ディベート甲子園関東大会2-3日目感想①(制度設計まわり)

標記の通り、関東大会2-3日目の所感です。主審を担当させて戴いた試合ではすでに喋った話ですので、聞き覚えのある方もいらっしゃるかもしれませんが、ご容赦を。


プランへの解像度を上げよう(高校論題)

 実は春大会の感想noteでも全く同じ話を書いているのですが、引き続き中高共にプランと議論が乖離している試合が一定あった認識です。高校論題では、少なくとも「装置装着対象犯罪は何か」「装着対象者(仮釈放者か、満期釈放者か、など)」「移動制限の設計方法」「装着期間」の要素は説明してほしいと考えているのですが、全ての項目を適切にプラン内で明示していた学校は多くはなかった印象です。
 こうした部分の説明が欠落した結果、例えば、「肯定側立論ではDVなどの極めて限定的な領域の分析を行っているのに、プランでは対象の犯罪が明示されていないため、(肯定側よりも)広い領域の犯罪者に対して当たるデメリットが大きく評価されてしまった」といったパターンや、「DV等の犯罪者は、特定個人への犯行に執着しており、電子監視による制限が必要だ、という趣旨の立論を読んでいるのに、プランが監視期間5-10年となっており、否定側から『犯行への執着があるなら監視期間後に事に及ぶのではないか』と指摘され、解決性がかなり減じられた」といった形で試合が進んでしまうケースがありました。

ディベートにおいて、プラン(制度設計)は肯定側に設計の自由と説明責任が与えられているため、肯定側の議論を作る際は、プランの説明に関して十分かどうか、再度検討を重ねてほしいと感じております。

 なお、ある試合では移動制限が課されていないプランが提出されていましたが、こういったプランは論題を充当していない(付帯文に移動制限を課すことが明示されており、付帯文は論題文言と同じ効力を持ちます)ことに注意してください。

※ここからは自身のジャッジングフィロソフィーに関する言及の為、興味がない方は飛ばしていただいて構いません

 ちなみに、論題充当性を「明らかに」満たさないプランが提出された場合(例えば、試合内の合意により移動制限を課さないことが明白となっている場合)、私は論題充当外と判断し、もし仮に論題から想定される自然なプランを否定側の利益を逸することなく試合内で採用可能であれば、その視点でメリットを再構成し、判断。それが難しければ、論題充当外のプランから出てくるメリットは判定の考慮に入れない、という立場を取っています。これは、否定側からトピカリティに関する議論が出てこなくとも、そう判断します。
 上記の移動制限が課されていないプランに関しては、否定側から論題充当性に関する明示的な反論はなかったものの、議論の中から論題を充当していないことは明白な状況でした(移動制限は課さない、という話で両者が合意していた)。また、否定側からの反論の本旨が「肯定側の解決性の外国の事例は移動制限も課しているものであり、プランと合致したものではない」というものであり、仮に自然なプラン(何らかの移動制限は課すのだろう)をジャッジが想定して介入すると、否定側の反駁を無に帰すこととなり、否定側の利益を逸する形になります。ですので、論題を充当するプランを提出していない肯定側の過失と判断し、論題を肯定していないプランから出てくるメリットを判定から外す判断をしました。
 トピカリティに関しては、明示的な主張がないなら取らなくていいのではないか、という判断もあるかと思います。ただ、例えば立論で明らかに証拠能力が低い/論証に論理的矛盾を抱えた議論が提出された際、相手からの反駁がなくともジャッジが議論を切るケースがあるのと同様に、トピカリティに関しても、肯定側の立証責任が果たされているか、という判断の枠内で、ジャッジが一定介入することは許される、と考えています。前提として、前述のように、肯定側はプランを(論題の枠内で)自由に設計することで、否定側の議論を制限したり、議論のフィールドを好きに決める権利を有している、と考えていますので、この権利に釣り合う責任として、プランが論題内である事は肯定側が積極的に説明すべきである、という認識です。勿論、どの程度介入するかは、ジャッジが試合後に選手に対して説明責任を果たせるか、という部分との釣り合いで判断されるものであり、また審判による過度過剰な介入が好ましくないという旨を認識しつつ、ですが。
 この辺りのディベートセオリーは人によって判断別れることだと思われますし、もしかするとこの後リプライ等で説得的なご意見を頂戴した場合、自身のセオリーも変わるかもしれません。

値上げしても収益は増えるのか?具体的に分析しよう(中学論題)


 中学論題では(プランという訳ではないですが)「ダイナミックプライシング」というマジックワードが飛んでおり、これもかなり試合の判断を難しくした場面がありました。
 もちろん、議論の中身による話ではあるのですが、基本的に中学論題の肯定側に対しては、「内因性で言ってる赤字や廃線やらサービス上の課題やらは、いくら増益すれば解決するの?」という部分に対する疑問が最後まで拭えないケースが多く、特に「ダイナミックプライシングでよしなに値上げするのでなんだかんだ増益します!」というタイプの解決性の証明を見ると、判断がかなり難しいなぁと感じていました。

 ダイナミックプライシングは需要に合わせて価格を変動するわけで、混雑する時間は値上げしますが、逆に空いている時間は今よりも値下がる可能性もあります。そうすると、利用者は混雑時間をさけて空いている時間を利用しようとしたりもするわけで、結果的に収支がどうなるか、という部分を予想するのはかなり難しいです。これを、ダイナミックプライシングで大丈夫!の一言で済ませてしまうのは、肯定側の解決性の評価を怪しくする要因でもあり、是非「どれくらいの値上げ/下げ幅で、最終的にどれくらい収支が改善したか」という部分まで立証してほしいな、と感じました(それができたら苦労しないよ!と選手からはツッコミを受けそうですが)。

 これはダイナミックプライシングに限った話でもなく、中学論題の現状の議論のボトルネックは「値上げすると利用者は何割減って、収益はどうなるの?」という部分の論証にあるように感じます。一見、値上げすれば利益が増えるのは当たり前じゃん!と思うかもしれませんが、値上げするならバスや車を使おう、或いは歩こう、と思う方も世の中にはいらっしゃるわけで、値上げと客数の増減は本来セットで語るべき議論なのです。こういった部分まで含めて、結局いくら値上げしたら客がいくら減って、利益はどれくらい増えて、それで肯定側の内因性の問題は解決するのか、を丁寧に論じる事ができるか、といった部分が、議論の次のポイントになってくるのではないか、と感じます。

まだ書くことがいくつかあるので、続きは次回投稿します。

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