていきます。

 15世紀末のヴェネツィアの人口は18万人を超していました。そして、獲得した領土と合わせた総人口は、200万人を有に超していました。この頃の都市国家の人口は、およそ7~8万人ぐらいだったので、ヴェネツィアがいかに繁栄していたかがわかります。

 観光で有名なヴェネツィアのサン・マルコ聖堂の正面の上の方には、等身大の四頭の馬の彫刻が、今でもあります。この四頭の馬の彫刻は、もともとギリシャで作られたものらしいのですが、時代をへて、十字軍の時代には、コンスタンティノープルの大競技場に飾られていました。

 第4回十字軍は、聖地エルサレムに向かうはずでしたが、なぜか途中でコンスタンティノープルへと矛先を変えます。コンスタンティノープルは、ビザンティン帝国の都であり、カトリック教徒ではないものの、同じキリスト教徒が住む豊かな都です。イスラム教徒が占領している土地でもないコンスタンティノープルに同じキリスト教徒が攻め込むということは、第4回十字軍が宗教的な動機ではなく、豊かな都から金品を奪うという経済的動機?で攻めたこんだことを意味します。そして、その時の戦利品が、サン・マルコ聖堂正面に飾られた四頭の馬だったのです。おそらく、場所の変更には多かれ少なかれヴェネツィアが関わっていたのでしょう。

 この馬たちは、ヴェネツィアがナポレオンによって征服されたあと、一度は、フランスに渡りますが、そのご、ヴェネツィアに戻されています。本来ならもとからあったギリシャに戻すべきだったのでしょうが、そうはなっていません。

 さて、次回は、もう少しイタリアの都市を見てみたいと思います。

 参考文献は、ヒトとは?人間とは?(1)ヒトとは?人間とは?(35)に記載してあります。

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