ヒトとは?人間とは?(35)

 Wikipediaによると、イエス・キリストの生誕を起源とする西暦は、ローマの神学者によって、525年に算出されたそうです。つまり、6世紀に作られたもので、1年から531年までは、概念上の存在のため、実際には使われていないらしいのです。実際に使われ始められたのは、532年からということになります。

 また、西暦が普及しだしたのは、10世紀以降で、キリスト教がそれなりにヨーロッパで普及してからだそうです。

 かたや、ユダヤ教を母体とするイスラム教は、7世紀に創始されます。前に書いたとおり、この時期は、アラブ人やユダヤ人が活躍していた時代であり、ヨーロッパに住んでいたゲルマン系民族たちよりも、彼らのほうが色々な意味で進んでいました。アラブが、文化的にも、商業的に、そして軍事的にも中心だったのです。

 キリスト教の聖地は、キリストが活躍していた場所であったイスラエルのエルサレムです。そして、イスラム教の聖地もまた、エルサレムです。そして、アラブ人の間で、7世紀に創始したイスラム教が、聖地であり、アラブ人たちの中心都市であったエルサレムを程なくして支配し始めます。キリスト教にしてみれば、聖地がイスラム教の支配下にあるのですからおもしろくありません。こうやって、二つの宗教は、激しく対立するようになります。

 ヨーロッパに話を戻します。ローマ帝国時代、ヨーロッパの政治は、皇帝と彼を支える元老院議員、そして上級軍人などの少数の特権階級の人びとが動かしていました。北方からゲルマン系民族が侵入してくると、ローマ帝国は倒され、ゲルマン系部族ごとに国家を形成していきます。この国家を治めていたのは、地方領主たちとそれの代表である君主でした。かれらは、程なくキリスト教化していきます。

 この頃は、まだ印刷技術がありませんでしたから、識字率はそれほど高くなかったと思われます。そこで、利用されていたのがいわゆる宗教画だったのです。神が君主である王に剣を授けている姿を描きます。また一方で、神は教皇には天国の鍵を与えます。そんな絵が描かれ、布教に使われていました。そして、王と教皇は神から選ばれた者として、政治と宗教でヨーロッパを支配していきます。

 なんかここまで書いた内容だと、宗教とは人を導くものと言うよりも、民衆を支配するために使用する手段にしか見えません。そして、今、中東やアフリカで起きている紛争のほとんどが、この7世紀前後のヨーロッパ中世を再現するために行われているような気がしてなりません。現在の宗教人口を見ると、2010年調べで、キリスト教徒が約21億7千万人、イスラム教徒が約16億人で、世界人口との比率は、31.4%と23.2%です。ちなみに3位はヒンズー教で約9億人います。つまり、キリスト教徒とイスラム教徒を合わせると世界人口の50%強を占めることになります。そして、このキリスト教徒とイスラム教徒のほとんどの人が争うことなく、平和に共存しています。紛争を行っているのはごく一部の人たちです。そのことだけは忘れてはいけないと思います。

 こうした背景の中、前回書いたとおり、ユダヤ人と交易を活発に行ってきたイタリアの各都市国家が力をつけていきます。その代表格がヴェネツィアです。当初ヴェネツィアは、干潟の中にある島の部分だけでした。島には無数の水路があり、かつ干潟だったため、容易に敵が攻め込んでくることができませんでした。なぜなら、この時期、まだ大砲は発明されておらず、攻め込むためには、直接人間同士が接する必要があったからです。

 さて、このヴェネツィアも宗教を巧みに利用していきます。その模様を次回述べてみたいと思います。

 今回から数回利用する参考文献は、池上 英洋著「ルネサンス 歴史と芸術の物語」(光文社新書)です。この本、非常に読みやすいのでお薦めです。

 その他の参考文献は、ヒトとは?人間とは?(1)に記載してあります。

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