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写真を見るのには時間がかかるという事

写真にも色々な見方、見られ方があるのではないかと最近思った。
英語で、日本語でいう所の「見る」に相当する語としてsee,watch,lookが有るように、「写真を見る」体験にもいくつか種類がありそうな気がする。
以下は、今考えている範囲でのその3種類

  1. その写真の意味およびそれが撮られた背景を知る。もしくは解説付きのアーカイブを読む。

  2. 本になった写真集を見る。もしくは展示会場で全体をざっとチラ見する。

  3. 展示会場で、写真を見る事に没入しプリントを繰り返し細部まで見続ける。

これらの何が違うかと言うと、自分の体の中を流れる時間を誰がコントロールしているかという所が違うように思う。つまり、1.は、自分 2.も自分、そして3.が自分ではなくてその場のような気がする。
映画鑑賞で例えると、1.が映画の解説を読んだりダイジェストムービーを見る。2.が粗筋を読んだり倍速で見たりする。3.が映画をその映画を1倍速で見る。と表現したら伝わるだろうか?

1.が、すでに歴史になった、あるいは外国にある有名建築物の記録を本で読む。2.が、その建物を実際に見学に行って全体を見学する。3.が建築中の現場の隅にいて一日工事を眺め続ける、と言い換えても良いかもしれないが、例えとしてはあまりよくないな。

それにしても、考えてみると展示会場で動きもしない音も出ない静止画としての写真をじっと見続けるというのは、実に奇妙な行動だ。これをしていると、自分のコントロール権を一部失い、その場に身を託しているような気分になって来る。
共にその場で時間を過ごす、と言うのが写真を見るの中に占める意味の一角なのではないかと言う気がしなくもない。

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