ヒトとは?人間とは?(22)

 ギリシャでは、9000年前に突如として農耕民が現れたそうです。彼らは、ほかの場所から農地を開拓しようと船で渡ってきたと見られています。

 ある土地で作物を栽培する場合、最初の2~3回の方が、そのあとよりも実りが豊かで育てやすかったため、ある程度の期間が過ぎると、農耕民は、常に新しい場所へ、未開墾の土地を求めて、移動していました。

 新しい土地にたどり着くと まず森林を焼き払います。そうすることで、灰の混ざった軟らかい土壌が得られるからです。そこに、種を植えれば、あとはただ成長を待つだけで、作物が得られます。こうして、2~3年繰り返し種をまいているうちに、土は硬くなり、耕さないといけなくなります。また雑草も生えてくるので、最初の2~3年のような収穫が得られなくなってしまいます。

 こうなると、農耕民は新たな土地を求めて移動していきます。ギリシャにもこうした農耕民が移住してきたと見られているのです。

 それから少しあとの7600年前、「ユークシン湖」周辺の肥沃な平原に暮らしていた農耕民たちを自然の驚異が襲います。海水温の上昇により海の水位が高くなり、突如海峡を越え、海水が流れ込んできたのです。海水が湖盆に一日15センチずつ流れ込み、またたくまに黒海ができありました。

 途方に暮れた農耕民たちは、ドナウ川沿いにヨーロッパ中心部へと逃れていきました。その後、2000~3000年のあいだにヨーロッパ南半分を農耕民が埋め尽くすようになりました。

 このとき、交易に長けていた農耕民たちは、武器なども手に入れていたはずで、土地を自分のものだと知らしめる必要があったため、かなり手荒なやり方で、すでに住み着いていた先住民を追いやっていったと思われます。

 その後、数千年かけて農耕民たちは、ヨーロッパを北上し、農耕地を広げていきました。その影響で、ヨーロッパの森林は焼き尽くされていきました。黒海から避難した者の子孫は、現在のウクライナの平原にたどり着き、そこで馬を飼いならすとともに、インド・ヨーロッパ語という新たな言語を生み出します。

 このころ、遺伝子の突然変異で、目が青くなり、皮膚の色素が非常に薄い人たちが出現します。彼らは、色素の薄いその肌を太陽にさらすことでビタミンDを生成できるようになりました。日光の少ない北国で暮らすための順応だったのだろうと思われます。そして、このような遺伝子の変異が起きたことは、農耕民たちの多産を物語っています。

 この当時、人ひとりが必要とする穀物を得るのに必要とした土地は、現在の農地の9倍の大きさでした。かつ、焼き畑式の農耕だったため、大量の二酸化炭素を排出されていました。森を焼き払う火から放出された二酸化炭素が、気候の温暖化を推し進め、6000年前には最高潮に達して、海面水位があがり、北極の氷がかなり溶けていたものと思われます。

 まさしく今、化石燃料の大量消費という別の影響で地球上で進んでいる温暖化が以前にも起きていた可能性があるのです。

 現在でも、焼き畑農業は、一部の地域で行われています。貴重な森林を破壊してしまう恐れがあるこの農業とは、一刻も速く決別すべきですが、その地域で生活している人たちの境遇が改善されないかぎり難しいのが実情です。

 東南アジア地域の貧困を抑えることがある程度できたおかげで、人口の増加に関してはブレーキがかかりそうな状況にあります。あとは、自然環境の破壊といろんな意味での格差による紛争をいかにしてくい止めていくかが課題だと思います。

 次回は、農業が広まるにつれ、生じてしまった負の部分に触れたいと思います。

 エッセイ集Ⅱ もくじ

 参考文献は、ヒトとは?人間とは?(1)に記載してあります。そちらを参照して下さい。

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