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言葉のひとり歩き

テレビのニュースを見ていて気になることがありました。体をうまく動かすことができない身体障害者の方の話を聞いた学生が、その体験について語る一コマ。

「人の役に立てないのなら生きていてもしょうがないんじゃないかと思ってしまうことがあります。」

インタビューに答えてる内容なかで挟み込まれたワンフレーズです。誰もがそんなふうに思ってしまうことがあるような気もしますが、「人の役に立つ」と「生きる」ということはまったく別次元のことです。学生もそれはわかっているのだと思うのですが、つい口をついて出てしまったのでしょう。それをそのまま放送するテレビもどうかと思います。

「人の役に立ちたい」と自分自身が思うことは、いいことだと思います。ところが、人を評価したり、くらべるときに「あの人は人の役に立っていないからだめ!」といってしまうと、ちょっとどうかなと思ってしまいます。相手がどういう価値観を持っているかわからないのに、一方的に相手を判断してしまうというのは、非常に危険です。

半年前に神奈川の障害者施設で起きた悲惨な事件。犯人の勝手な思い込みが多くの人の命を奪いました。事件の真相をよくしらないので、詳細に関しては述べませんが、どこかの時点で、自分がこうありたいと思う気持ちが、ほかの人を見るときの判断に変わってしまい、それがもっと自分よりに偏っていくことで、本当のことが見えなくなる。実は、誰にでもあるそんな行動がどんどんエスカレートしていって犯行につながったのかもしれません。

「生きる」というのは自分の意思かもしれませんが、「生まれてくる」というのは自分の意思ではありません。まして、人は人の役に立つために生まれたわけでもありません。「生まれた」だけで奇跡なのです。

言葉は、意思とは別に、よくひとり歩きを始めてしまいます。そんなとき、「ほんとうにそうなのだろうか」といって、振り返ることも必要な気がします。

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