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二十七字(「短歌人」2021年5月号掲載文章の加筆修正)

 最近、図書館に通って古い「短歌人」を読んでいる。

 かつて「短歌人」の投稿規定に「一首二十七字以内」という記載があった。竹柏会も同様の規定があるものの、「短歌人」創刊時は一段組であり、このような規定はない。

 二段組がはじまったのは、昭和十八年からである。
 二月号から一部の欄が二段になり、七月号からすべての欄が二段となる。十一月号p.35に「お願ひ」として「二十七字以内とする事」と書かれるが、会規として記載されていない。投稿規定に反映されるのは昭和十九年に入ってからになる。「一行二十字詰」だったのが「一行二十字詰一首二十七字以内」に変更となった。

 投稿規定は昭和二十一年までは「会規」の一部として扱われ、会規が改正されるたびに掲載された(変更ない場合は掲載なしか「会規抄」が掲載された)。そういう状況であったので、毎号掲載されていたものではないし、とびとびにしかあたっていないので何号から変更があったというのは追えていないのでだいたいの時期で述べる。

 二段組になっても二十八文字以上の歌は掲載されている。どう対応していたのか。
 活版印刷の時代であったので、二十八字以上の場合はかな文字を小さくして一行に収めていた。誌上では「ルビ組」と呼ばれている(が、ルビのように行の横にはつかない。末尾の写真参照)。これは戦前の号から見られる。つまり、「二十七字以内」の規定はあったけれど、二十八字以上の歌も選歌によって落とされることはなかったようだ。

 昭和二十二年以降の「短歌人」は「会規」全文が掲載されることはなくなり、会規上どうなっているか曖昧な時期がある。
 昭和二十四年十・十一月合併号の後記には「印刷所からの注文であるが歌を二十七字以内に書いて貰うことを實施して頂きたい」(清水政雄)とあり、二十七字が印刷の都合であるとはっきりと書かれている。その後、原稿用紙についての記載がない状態が数年続く。「二十七字以内」以外の規定も消えているので、誌面以外で案内していた可能性ある。二段組になってから、毎号ではないけれど継続して告知されていたのが約五年途絶えているのは気になるといえば気になる。
 と、いうのも昭和二十四年末に特記してお願いしていた二十七文字以内が昭和二十五年に入っても、特に守られていた様子がないから。同人・会員問わず二十八字以上の歌がまじっている。昭和二十五年三月号より印刷所が「短歌人印刷所」に変更となっていることと関係があるのかもしれない。
 昭和二十九年後半になると「会規抄」に「なるべく四百字詰の原稿用紙を使用」という記載が入るようになる。誌面で確認できる範囲で会規としての「二十七字以内」はここで消えたということになる。
 私が入会したころはすでに電算写植になっていたが、字を小さくして一首を一行に収めて対応するのは活版時代と変わらず。これは平成二十四年に現在のかたちになるまで続いた。七十年ほど続いたことになる。


くぎりせん

 以下の表に状況をまとめる。未見の号が多いため、おおまかなものとして御覧いただきたい。私の見た範囲では、1943年2月号~2012年3月号まで「ルビ組」が存在したことになる。
 1段31字・30字の時期は数は少ないし、欄や特集によっての例外あり(が、そこまでチェックしきれていないし、表にもりこめない)。

2021-05-31 06_36_47-20210531図版27字


くぎりせん

「ルビ組」はこんなのです(以前のtweetの画像を流用)。
1枚目の瀏の画像は一段組時代のサンプルとしてつけました。

193007短歌人ルビ組みほん

https://twitter.com/hanaklage/status/769416162132111360

https://twitter.com/hanaklage/status/769425693985738752


くぎりせん

この文章は「短歌人」2021年5月号「三角點」p.86掲載の同タイトルの文章を加筆したものです。掲載時にはなかった図版を追加した。



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