繊細さに女々しいも男らしいもクソもない

女は女らしく上品に、控えめに、可愛くという社会の圧力は強いけれど、男・男らしさに対する社会の圧力だってすごく大きい。特に日本では「男は黙って…」という社会的な縛りが強い。

男や男らしさに対するステレオタイプは女性のそれと比べてあまり注目されないため存在しないかのように扱われているが、それはそんな社会のステレオタイプに囚われた男性が声を上げられないからなのだと思う。

これは英語の動画なのだが、アメリカ人男性が10人ほど集まって「男らしさ」とは何かを語っている。

その中でも、社会的に男性は「弱さ」「恐れ」「悲しみ」を感じてはいけないのだと思うと男性たちが発言しているのが印象的だ。

もう一人の男性はこんな事も言っていた。

「恐怖や恥、そして悲しみと向き合う時は、自分の中にしまい込むようにしているよ。そういうのをあんまり外には出したくないんだ。僕たちの社会が性的役割(Gender Role)を作った事によってこのような症状が起きているんじゃないかな。僕としては、誰もが人間として感情の振れ幅を持っているのだと思うけど。誰もが自分の感情を適切な時に表に出せるべきだし、そんな感情を認識して有り難いと思う(appreciate)べきだよ。ガードしないとって身構えるんじゃなくてね。」

社会の掲げた「男らしさ」を追求するために、自分の感情を押し込み葛藤しているのが見てわかる。

僕がこうやって自分の想っている事を書いたり、自分の感情を表現したりする事だって「女々しい」と言われるだろう。そして、実際に「繊細なところがフェミニンだ」というニュアンスの言葉は友達にだって言われた事がある。


この投稿では、「男らしさ」「女らしさ」とは何かを議論をするではなく、①誰もが社会の作った価値観を無意識に受け入れてしまっている ②感情や繊細さに女々しいも男らしいもないという事を伝えたい。


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「男性脳」「女性脳」という幻想

「男は〜だ」「女は〜こうであるべき」という考え方はそもそもステレオタイプではなく、実際に生物学的な男女の差があるのだから常識だろうという意見もあるだろう。

しかし、男脳・女脳という考え方さえ思い込みにすぎなかったらどうだろうか。

事実として、WIREDの「『男性脳』『女性脳』は存在しない?:英国の研究結果」という記事では、英国のロザリンド・フランクリン医科学大学の研究のリーセ・エリオットが率いる研究によれば「脳の性差」は実際には存在しないという研究成果が発表されたという。

研究チームは、6,000件を超えるsMRI(構造的核磁気共鳴画像法)検査の結果をメタ分析した結果、まずは、脳の海馬の大きさに大きな男女差はないことを示した。海馬は、短期及び長期の記憶に関わり、感情を感覚に結びつける脳の部位だ。これまでは、海馬は女性のほうがかなり大きいと広く考えられており、この通説が、女性が男性よりも感情表現が豊かで、言葉を記憶する能力が高いという固定観念の説明に利用されていた。

他にも、エイジングスタイルのまとめた記事では、イスラエル・テルアビブ大学のダフナ・ジョエル率いる研究チームが2015年11月30日にオンライン版Proceedings of the National Academy of Sciences誌に発表した研究報告によると、これまで男女の行動・考え方の違いの根拠とされてきた「男脳」「女脳」を持つ人はほとんどいないと書かれてる。


このように男性の方が感情が豊かではない、または女性は感情的になりやすいという生物学的証拠はないにも関わらず、僕たちは社会の掲げる「男は〜であるべき」「女は〜であるべき」という価値観を真実だと思い込み、それに従って苦しんでしまう。


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「男らしさ」へのステレオタイプとメンタルヘルス

僕たちは、無意識のうちに社会の作った価値観を享受している。伝染病のように見えないうちにいわゆる”常識”に侵されている。

「男は〜だ」「女は〜であるべきだ」と型にはまった考え方をしている時に、それに気付き「それは自分の考えた価値観なのか?」と問うことが重要だ。

そうでないと知らないうちに社会のでっちあげた価値観を自分の価値観だと勘違いし、気づかないままに社会の掲げる価値観の奴隷になってしまう。

特に冒頭の動画で男性たちが言ったように「男は弱さ、恐れ、悲しみを見せてはいけない」「男は感情を中に抑え込むべき」という”常識”に囚われていると危険だ。


WSJの「女性と異なる男性のうつ、その対処法は?」という記事によると、精神科医であるジェフリー・ボレンスタイン博士は、男性は自分で自分の問題を解決する事が期待されていると言う。さらに、セラピストはこうした感覚が男性のうつ病をより深刻にしかねないと指摘しているそうだ。

つまり、「男はこうでなければならない」という思い込みが精神状態を悪化させるのだ。

さらに、Journal of Counseling Psychology, Vol 64で発表された論文によると、「男性らしさ」へ適合しようとする事は、精神的健康に控えめながら不利に関連するだけでなく、心理的援助を求めることにも適度かつ不利に関連していたと書かれている。

Conformity to masculine norms was modestly and unfavorably associated with mental health as well as moderately and unfavorably related to psychological help seeking.


社会の作った「男らしさ」の幻想を追いかける事による健康状態・精神衛生の悪化はネットで調べれば、いくらでも出てくる。

さらに、自殺の男女比を見ると日本に限らず、世界的に男性の比率の方が高い。

下記のグラフは赤いほど自殺の男女比率が男性の方が高い事を示す。

もちろん、男性は自分の感情を抑え込もうとするから誰にも相談せずに自殺してしまうのだと結論付けるのには大きな論理の飛躍がある。他にも考慮すべき要素が山ほどあるだろう。

しかし、先ほどのJournal of Counseling Psychologyにて発表された論文でも「男性らしさ」を追求する事と精神状態の関連性があるとされているように、男性が社会の掲げる「男らしさ」という幻想を追いかけて自分の感情を抑え込もうとするが故に精神が悪化する・助けを求めずに放置してしまうという仮説を立てるのには十分だ。

こうした研究・データは、社会のでっちあげた「男らしさ」「女らしさ」に対するステレオタイプに僕たちがどれだけ縛られているかを証明すると同時に、それが身体的・精神的に悪影響を及ぼす事も表す。


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「繊細さ」と「人間らしさ」

繊細である事・感情を表現する事に女々しいも男らしいもクソもない

僕は、感情を持ちそれを表現できるという事、自分の感性に耳を傾けられるという事、それは「人間らしい」以外の何物でもないと強く思う。

自分の人生をどう生きたいか考えた時、せっかく人間として生まれたのだから人間として人生を全うしたいと思った。その上で自分らしく生きたい。


では、人間らしさとは何かと問うった時、それは「論理的に考えられるという事」「動物的な本能を制御できるという事」と答える事もできる。

でも、僕はそれでは機械と同じじゃないかと思う。そのような生き方をしていては、「生」つまり生きる喜びを感じられないじゃないか。

もちろん、そのような生き方を全うしたい人は結構。それでいいと思う。だが、僕はごめんだ。「人間らしさ」とは「様々な感情を感じられるということだけでなく、それを表現でき、他者と分かち合えること」だと思う。

感情を通して他の人間とつながれることに大きな可能性、そして人間らしさを感じる。自分の感じている事を真に言葉にできた時、異なった人生を歩んできた人とつながれる、なんて素晴らしいんだ、と思う。全く異なった線を描いてきたのに交わったという感覚だ。


自分が繊細である事、そして自分の感じている感情を自覚しそれを言葉を通して表現している事に対し「女々しい・男らしい」と勝手にラベリングをするのはナンセンスだ。繊細であることに、男らしいも女々しいもない。それはただ単に「人間らしい」ということだ。

自分の持つ感受性や感情を何らかの形で表現する事は、僕の「自由」なだけではなく、人間として生まれた誰もが持っている「権利」でもあると思う。

それに対しとやかく言われる筋合いはないし、「人間らしい」生き方を全うしているだけだ。


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大学1年生の頃に茨城のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩に出会った時からこの詩が好きだったし、今でも好きだ。

最後の「自分の感受性くらい自分で守ればかものよ」というのは、きっと「老い」から自分の感受性を守れという意味だと思っていた。年をとるとワクワクしたり、何かを楽しみに思ったりする事は減ってしまう。だから、「老い」にも負けず自分の感受性くらい自分で守れと言っているのだと思っていた。

でも、今この詩を読むと、きっと自分の感受性を他人や世の中、世界から守れと言っているのだと思う。


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女らしさ・男らしさを自分が定義する

日常会話で「それフェミニンだね」「男らしいな」というような言葉を聞くたびに、男らしさや女らしさぐらい自分で定義付けさせてくれよ、と思う。

いや、もっと言えば「男らしさ」も「女らしさ」も自分で定義したらどうだ、と思う。「繊細なのは女々しい」「ガツガツ主張するのは女の子らしくない」それらはお前の価値観じゃないだろ、と挑戦したい。


生物学的根拠のない”常識”を社会が自分たちの頭に叩き込んでいるのに、そんな”常識”を正しいと思って生きていては虚しいと思わないか、と問いたい。

それでは、”型”にはまった面白味のない生き方しかできず、本来人間の持つ可能性だって開花させる事なく一生を終えてしまうじゃないか。


ジェンダーの役割に限らず他にも社会が押し付けている価値観は沢山ある。その価値観は社会の作り上げたものなのか・自分の積み上げた価値観なのかを見極めることが自分らしい生き方をする上で大切だと思う。

自分も含め誰もが社会の価値観を無意識に享受している。社会に属する限り例外はいない。

だからこそ、社会の押し付ける"常識"に敏感になり、社会や時代が定義する「男らしさ」「女らしさ」「人間らしさ」「幸せ」「成功」「人生」に惑わされずに、普遍的で自分らしい価値観を築き上げたい。



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僕は、共感されるような柔らかい文章だけではなく、社会を挑戦・挑発するような文章も書いていきたいと考えています。

僕たちは社会にデザインされていると同時に今ある社会も先人によってデザインされていると考えます。また、僕たちにだって社会を形作る権利、そして力があるはずです。

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クライブ

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Photo credit: @karin_travelphotog









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常識の再構築

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