ディベート甲子園関東大会2-3日目感想②(議論まわり/その他)

こんばんは。今日も引き続き所感を書いていきます。昨日は制度設計周りの話でしたので、今日はそれ以外の部分を。


昨日の記事に関する補足

昨日の記事投稿後、いちご姫…の知り合いの愚留米様から理論面に関するご見解を頂戴致しました(http://lawtension.blog99.fc2.com/blog-entry-218.html)。
※一応の断りを入れておくと、氏は私が大学以降もディベートを続けるきっかけを下さった方(初めてJDAに出た際のパートナー)でもあり、ジャッジとしても選手としても非常にお世話になっている方です。

内容としましては、私の最後の結論部分、論題外と自律的に判断した際、メリットを直ちにextra-topicalと判断し棄却するのではなく、純粋にその部分に係る解決性の評価を棄却するのみで良い、とのご指摘でした。ありがとうございます。(選手の方向けに補足しておくと、当該試合の判定にあたっては論題外性を考慮しなかった場合においても投票先が変わらなかったため、上記見解の変化があろうとも、試合勝敗に影響はありませんでした)
こうした論題充当性周りの理論に関しては、どこかで一度自身の勉強の為にも整理したいと思うところです(過去にはFN論題で論題を充当していないスパイクプランが出され、この手の議論が活発にされた事がありました)。

ひとまず、選手の皆様におかれましては、肯定側はプランで示すべき要件に注意しよう!高校論題なら(内因性-解決性の評価を左右する為)少なくとも下記項目は丁寧に示していただきたいですし、否定側も自身の発生過程がプラン下でも起こるのかを明らかにするため、質疑等で不足部分は積極的に確認してもらいたいところです。

「装置装着対象犯罪は何か」
「装着対象者(仮釈放者か、満期釈放者か、など)」
「移動制限の設計方法」
「装着期間」


対象者のペルソナを明らかにしよう(高校論題)

昨日の記事で下記のような言及をしました。

「DV等の犯罪者は、特定個人への犯行に執着しており、電子監視による制限が必要だ、という趣旨の立論を読んでいるのに、プランが監視期間5-10年となっており、否定側から『犯行への執着があるなら監視期間後に事に及ぶのではないか』と指摘され、解決性がかなり減じられた」といった形で試合が進んでしまうケースがありました。

今期の高校論題では、上記のような「犯罪者、再犯者、或いは(特定種類の)犯行を犯そうとする者」の心理や行動傾向に関する分析が議論の中核を担っており、そういった人に対して電子監視による種々の抑制効果が有効か、といった部分が大半の試合の勝敗を決しています。

この辺りについて、拝見した試合では、多くが実証分析の打ち合いに終始し、韓国は~フロリダは~メタ分析は~と数値をたくさん読む(そして実証ではNEGが勝つ)形の試合が多かった印象です。

勿論、議論を評価するにあたり、「定量的な数値からどういった傾向があるのか」という点は重要な要素となり得るのですが、同時に、その前段にある理論面に関する議論も、より丁寧に行ってほしいなぁ、と思う所です。

章の冒頭に言及した事例は、まさに「肯定側の描く犯罪者のペルソナに対し、プランでは抑止効果が発揮し得ないのではないか」という理論的な指摘を行った物であり、実証面の数値とは関係なく(プランと同様の制度設計の施策ではない為)メリットの評価を大きく分けた反論になります。このように、頑張って実証をたくさん読むだけではなく、その背景にある対象者の心理や行動まで含めて、検討を行ってほしいところです。

例えば、強盗や性犯罪などを含むプランに対して、「区域制限を設けるから犯罪が減る!」という主張が見られるのですが、強盗できる店は世の中にごまんとありますし、性犯罪も、対象の性別の人さえいれば理論上どこでもできるわけですから、区域制限による解決性は極めて薄いのではないか?というのは、直感的にも分かりやすい反論となるでしょう。

この辺りの議論を突き詰めていくと、犯行を犯す人間は、衝動的に犯行に及んでいるのか、或いは特定個人に対する復讐を何よりも優先しているのか、はたまた理性的に犯行を行い、捕まらないことを重視しているのか、といった心理面の分類が大きなカギを握るような気がしています。復讐心に燃える人間は、自身がどうなろうとも復讐さえ遂行すれば良く、足輪を切って犯行に及んだりするかもしれません(特別予防を念頭に置いて肯定側が立証する、ストーカーやDV加害者の一部にはこうした気質がある可能性がありますね)。また、通常時は理性的な行動を心掛けているものの、職なし住居なし収入なし友人なしの状況に追い込まれてしまった人が、いわゆる"無敵の人"となり、失うものがなくなったがために衝動的な犯行を行うようになる、という可能性もあります(韓国における電子監視装着者の第一号再犯者はそのような事例だったと記憶しています)。

上記で示した行動パターンはあくまで一例であり、これが肯定側のプラン設計の枠内でどれくらいの確率で再現されるかにより、肯定側の解決性の評価も変わってきます。上記の例がレアケースなのか、或いは一般にそうなりがちなのか、といった、対象者の心理行動の傾向を立証したうえで、それが再犯率という数字に表れるんだ、という言及がなされると良いかなと感じます。

なお、個人的にはこの「再犯率」という言葉にもやや不信感を持っており、同種再犯なのか、異種再犯なのか、については両チームから積極的な言及が欲しいなぁと感じます。電子監視有無に関係なく、出所者が社会に適合できない結果起こす「再犯」は、収入や食事を確保するための万引き、窃盗、食い逃げの類が多いのでは?と直感的には思え、肯定側の主張する再犯抑止って、これらの犯罪の抑止を指している部分も多いのでは?という所は気になっています(もちろん、性犯罪のような依存性が高く同種再犯を繰り返すものもあるとは思いますが)。肯定側は重要性で同種再犯を念頭に置いた再犯防止の重要性を語っている場合が多く(人命が~、被害者家族のPTSDが~、など)、この辺りの実情はどうなっているのか、気になるところです。

ちなみに、犯罪白書に同様の言及があり(http://www.jcps.or.jp/publication/1903.html)、高齢者による窃盗の常習性や、薬物依存の同種再犯などが高くあげられている一方、強盗や強姦の同種再犯率は2-3%に留まるそうです。これらの話や、重大犯罪という括りでの同種再犯率なども援用しながら、「重大犯罪の再犯傾向について、前科で同種の犯罪を犯しているか否か、という相関は殆ど見られない為、前科を理由として未だ犯行を犯していない者の移動の自由を侵害するのは正当化されない」という議論は一考の余地がありそうですね。

つらつら書きましたが、総じて電子監視対象者の心理や行動への解像度を高くすることで、より深みのある議論ができると思います(最近解像度を上げようという話しかしてない気がしますが…)。

ディベートは運ゲーか?(惜しくも予選で敗退された皆様へ)


「結局、私たちは運で負けたってことですか?」

ある試合で主審を担当した際、講評後に選手の方から戴いた質問です。
この試合は判定が割れており、講評では判断が割れたポイントと、肯否双方への投票理由を説明し、投票結果をお伝えしました。また、試合を通じて、両チームともエビデンスを読むことにコミュニケーションの多くを割いてしまい、特に割れたポイントにおいて、自分たちが最終的にどう伝えたいのかをもう少し丁寧に説明すると、票も変わり得たよ、というお話を伝えさせていただきました。

こんなことを言っては元も子もないかもしれませんが、判定の最後の部分は、「運」と言われれば、その通りです。当然、入る審判が違えは票数が変わる事はあり得ます。ただ、選手の方にはこれを「運だから」で済ませてほしくないのです。

そもそも、大抵の競技には何らかの形で運が絡みます。人が採点や判定をする競技(フィギュアスケートや野球など)は、採点する審査員/審判によって判断に幅が生まれます。そうでなくとも、球技であれば球のバウンドによって大きな結果の差を生みますし、対人ゲームであれば相手の打ち筋を読み、それに賭けることがあります(格ゲーで、相手がある技を繰り出すと踏んでガードを入れる、など)。そして、これらのアクションには全て一定確率で裏目が発生します。

ただ、これらを総合して「運ゲーだ」と言ってしまうと、皆さんに残るモノは何もありません。皆さんが努力したって無駄です。だって、運ゲーなのだから。ゲーム自体が持つ非人為的な部分に責任を被せてしまうと、選手の皆さんの成長はそこで止まってしまいます。

非常に勿体ない。

「予選の当たりが悪かった、格上ばかりと当たった」「トーナメントで苦手な否定側を引いてしまった」「判断が割れた部分で自分たちに有利に取ってくれなかった」…敗退した理由を探すことは幾らでもできます。ただ、同時に自身のスピーチや議論、リサーチの中にも、きっと敗退した理由はあるはずです。

僕は、自身が主審で講評をする際、判定が割れた時に「ここから先はガチャを引くようなものだ」とお伝えすることがあります。ですが、それと同時に必ず、「ただ、皆さんはガチャを引きにこの舞台に来たわけではないはず。1-2を2-1や3-0にする、100人が見ても100-0で勝てるようなスピーチをするために、今までも努力を重ねてきたはずだし、これからもその取り組みを続けてほしい」という旨も伝えています。更に、自身の気づく範囲で、試合中の議論の材料から「こういった言及の仕方があると、票が動いたであろう」と思しきポイントがある場合は、積極的にその部分も伝えるようにしています。そして、強いチームは例外なく、次の試合の機会までに、同じ負け方を繰り返さないよう、修正し改善するサイクルを積んでいます。1つの論題の中でもそうですし、永いディベート人生、という視点でも、昨年と同じ負けを繰り返さないように努力し成長された選手の方も多く拝見してきました。

僕も一人の選手として、負けて悔しい、理不尽だ、違うジャッジさえ入っていれば…という感情は理解できますが、どうかそういった思考だけで終わらせず、(落ち着いたころでも良いので)自分たちの今までの取り組みと試合を振り返り、今後に活かせる部分や改善点を探してみてください。


ちなみに、僕は甲子園の選手だった頃(7年前)に後輩指導用のマニュアルを作ったのですが、冒頭にこんなことを書いていました。

表現が好ましくない部分がありますが、まぁ、7年前の若気の至りということで。

7年を経て、色々な経験を重ね、細かい部分での考えが変わる事はありましたが、大元の部分の感想は今も変わりません。ディベートって、難しい。必勝法はない。でも、目の前のジャッジに投票してもらうために、プレパもスピーチも、不断の努力を重ねていくしかない。それが辛くもあり、また楽しい競技でもあると、僕は確信しています。


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