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ディベート甲子園2022振り返り

こんにちは。久しぶりの更新です。

最近はポケカの構築記事ばかり書いていたのですが、今回は8/6-8/8に立教大学にて行われたディベート甲子園全国大会について、ジャッジ視点での振り返り、感想を書きたいと思います。

各論題への所感

・中学論題
試合を観ていて、主に1NRで出てくる「スマホがなくなっても代替端末を子供が使う」という反駁への評価が非常に割れうるな、と感じました。代替端末を手に入れることがどれくらいハードルが低いのか、どれくらいの子供が手に入れるのか…、この辺りの説明が自分の入った試合ではやや不足していると感じたケースが多く、肯定側の解決性の評価の割れ方もこの点に依拠していた気がします。上位校になると「子供がSNSを使いたいモチベーションはプラン前後で差がない」「代替手段も豊富にあり、現状でも実際に親の未使用スマホを用いての事件等が発生している」などの分析を追加することで、否定側優位に持ち込もうとする反駁が見られ、良い議論だなと感心していました。

自分が議論を組むのであれば、肯定側は「親世代がスマートフォンのリテラシー教育を受けてきた経験がなく、指導をすることもできず、結果性犯罪に子供が巻き込まれている」「プラン後はGIGAスクール端末等の活用により、学校でのITリテラシー教育や学校軸の監視の下でSNSを利用するようになる」「子供をいきなりインターネットの海に飛び込ませるのではなく、教育現場の監視の下でインターネットの怖さや使い方を教える期間を設けることが重要」という形の筋で組むかな、と考えていました。

個人的には下記リンクの資料が世界観の説明に適切と考えており、例えば下記のような内容が資料として使いやすいかと感じております。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/bplus/9/2/9_87/_pdf

まず第一に、保護者自身が小学生のときには携帯電話はまだ世の中に流布しておらず、自身が教育された経験がない。したがって家庭での教育規範となるものが一般にあるわけではない。
保護者の回答と児童の回答を付け合わせてみた場合、合致しない回答の方が多かった点も問題である。使用回数など児童の回答の方が保護者の回答より多かった。また、保護者はメールしか使わせていないと回答し、児童も主な使用は保護者との連絡としているが、別の所で携帯電話の使用機能を質問すると、解答にはゲームや音楽、動画像も混じる。
児童に使用させるSNSには、情報の先が見える、失敗ができるなど、インターネットの通常の使用とは異なる要件が必要である。そのうえで、LINEをやめられない中学生になる前に、インターネットの広がりに一気に飛び出すのではなく、教員や保護者の目のある中での使用、児童にとっての社会である学校でSNSを使用し、将来の社会における活用、危険性も含めた使用を想像できる機会を作る事は無謀だろうか。

特に最後のエビデンスは、「スマホ没収」という大きな行動を要求する理由付けとして、比較的妥当な説明がしやすい資料かな、と感じました。

『例えば自動車の運転についても、いきなり公道を走ると事故を起こすため、免許を取る為に自動車学校で勉強して、練習をしてから運転をする、といった形で運用されていると思いますが、同じように端末との関わり方の入り口部分を整備することで、事故や事件を防ぐことが大事です。』

というようなアナロジーを用いた説明があればジャッジも結構納得するのではないかと個人的には思うのですが、運転経験もないのにも関わらずこの説明が思いつく中学生がいたら怖いか…とも同時に感じました。

一方否定側で何をやるか、ですが、個人的には災害時連絡よりはSNS相談手段の欠落ですかね…。災害についてはどこまで行ってもキッズケータイで一定代替が出来そうであることが覆らず、SNS相談の方が固有の価値を示しやすいように感じました。ただ、本来的には、それこそ反駁で読むような代替手段などを引き合いに出しながら、よりSNS犯罪がアングラ化したり、ネット教育の手段が喪失すること等をDAフローで説明し、「リスクがあるからと言って便利なものを取り上げるのではなく、しっかりリスクと向き合いつつ、文明の利器であるスマホを使っていくべきだ」という帰着にさせたいな、とも感じます。便利さとリスクを天秤にかけ、上手くリスクを回避する策を講じることで利益を享受する、というのが、科学技術との基本的な向き合い方だと理解しているので、そのような趣旨の分析を出せればよいかな、と感じました。

余談ですが、上記のような技術進歩との向き合い方については、池内了先生に代表されるサイエンスコミュニケーション論の文献が参考になります。高校受験の論説でも頻出のテーマで、自身も中学時代にSAPIXのテキストで読んだ記憶があります(論題趣旨とは関係ないですが、『疑似科学入門』『科学の限界』『科学と人間の不協和音』『科学の落とし穴』あたりは一度読んでみることをお勧めします)。

・高校論題
シーズン終盤になるにつれ、解決性の難しさが際立つ試合が増えた印象です。肯定側の環境系の論点は、主に「世界でやっているんだから日本もやるべき/フリーライドは許されない」という理念面と「環境問題が解決する」という実益面の二手に分かれることが多かったと思うのですが、理念面については「日本もある程度やっている/先進国もそんなに守ってない」という反駁を踏まえると、一体どこまで理念的な目標を順守する必要があるのか、重要性につながるほどの解決性なのか、という評価が難しくなり、実益面はお決まりの杉山の資料でかなり解決性が切られる、という帰着が多かったように感じます。個人的には環境系の論点は肯定側視点で解決性を守るのがかなり厳しいため、他の論点(経済やエネルギー自給、石炭依存の長期リスクなど)で戦う方がベターかなぁと感じましたが、一方でDAフローのアタックに注力してデメリットをゼロにすることを目標とするのも一手なのかもしれません。停電は発生過程切るの難しそうですが…

逆に否定側は、発電不安定化については短期でのリスクが否定されないため、1NRでcaseへ丁寧にアタックをすることで比較的優位に試合を進めることができるかな、と感じます。また、沖縄の発電問題など、肯定側よりもリアリティのある分析を行うことで、肯定側の実行可能性に疑問符を加えつつ、否定側の論点も伸ばしやすいような展開が多かったように感じます。

欲を言えば、否定側のこうした優位な議論状況に対し、肯定側のアタックのバリエーションがもう少し増えれば良かったかな、と思うところはあります。そういった意味で、高校準決勝の東海高校の肯定側立論は、事前に予見可能な否定側のDAに対し真っ向から向かっていく議論を展開しており、1ARも戦略的にアタックだけを4分間行って最終的に残った大気汚染を投票構成として伸ばすなど、チームとしてのディベート力の高さを感じさせられました。この辺りは、サイドが決まった後に一晩挟んで準決勝から始まる、という甲子園の特殊なタイムスケジュールを最大限活かした動きであり、自身も昨日YouTubeで試合を拝見し、感心しておりました。非常に戦略的な取り組みで好感度が高かったです。

(試合リンクは下記から)

主審講評でお伝えした内容

次に、中高論題に共通して感じた事をお伝えしようと思ったのですが、期せずして自身が大会の中で主審講評としてお伝えしたことと重なる部分が多かった為、自身の講評内容の振り返りも兼ねて記録しておこうと思います。

・「割れています」の意味を読み取る
高校予選リーグ初日の試合の講評でお伝えした内容です。この試合は1-2で割れていたのですが、ジャッジの投票構成は3人とも異なったものになっていました。
ディベートをやっていると、判定を割ってしまうケースは一定あると思うのですが、選手視点で見た時に、この「割っている」ことへの評価は様々あるかと思います。「3-0圧勝だと思ったのに1票落としちゃった」というケースや、「0-3敗色濃厚だけど1票拾えた」というケースもあるかと思うのですが、それ以上に改善を意識すべきは、この「投票構成バラバラだったけど、偶然2-1で勝った/負けた」というケースだと思います。

上記のようなケースにおいては、選手側が各論点の比較や投票理由の構成を行っていない場合が多く、それによりジャッジの投票構成がバラけてしまっています。ジャッジ視点の話になりますが、基本的に選手から出された話を無視して投票を入れる、という行為はかなり心理的ハードルが高く、よほど妥当な説明ができない限りは選手の議論を参照して投票を行います。裏を返せば、ジャッジに好きに投票をさせているということは、選手からの説明が不足している可能性が高いわけです。

そして、このような状況においては、ジャッジの構成が変わるだけで最終的な判定が変わる可能性が十分あります。別のジャッジ3人が入った場合、3-0が0-3になることもあり得る訳です。極端な話、この状態で勝ったとしてもそれはクジであたりを引いたのとほぼ同義であり、皆さんとしても本意ではないはずです。

こうした状況を回避するためには、主に第二反駁において、各論点での優位性比較を行ったり、メリットデメリットの最終的な評価をどう帰着させるかを明示する必要があります。また、比較を行う際にも、第二反駁で唐突に比較基準を出すのではなく、既に出されている観察やインパクトなどでの内容をベースに、ジャッジがその比較基準を採択する妥当な理由があるような観点を提示することが求められるでしょう。

特に、トーナメントに進み上位校同士の対戦になるほど、資料の質の差や反駁の有無の差だけで勝敗が決まる試合は減っていき、互いに良い反駁を打ち合う展開となっていくため、そうなった際に判定理由を審判に完全に委ねる形とならないよう、スピーチを通じてコントロールすることが求められます。

・投票を決めうる論点を正しく見極めるために
こちらは高校のトーナメント1回戦の試合の講評でお伝えした内容です。特に高校論題では、先述の通り環境系caseに対する解決性アタックの評価が試合の判定を左右するケースが多かったのですが、この試合の肯定側はこの論点のブロックよりも否定側のアタックを優先する形で議論を展開していました。そうなると、「選手視点で伸ばしている論点」と「ジャッジの中で試合の判定に影響を与える論点」にズレが生まれる事となり、ともすると選手の中では消化不良のまま講評を聞く事となるケースが生まれ得ます。

勿論、この試合において選手の方が肯定側の解決性の処理の優先度を意図的に下げたのか(Negを切る形で勝つことを目指した場合もあれば、単純に返しの資料がなくて諦めた場合もあります)、あるいは緊張等の偶発的要因で処理に時間をかけ損ねたのか、そこはジャッジの方で判断する事はできません。ただ、選手側の戦略や都合と別に、ジャッジ視点ではどうしても解決性への処理がそのままメリットの評価に直結し、デメリットとの比較の際に重視する論点となってしまう為、ここが急所だ、という受け取りになってしまいます。

ディベートは「ジャッジを説得する」ということに唯一かつ最大の目標がある以上、やはりジャッジ視点で決着をつけるべき(or返すべき)論点を優先的に処理する必要があり、だからこそ、選手としてより成長するために、ジャッジとしての体験を積んでみて欲しい、と個人的には考えています。どちらかというと高校以降のディベートを見据えたアドバイスになりますが、ディベート選手として今後成長していくためには、大学以降の過程でジャッジとしての経験を積み、違う形でディベートを見る、ということに取り組んで欲しいな、と感じています。

終わりに

やや散発的な書き方となり恐縮ですが、以上が本大会をジャッジとして見ての所感になります。本当は久しぶりにオフラインでディベートができる喜びとか、そういったところにも言及したいのですが、今回は議論の話を重点的に、ということで。

お盆休み期間は多少時間が取れそうなので、自分が関わりのある中高生の選手の方から要望があったコンテンツをいくつか作成し、公開していこうと思います。議論に関する質問や、書いてほしいコンテンツ等ありましたら、下記リンクから投稿いただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いします。


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