ヒトは?人間とは?(33)

 官僚主義の弊害で、ローマ帝国が滅びたあと、ヨーロッパでは、貨幣が自由に回らなくなり、商業が衰退し、都市国家は縮小して、自由な交易は姿を消しました。パピルスや香辛料、そして絹や綿といった東洋からの輸入品が姿を消します。アジアに輸出していたオリーブやワインを生産していた大規模農園は、自給自足を行う小さな農家と姿を変えていきました。再び専門化に取って変わって、自給自足の世界が広がったのです。

 しかし、こうした混沌とした社会では、反面強い政府による独占という刀で抑えつけられることがなくなるため、市民たちはある意味、自由に行動できるようになります。そして、それまでの技術をより高める動きが徐々に始まっていきます。これは、試行錯誤もせずに、何かというと奴隷という労働力を利用していたローマではなかった動きでした。

 西ローマ帝国終焉のずっとあとに、ヨーロッパ北部で生産性が向上し始めます。樽、石けん、スポーク車輪、蹄鉄などが発明されます。5世紀から9世紀にかけてゲルマン族を主体とするフランク王国が西ヨーロッパを支配していきます。そのことが地中海を渡る香辛料と奴隷の交易を刺激し始めます。

 しかし、交易の中心はアラビアに移っていました。交易の世界で、アラビア人が突如繁栄し始めたのには、理由がありました。それは、ラクダの活用です。この時期、海には、船が運ぶ金品を狙う海賊が頻繁に出没していました。したがって、船を利用した輸送は、必ずしも利にかなった運搬方法ではありませんでした。海洋運送は、かなりリスクがある輸送方法だったのです。現代でも同じような海賊がある地域に限って出没していますよね。どの時代でも金品が動く場所に、ならず者が出没するのは常のようです。

 ラクダは、ロバに比べれば多くの荷物を運べますし、牛や馬のように整備された運搬ルートでないと運べないほかの動物よりも使い勝手が良かったのです。なによりも、ラクダは、休んでいるあいだや、運搬中に勝手に自分で餌を探して食べます。そのため、風で進む船と同じように餌や燃料を用意する必要がありませんでした。

 戦争によりユーフラテス川の河川ルートが使えなくなると、砂漠を進むメッカの人たちは、いよいよ交易の中心になっていきます。その後、中国で発明された大三角帆と船尾舵を装備された船をアラビア人が所有するようになると、その活躍は、東西南北に広げられて行きました。香辛料、奴隷、そして織物が北や西に運ばれ、金属とワインとガラス製品、いわゆる贅沢品が南や東へ運ばれていました。

 自由交易を行うアラビア人は、知識やアイディアなども交換し、文化が発展していきました。世界各地に移住したアラビア人は、その文化を各地に伝えていきます。そんな中、7世紀に、イスラム教がムハンマドによって生み出されます。アラビア人たちが交易を活用して作ったこうした下地があったからこそ、イスラム教は普及していったのです。

 この時期、宗教は、人びとの支えとなる一方で、その巨大な力を利用した圧力も見られました。キリスト教がそうで会っただけでなく、イスラム教もしかりでした。宗教が力を持ち始めると、それまで、教養を身につけるために読まれた本は、宗教を阻害する物として、ただ燃やされるものに変わってしまいます。

 帝国による弾圧と宗教による圧力が見え隠れするこの頃から、帝国や宗教に縛られない共和制都市国家の復刻が求められていきます。

 次回は、14世紀から16世紀あたりのルネサンス(復活)の時期の話に移っていきます。

 エッセイ集Ⅱ もくじ

 参考文献は、ヒトとは?人間とは?(1)に記載してあります。そちらを参照して下さい。

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