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『現代短歌 ’70』特集「楯としての前衛歌集」の紹介

 もろもろ書く前に「前衛」の話をしないといけないと思っていた。

 3日のイベントでもそうだったのだけど前衛短歌の歌人として山中さんをあげることに疑問を持たない人は多い。私はこれに違和感がある。

 女性排除とかホモソとかの話ではない。

 まず、ぼーよーとした記憶の話をする。
 私が短歌をはじめたころ(1990年代前半)、山中さんは前衛に入っていなかったと思う。「森岡・山中は前衛に近いところにいたが、前衛ではない」というような位置づけだったと思う。葛原さんはどうだったか。入ったり入らなかったりだったような記憶がある。

 「前衛短歌の三雄」「前衛四天王」というものがもしあるとして、ややこしくなるのでこの3名だか4名だかをあげるにしてもこの名称は使わないほうがよいと思っているのだけど、まあ、とりあえず数が多いほうであげる。いわゆる前衛四天王としてあげられることのある塚本・岡井・寺山・春日井が、とりあえず前衛短歌確定チームとして、この記事では除外して考える。

 では他に誰が前衛なのか。

 考えるヒントのひとつとして『現代短歌 ’70』特集「楯としての前衛歌集」を紹介したい。

 当時、「前衛」と考えられていた歌集がどのあたりかわかると思う。

 光森裕樹さんのtankafulより特集部分の目次をキャプチャしたものを貼ります(目次作成:私)。

http://tankaful.net/reference/r2/gendaitanka-70

画像1

※『現代短歌 ’70』は国会図書館で閲覧できます。『現代短歌 1970』というタイトルで登録されていますのでご注意。
http://id.ndl.go.jp/bib/000001247928

 人名が入ってなかったりするので、補ったものを列記してみます。

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塚本邦雄『水銀伝説』『緑色研究』
岡井隆『斉唱』『土地よ、痛みを負え』
田谷鋭『乳鏡』
前登志夫『子午線の繭』
寺山修司『空には本』
春日井建『未青年』
筑波杏明『海と手錠』
滝沢亘『白鳥の歌』
清原日出夫『流氷の季』
岸上大作『意思表示』
平井弘『顔をあげる』
中城ふみ子『乳房喪失』
浜田到
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 現在あげられる前衛短歌とずれているのではないだろうか。

 これが前衛メンバーの決定的なものかというともちろんそうではない。少なくともこの本が刊行された1969年時点では違和感のない並びであったと思われるということだ。
 
 
 閑話休題。
 
 
 「短歌人」2018年11月号の特集「前衛短歌は勝ったか負けたか 短歌の極論Ⅱ」で「前衛短歌と聞いて真っ先に思い浮ぶ一首」というテーマで小文を書いた。これで書きたかったのは前衛の「浸透と拡散」について。
 この文中で私は「中井さんとその共犯者たちの”演技”に感動した人は確実に存在すると思っている。」と書いた。

 前衛とは中井さんを通じてデビューした人たちという考え方がある。私の考えもそれに近い。作風や結社・団体で語ることは困難だと思う。
 誰が、というのを置いてあらっぽいことを言うと、私は前衛短歌とは「中井劇場の出演者たち」だと思っている。だから「演技」という言葉を出した。
 岡井さんが中井さんに協力的であったかどうかは微妙なところだけれど、中井劇場の出演者で、塚本さんのよき共演者であったとは言えると思う。

 こういったことから、女性であげるのならばまず中城さんだと私は考える。

 ニューウェーブが前衛の弟子と言うのはいいが、前衛とは何かを持たずに言うのは危険だと思う。


※「ねむらない樹」vol.2の「特集2 ニューウェーブ再考」で「短歌の「ニューウェーブ」について」という一文を寄せた。ニューウェーブの浸透と拡散について。ボリュームがだいぶちがうが、こちらは「短歌人」2018年11月号の続編のつもりで書いた。 
 


 
(付記)

 この記事ではふれなかったけど、「誰が」のほかに「いつ」という問題もある。
 前衛短歌としてくくって論じるのは1950年代半ばにはすでにはじまっているので、1956年と1961年では想定される範囲はちがっていたはず。
 『ぼくの交遊録』で岡井隆は歌人協会と関わりはじめたのは1959年か1961年と書いた上で、その頃が「前衛短歌運動の最盛期」(p.200)であったとしている。
 中井さんが角川「短歌」にいたのが1961年まで。

 前衛が運動体だったかという問題は置いておくけど、少なくとも1961年より前に起こった何かが前衛であるというのが現在の私の考えです。

 (いつから、については考えがまとまっていないのでそのうち考えます。)

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