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「ウルトラマン vs. メフィラス星人」ことシン・ウルトラマンを観た

というくらいにメフィラス山本ことメフィラス星人のインパクトが強すぎた。最初に断っておくとそれは「シン・ウルトラマン」が「シン・ウルトラマン」でないという意味ではない。シン・ゴジラがそうであったように、本作もまた「シリーズの歴史をリセットし、当初のコンセプトは保持しつつ今ゼロから作ったらどうなるか」という作品だ。そこに描かれているのは「現代日本で人間が巨大化してヒーローになったらどうなるか」である。全体を通じてこのテーマは保持され成功している。

そしてそれがためにより一層メフィラスの印象が強くなる。極論するとこの映画の良いところも悪いところも理由を突き詰めるとこいつに行き着く。言い過ぎだけどそう言いたくなる程にこいつが周りを食ってしまっている。長澤まさみと斎藤工(ウルトラマン)がバディという設定だが明らかにお前のバディはメフィラスだウルトラマン。

以降、ネタバレ未配慮未見の方はご注意を。


本作におけるメフィラス星人の何が凄いのか。まずは山本耕史の怪演技である。オリジナルの、つまり初代ウルトラマンに出てくるメフィラス星人の「病的なまでの完璧主義」「寛容さを装った究極のエゴイスト」というこの世の悪を煮詰めて凝縮したような性格が200%再現されている。うっかりこのメフィラスになら「地球あげます」って言いたくなる。そんくらいヤバい。斎藤工のウルトラマンも相当ハマり役だがそれ以上にメフィラス山本がハマってた。

また脚本も素晴らしい。本作のテーマを「現代日本で人間が巨大化してヒーローになったらどうなるか」だと書いたが、人間でありながらヒーローであることの二重性は、当然様々な矛盾を引き起こす。やろうと思えば地球を秒で滅ぼせる力を持ちながら、なぜわざわざ人間と同化してまでチマチマと怪獣退治に明け暮れるのか。人間であるなら、人間の法と規範に従わねばならない。色んな組織がウルトラマンを自分の管理下に置こうとする。一方でウルトラマン=光の国の戦士であるならば、外星への過度の干渉はルール違反となる。人間の秩序に従うのか。光の国の秩序に従うのか。そしてどちらもウルトラマンは拒否する

特筆すべきはこの矛盾を解決できるかのように見える策をメフィラス星人が持ってきている点だ。メフィラスは地球を直接支配しない。ただし自分達外星人を上位概念として認めさせ、最終的な生殺与奪権を握る。要は人間を家畜化するという話だ。メフィラスが人間に見出しているのは生物兵器への転用可能性であり、取って食おうというわけではない。だから良いじゃないかと。

ウルトラマンはこれも拒否する。ウルトラマンを管理しようとする人間組織、メフィラス、光の国(ゾフィー)に共通するのは人間を「群れ」として扱い管理しようとする姿勢だ。人間を生かすのか殺すのかはあくまで群れとして扱った際の結果であり、根本思想は変わらない。一方、ウルトラマンは個人としての人間の生き様に意義を見出す。少年を救うため命を投げ出した1人の人間の行為は、集団としての原理で説明できない、人間1人1人の命の価値をウルトラマンに考えさせるに至った。

群れではなく、個人の集合体としての人間の可能性に賭け、その未来を守りたい。それがウルトラマンの答えであり、初代ウルトラマンと同じ「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」というゾフィーの言葉に繋がる。プロセスを現代日本に合わせながら、最後の「答え」は60年前のオリジナルと変わらない。素晴らしいプロットだった。

問題なのはメフィラス絡みのエピソード以外にも色々と見どころがあり、全体的には散漫な印象になっている点である。普通の映画が「前菜・スープ・魚メイン・肉メイン」からなるコース料理だとしたら本作は「メイン・メイン・超メイン・メイン」になっている。お陰で色んなものが消化不良を起こしている。特にシン・ゴジラと比べて最終解決のプロセスがいまいちカタルシスに欠けたのは残念だった。

が、とにかくこれは「シン・ウルトラマン」であり、観れて良かったと思える作品だった。これでドラマシリーズ作ってくれないかな……情報過多な部分はそれで解決すると思うんですよね……あと欲を言うなら「シン・ウルトラQ」もお願いします。マジで。

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