ヒトとは?人間とは(20)

 穀物を食べる習慣、もっといえば、穀物を粉にしてそれをパンとして焼いて食べ始めたのは、農業が始まるよりもたいぶ前、2万3000年前ぐらいだったことが発見された遺跡からわかっています。オハロⅡという遺跡から、穀物をつぶしたと思われる平らな石と、その周りに付着していた穀物の粉、そして、パンを焼いたであろう石の窯あとがみつかっているのだそうです。

 人間は、農業を始まるよりもずっと前から穀物をすりつぶしそれを練り、石窯で焼いて食べていたのです。こうすることにより、そのまま穀物を食べるときよりも2倍のカロリーを摂取することが可能になっていました。

 時間はかかっていますが、着実に米や麦といった特定の穀物を主体とした今の生活スタイルに近い生活に近づきつつあったと思われます。

 そして、農業が始まる前、約1万3000年前ごろ、近東の一部の人びとは、農業の一歩手前の生活をしていました。ある地域に定住していた彼らは、そこに自然に群生していたイネ科の植物の穂を石刃の斧でかり、それを調理して食べていました。ところが、ある時期が来ると、この人びとは、狩猟採集という遊牧生活に逆戻りしてしまいます。

 「新ドリアス期」と呼ばれる1000年にもおよぶ寒冷期が訪れてしまったため、植物が育たなくなり、遊牧生活に戻らざるを得なかったようです。この時期、穀物が採れずに、かなりの数の餓死者がでたものと推測されます。その中で生き残った一部の人たちだけが、狩猟採集の生活に戻ったのでしょう。

 この寒冷期が過ぎ、温暖な気候が戻った頃に、再び定住生活が始まり、農業が始まったといわれています。

 農業が始まったのは、およそ1万年ぐらい前で、近東、アンデス山脈、メキシコ、中国、ニューギニアの高地、ブラジルの雨林、そしてアフリカのサハラ砂漠南緑部サヘル地域などで、別々に出現したといわれています。それぞれの地域で出現したタイムラグは2000~3000年ぐらいあったようです。

 始まった農業が根付くまでには、さらに長い時間がかかりました。農業というのは、人間が始めた分業と交換を人間以外の種にまで広げることにほかなりません。それまで、場所を選ばす群生していた(実際は育つ環境化でしか棲息していないのですが、人間から見ればとの観点から述べています)穀物を人間が食べるためだけの食糧に特化して育てたのが農業です。つまり、人間が、植物という種を人間の食糧というものだけに限定して、種(たね)を保存して、それをまき、育てているのです。そして、穀物が育ちやすい場所、例えば、川の近くのぬかるんでいるところの近くに人間は定住していったのでしょう。

 農業を始めたのは、おそらくいつ獲物が捕れるかわからないギャンブルのような狩猟をしていた男性ではなく、まめに木の実や穀物を採集していた女性だっただろうことは予想がつきます。ぬかるみに種をまき、生えてくる雑草をていねいにとり除き、穀物が育つのを見守り、穀物が実ったあとに収穫する。そして、次回まく種を取り分けたあと、収穫した穀物を粉にして保存する。

 保存した穀物の粉は、自分たちの食糧として使っていても余りました。その余った粉を狩猟を中心とした生活を送っている人たちが採った肉と交換し、タンパク質を得ていました。ここでも、分業と交換が見られます。

 一方、人間が農業をはじめ、主食が育てた穀物に移行することで、人びとの生活がある程度安定し、人口が増加すると、狩猟で狩られる野生の動物、野ウサギやガゼルなどは絶滅の危機にさらされていきます。そんな中、土地を耕すためには、牛や馬の力を借りる必要があることに気づいた人たちが彼らを飼い始めます。その人たちは、動物を飼うことで、それが労力以外にも、自分たちの食糧として役立つことにも気づいたのでしょう。こうして家畜も始まります。そして、野ウサギやガゼルは絶滅の危機を脱します。

 しかし、狩猟自体がすぐに無くなったわけではありません。長い間、農業を主体にしながら、時々狩りに行く生活スタイルが様々な地域で続いていました。その名残が、アフリカの一部の部族などで今も受け継がれています。

 さて、農業が始まったことで、人間社会にはどんな変化が生じたのでしょうか。次回は、その話に移ります。

 エッセイ集Ⅱ もくじ

 参考文献は、ヒトとは?人間とは?(1)に記載してあります。そちらを参照して下さい。

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