国交断絶するとどうなる?―台湾とカタールの事例

日韓関係がぎくしゃくする中で、日韓の国交断絶を主張する記事がネットニュースでも多く見られました。この記事はどこかからその時に思いついたことを色々書いてみたものです。

国同士がギクシャクすると、国交を断絶しろという意見が良く出ます。しかし、国交断絶ってどういうことなんでしょう?日本と国交のない台湾には、毎年多くの日本人が訪れ、国交のない国とは思えないほどです。他方、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のように、行くのも難しい国もあります。そこで、今回は国交断絶すると、実際にどういうことが起きるのかを過去の事例からみていきます。

台湾の例
日本にとって、国交を断絶した国というと、まず思いつくのは中華民国(台湾)かと思います。1972年9月29日、日本と中華人民共和国(中国)は、日中共同声明を発表しました。ここでは、日本が中華人民共和国を中国の合法政府と認めるとされていたため、中華民国は日本との国交を断絶することを表明しました。
国交が断絶されて、両国の関係はどう変わったのでしょうか。国交は、外交使節団(大使や領事など)を交換するところから始まります。国交が断絶されると、日本と中華民国双方は外交使節団を引き上げました。ここで問題となったのが、大使館の扱いです。しかし、両国の間の民間交流を続けるということで、日本側は交流協会、中華民国側は亜東関係協会(現在は台湾日本関係協会)を設置しました。両者は非政府組織であり、両国間に台湾関係法のような法律がないため、外交特権は認められていません。しかし、両者とも、事実上の外交組織であるため、お互いの外交関係は一応維持されていると言えます。
日台関係で問題になったのが、民間航空の問題でした。1974年4月に日中航空協定が結ばれました。航空協定交渉において、中国側は、中国と台湾の航空機が同時に駐機しないこと、中華航空機が中華民国の国旗を外すことなどを求めました。これに応じて、日本政府は、台湾には日本航空は飛ばさないこと、中国は成田空港を使い、台湾は羽田空港を使うことなどの提案をし、日中航空協定は結ばれました。
ここで問題となったのが、中華民国国旗の扱いです。協定締結直後、大平正芳外相は「日本政府は、中華民国旗を国旗とは認めていない。」との発言を行います。日台間の国交がない以上、大平の発言は日本の立場を表明したものでしたが、中華民国側は猛反発し、直ちに日台間の航空路停止を発表し、翌日には日台間の航空路はストップしました。
日台航路は航空会社にとってドル箱であり、その航空路がなくなってしまうと、日台間の交流にも支障が出てきます。日台間で協議が行われる中で、翌年7月1日の参議院外交委員会で、宮澤喜一外相が「(台湾と国交を有する)それらの国々が青天白日旗を国旗として認識しているという事実はわが国を含めて何人も否定し得ないところでございます。」と答弁すると、中華民国側も新しい航空協定締結に同意すると表明し、日台間航路回復に動き出します。75年8月に日本アジア航空が設立され、9月15日に東京―台北線が開設されました。一方の中華航空は10月1日に台北―東京線を再開させました。
日台間の国交断絶は、日中国交正常化によるものであり、互いに外交関係を維持しようとしました。しかし、日台間の航空問題にみられるように、国交断絶によって、新たな問題が生じたことも事実でした。

カタールの例
国交断絶で比較的新しく、大きな問題となったのはカタールの問題でしょう。2017年6月5日、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、エジプトなどの国々はカタールとの国交断絶を宣言します。カタールがイランに過度に接近していること、エジプトやサウジアラビアがテロ組織に指定しているムスリム同胞団を支援していることを理由として挙げています。
6月22日に各国は、カタールに対して行動を是正するよう13項目の要求を突きつけました。その中には、イランとの外交関係の縮小や、テロ支援の停止、カタールを拠点とする放送局「アルジャジーラ」の閉鎖などが含まれています。
これらの国々は、外交団の48時間以内の退去と、カタール国民の2週間以内の退去を通告しました。各国は、同時にカタールの封鎖に動きました。陸・海・空の全ての国境を封鎖し、カタールの航空機、船舶が自国の領空や領海の通行を禁止しました。おかげでカタール航空の航空機がアフリカに向かう場合、一度ペルシャ湾に出てからアラビア半島を迂回して向かうというルートを取らざるを得なくなりました。
カタールに対する各国の国交断絶は、2019年現在も収束には向かっていません。おそらくサウジアラビアなどはカタールが音を上げて、自分たちの要求を受け入れると考えたのでしょう。しかし、カタールは、これらの国々に屈することはありませんでした。食糧の輸入先をサウジアラビアやUAEからトルコなどに切り替え、食料自給を増やすことにも着手しています。現時点では、サウジアラビアなどの目論見は外れてしまったと言えるでしょう。


このように国交を断絶すると、様々な面でその国の人々が影響を受けることが分かりました。また、国交を断絶したからといって、問題が解決する訳でもありません。かえって、問題をこじれさせてしまうということもあり得るでしょう。国交断絶とは、それくらい重いものなのです。

岡野翔太「歴史に翻弄(ほんろう)された日台航路—「日本アジア航空」の記憶」Nippon.com、2018年3月31日(https://www.nippon.com/ja/column/g00514/?cx_recs_click=true)。
徐年生「戦後の日台関係における日華議員懇談会の役割に関する研究―1973-1975」『北大法学研究科ジュニア・リサーチ・ジャーナル』第10号(2004年1月)。

橋爪吉博「全方位外交の罠、国交断絶に陥ったカタールー中東リスクが高まっても原油価格が下がる原因をどう読むか」日経ビジネスオンライン2017年6月27日(https://business.nikkei.com/atcl/report/16/022700114/062300007/?P=1)

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