ヒトとは?人間とは?(17)

 今から6億5000年前頃に、われわれ人間(ホモ・サピエンス)の一部が、アフリカの地から移動を始めます。その数は、わずか数百人程度だったといわれています。

 彼らは、紅海の南端を渡って、アラビア半島の南岸沿いに広がり、その当時干し上がっていたペルシア湾を越えて、パキスタン、インドと広がっていきます。当時陸続きだったスリランカを通り、ミャンマー、マレー半島を抜け、インドネシアの島々を渡り、最終的には、4億5000年前ごろにオーストラリアまで広がっていきます。実に2億年をかけた大繁殖です。この大繁殖は、現在では、ピーチコーマー・エクスプレスと呼ばれています。ピーチコーマーとは、海辺の漂流物を拾う人という意味です。

 インドあたりで、一団の中から、方向を西にとるものと東にとるものが分かれていきます。西に進んだものはヨーロッパへ向かい、そこで先住民であるネアンデルタール人に出会います。東に向かったものは、中国を経て、北上しながら、マンモスを食い尽くし、マンモスを絶滅させながら、北アメリカに渡り、最終的には南アメリカの南端まで広がっていきます。

 この大繁殖中、私たちホモ・サピエンスは、多くの動物を、食糧として捕獲しながら進み、彼らを絶滅させていったと考えられています。

 当初、人間は、あまり動きの速くないものを獲物として狙っていました。岸辺の貝やカメ、そして大型の動物では、サイやゾウなどです。しかし、集団の人口密度が上がるにつれ、成長の遅い獲物たちではまかないきれなくなり、そのうち、ウサギやウズラ、小型のガゼルのような繁殖速度の速い動物が、獲物の対象として取って代わります。そして、シカや馬なども獲物となっていきます。

 私たち以前のヒト科の祖先たちが、こうした乱獲を行うと、獲物が絶滅してしまいそうになるほど激減してしまい、獲物を得られなくなった祖先たちもまた、激減していきます。そのため、獲物となった動物たちは、かろうじて絶滅を逃れ、また個体数を増すというのが自然の摂理でした。

 しかし、われわれ人間の出現で、この環境が一変してしまいます。獲物となった多くの動物たちが絶滅していったにもかかわらず、それに影響されることなく、人間はさらに繁栄を続けていくということが可能だったのです。

 なぜなら、この当時、すでにわれわれ人間は、獲物に合わせた狩猟のための道具を開発し、狩りを行っていました。そのため、ずっと同じ獲物を狙い続ける必要がなかったのです。

 この頃、石以外の材料も利用し始めていました。おそらく枝や木材はもちろん使用していたはずです。槍の穂先は、石から動物たちの骨へと変わります。これにより、槍のスピードが格段に上がりました。また、動物の革や植物の繊維を利用した紐も開発されます。これにともなって、弓が作られ、すばやく動く獲物にも対応できるようになります。

 魚をとるための、釣り竿も開発されていました。こうして、様々な獲物をとれるようになったのです。ほかのヒト科の動物には見られない特徴の一つです。そして、その負の遺産として、多くの動物たちが絶滅していきました。

 こうしたことが可能になったのは、人間だけが、集団内及び集団外で分業化と集団化を進められたからだと考えられています。

 多くの昆虫たちも、分業化と専門化を行っています。例えば、有名なハチたちは、それぞれの役割を明確に分けて生活していることはご存じの通りです。しかし、彼らの場合は、すべて、近親で分業化しています。つまり、他人にあたる生まれも育ちも違う他者とは、対立することはあっても、親密な関係を築きませんし、まして分業化などしません。

 ところが、人間の場合、他の集団間でも分業化と専門化を進めることが可能だったのです。そのキーワードが、物々交換です。この頃には、集団どうしで物の取引を行っていたことがうかがえる証拠が見つかっています。

 次回は、この物々交換が、なぜ必要だったのかについて、注目してみたいと思います。

 エッセイ集Ⅱ もくじ

 参考文献は、ヒトとは?人間とは?(1)に記載してあります。そちらを参照して下さい。

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