ディベート甲子園関東春大会所感①

 帰宅してすぐ書いているので、あるべき前置きとかはすっ飛ばしての所感になりますがご了承を。春大会にジャッジとして参加させて戴いて感じたポイントを数回に分けて書こうかなと思います。

プランへの解像度を上げよう

 特に高校論題にて感じたことで、実際私が主審の試合では講評でお伝えしたことになりますが、全体的に議論の前提となるプランについて、あまり両チームが具体的なイメージや適用の想定を行わずに試合を進めてしまっている部分が見受けられ、今後の大きな伸びしろとなるポイントだなぁと感じています。

 電子監視論題においては、そもそも論題解説に記載の通り「拘禁の代替としての監視制度」と「刑期満了後の追跡制度」の2種の制度があり、また国によっても施行されている制度の詳細がかなり異なります。そんな中、肯定側の出すプランに対してミートしていない発生要因のデメリットが読まれてしまい、実質空振り状態で試合が進んでしまったり、他方で肯定側のプランと解決性他で読まれている立証がロジック面で合致せずに解決性が宙に浮いてたり、という試合を(春大会前の練習試合含めて)相当のケースで見ています。

 分かりやすい例として、「韓国において電子監視が行われた結果、外出や飲酒を控えた」や、それに類して鬱病になり自殺者になるケースが多くあった、という趣旨の資料を様々な学校が読んでいるかと思いますが(自身で原典を追ったわけではないので引用は控えます)、韓国の電子監視の制度へのリサーチを進めると、「登録された居住地半径2キロ圏外に出た場合、モニターに表示」「対象者の顔写真や住所はインターネット上で誰でも自由に閲覧できるようになっている」といった事実が明らかになります。

 他方、肯定側が試合で使用するプランで上記要件と合致しているものがどれくらいあるか…というと、そこまで多くはないのではないでしょうか。特に後者の「対象者の顔写真や住所はインターネット上で誰でも自由に閲覧できるようになっている」というプランは(自身の見た範囲では)見た記憶がありません。

 では、肯定側が「対象者の顔写真や住所はインターネット上で誰でも自由に閲覧できるようになっていない」プランを読んできた場合、否定側立論で前述のような韓国の事例を読むと、1ARで簡単に「韓国で外出や飲酒を控えたり鬱になるのは、対象者の写真がいつでもだれでも見ることができ、街中の人間が自身を犯罪者だと知覚している事へのプレッシャーによるもので、プランでは起こりえないのではないか」といった指摘はできそうです。

 また、先の韓国の事例において別の切り口を考えると、例えば韓国において外出や飲酒を控えるのは、電子監視に使用する足輪が他者から見える状態であり、それが「あ、あの人は犯罪者だ」と周囲から分かるスティグマ(烙印)として機能しているからではないか、という点が考えられます。例えば仮に「過去に殺人を犯し、刑期を終えて出所したものには全員赤い首輪をつける」という制度が導入されたとして、街を歩く中で赤い首輪を付けた人が向こうから歩いてきたら、恐らく本能的に避けてしまったり、好奇の視線を向けたり、或いは露骨に目をそらしたり、店への入店を断ったり、バイト面接で落としたり…というリアクションが起きることがあり得るでしょう。軽くリサーチした限りでも下記のような言及があり、電子監視装置が烙印となるために外出や人間関係の構築が難しくなり、鬱になったのではないか、という推論は成り立つ可能性があります。

台湾地域における現代の対象者に関する心理学的研究は、電子足輪を装着する女性対象者は電子監視期間中にスカートを履きたいが、周りの視線や評価を気にしすぎた結果、ズボンを着替えなければならないということを明確に示した。

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/83125/1/ZHANG_Xiaohang.pdf

 上記前提を認めるとすると、肯定側としてはシンプルに「GPSは体内に埋め込みます」「(任意の服などで隠しやすい位置)に装置設置を義務付けます」といったようなプランを立てればいいのでは?という話になります(但し体内にGPSを埋め込むことの実行可能性等は別途立証が必要ですが)。一般市民に当該人物が犯罪者であることを周知させる狙いがあるメリットを読まなければ、特にメリットの大きさを損なう事はないプランになります。

 他方、否定側に対しては「いや、韓国は足輪とかで誰から見ても犯罪者って分かるような制度設計にしたために当該人物のプライバシーを過度に侵害して鬱や自殺を引き起こしたが、プランでは当該人物のプライバシーにも配慮した設計になっているため問題ない」と先の資料等を援用しながら説明すれば、その段階でプランとの適合性がかなり怪しくなり、比較的簡単に切れそうです。

 …と、いうように、実は自身が引用している資料のロジックや制度の具体がプランとマッチしているか、という観点に対して気を配るだけで、議論選択の方向性や、特に肯定側視点での否定側議論への対処などが大きく変わるのではないか、というのが試合を見ていての評価になります。同時に、否定側視点に立った際、プランが堅ければイニシャルで斬られてしまうような議論を立論で読むことは果たして戦略として正しいのか?相手のプランに合わせて1NRで読む/読まないを選択できる反駁として再編するのが正しいのではないか?という部分にも思いを馳せることができるでしょう。

 今期論題は「電子監視」という名称の中にかなり幅の広い制度が混在しているため、各資料に対し「どういう制度下で」「どういった要因で」「何が起こったのか」という論理構造への注視を丁寧に行うべきかなぁと感じる所です。また、肯定側のプランに関しては、

・拘禁の代替なのか、刑期満了後の措置なのか
・対象者を決定する要件(罪名など)は何か
・誰が位置情報データを閲覧可能なのか
・どういったタイミングで位置情報データを閲覧可能なのか
・移動の自由をどう制約しているか(付帯文との兼ね合い)

といった観点については最低限の説明が必要なように感じます。誰でも24h365d見れる状態なのか、対象者が特定の禁止区域に継続して5秒以上の侵入が確認された場合に当該施設と近隣警察官のみアラートと共に見れるのか、では否定側のデメリットの評価がかなり変わってきますね。
 (余談ですが、「一定時間」「一定距離」という表現をプラン内に入れているケースも複数拝見しました。これが5秒なのか1分なのか、500mなのか10kmかで肯定側の解決性の評価はかなり変わるため、こうしたあいまいな表現は避ける方がベターでしょう。上手な否定側質疑に突かれ、応答がテンパって致命傷の数字を回答し、そのまま…となるパターンが見えます)

 というわけで、議論を構築する際には「この立論って具体的にどういうプランを想定して組んでいるんだっけ?」「自分たちの立証、このプラン下でも十分起こるんだっけ?」といった部分を(例年以上に)強く意識して組んでいただけると良いのかな、と感じました。


 その他の所感についてはまた後日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?