河岸段丘

 ブラタモリを見ていると、端々に河岸段丘が登場します。豊臣秀吉が都を守るために、京都をぐるりと囲った御土居。これを作る際にも河岸段丘が利用されています。金沢編では、やはり城を守るために、河岸段丘の上に土居を築かれていた場所が紹介されていました。

 この河岸段丘とは、いかなるものなのでしょうか?藤岡換太郎著「川はどうしてできるのか」(ブルーバックス)では、「川の流れている両側の斜面に棚田や段々畑のように段差ができて、平坦な面が何枚も存在する地形のこと」とあります。

 川の近くにできた、広さのある平面な土地が、段々になって幾層にも連なっている場所が河岸段丘です。ブラタモリで紹介されているように、すでに下の土地との段差を自然が時間をかけて作ってくれているので、そのぶん、土を盛り上げる作業をしなくてすみます。そのため、敵から街や城を守るために河岸段丘は昔から利用されてきました。

 それでは、この河岸段丘は、どうやってできたのでしょうか?

 同書によると、河岸段丘ができる理由の一つに、気象現象の変化があるとしています。何らかの影響で、地球が寒冷化すると、河岸段丘ができるというのです。

 地球が寒冷化すると、山々に降った雪が凝縮されて氷河ができ、大陸に多くの水が保存されるようになるため、海から蒸発して大気中に取り込まれた水がもう一度海に戻るまでの時間が長くなり、海面が下がります。すると、水が流れていた河川の勾配が急になり、流れる水は、急流となり、河床を掘る力が増します。こうして、川の河床が掘られ、川幅が広がることで、削られた平らな河床が広がります。

 そうしているうちに、また、川の中心部の河床が深く削られてそこだけ深くなっていきます。長い時間をかけてこの行程が繰り返されることで、川のまわりに平らで段差のある土地が広がっていくのです。

 気象変化以外でも、地殻変動で土地が隆起したりすることで、川の流れが速くなり、同じような行程が繰り返されて河岸段丘ができることもあります。また、火山の噴火などにより、堆積物が急激に溜まったところに川ができ、その後同じようにして、河岸段丘ができるということもあるそうです。

 いずれにしても、かなり長い時間をかけて川が作り出したものであることは間違いありません。

 こうして、大地がどのようにしてできあがってきたのかを見てみると、気象変動や地殻変動などがもとになって、はじめて、我々が恩恵を受けている大地ができあがってきたことに気づきかされます。

 大規模な気象変動や地殻変動は、普段我々が生活しているスケールでは、恐ろしい以外の何者でもありません。今回起きたネパールの地震のすごさで、東日本大震災を改めて思い起こされました。

 しかし、一方でこうした地球の営みがなければ、我々が大地の恩恵を受けることができないというのも事実です。そういう意味では、どうやって、こうした地球の鼓動と向き合い、付き合っていくかが問題になります。今のように、津波に備えた防御壁をつくるといった力に力で対抗するといった方法ではなく、その力をどこか安全な場所へ逃がしてやればいいのではないかと思ったりします。

 勝手な想像ですが、昔の人が、「ここは絶対入ってはならぬ!たたられるぞ!」などといって、鎮守の森など聖域を作っていたのは、こうしていざ災害があったときに、その森が力を吸収してくれる場所だったからではないでしょうか。

 人が立ち入らない場所を作り、そこに力を逃す。そして、そこが長い時間をかけて河岸段丘になる。そうして、できあがった地形に未来の人々が新しい街を作っている情景を想像してみるのもいいかもしれません。

 最後に、ネパールの地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。


 

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