男の子プリキュア

KLPです。

いよいよ「ひろがるスカイ!プリキュア」のラストが近づいてきている今、男の子プリキュアについて、次作「わんだふるぷりきゅあ!」に絡むことと、1年間くすぶり続けてきた(?)論点への、自分の考えを書いてみます。

なお、私は男の子プリキュア擁護派なのでおのずと批判派への反論が増えますが、この記事は必ずしも一部の過激な言説に対するものではないので(そういう部分もあるにはありますが)、「普通」の記事の扱いです。


「わんぷり」は関係ない

まず、次作「わんだふるぷりきゅあ!」の初期メンバーに男の子がいないことで、擁護派・批判派の両方から「キュアウィング/夕凪ツバサは失敗だったのでは?」との声が若干聞かれます。

しかし、わんぷりの設定はキュアウィングの出来にかかわらず、初めから決まっていたことでしょう。

初めて出した要素の成功失敗をいきなり次作に生かすのは、スケジュール的に無理ではないでしょうか。細かい部分はともかく、大きな部分は、随分前から決まっていて動かせないと思います。
一方では追加戦士が男の子かもしれないという声も上がっていますが、もしそれが実現しても、ウィングの評判を元に急ごしらえしたというより、元々の予定にあったものと考えるのが自然な気がします。

そもそも、珍しい要素のメンバーが登場した作品の次に、同じ要素を連続で出したことがあったでしょうか?
もし私が忘れているなら教えてほしいのですが、どのみちしょっちゅう起きていたことではないと思います。

なので、擁護派も批判派も、キュアウィングが失敗だったという前提には立たない方がいいです。
それを言うなら、カラーが青の主人公も、成人プリキュアも、失敗したことになってしまいますから。

誰のための挑戦か?

たびたび、男の子プリキュアのメリットとして「男の子がプリキュアファンになりやすくなる」という話を聞きます。

まず、私は「男の子プリキュアは男の子のため」と公式サイドがはっきり語るのを見たことがありません。
そういう意図が多少はあったとしても、女児向け作品としてのプリキュアを今のところ崩すつもりはなく、キュアウィングもまずは女の子に気に入られるようにデザインしたと見受けられます。

私が見た限りでは、擁護派がメリットとして「男の子がプリキュアを好きになりやすくなる/好きと言いやすくなる」と挙げ、対して批判派が「男の子プリキュアがいなければ男の子がプリキュアのファンになっていけないわけではない」「今までのプリキュアにも男児のファンはいたから無意味」「そもそも女児向けアニメが男児を意識する必要はない」と反発し、だんだん双方が「公式サイドは男児を意識している」と既成事実のように語ることが増えていった印象です。
どちらの立場にしても、公式サイドがどういう姿勢でいるのかは確かめながら発言した方がいいでしょう。

なので、以下はあくまで「公式サイドは男児のためとは言っていない」ということを踏まえての話です。

「女の子だけであっても男児が好きになっていい」「これまでにもプリキュアファンの男児はいた」という主張は確かに正しいのですが、これを口にする人たちは、そもそも何故プリキュアが女の子ばかりなのかを忘れているのではないでしょうか。

プリキュアが女の子ばかりなのは、女児向けアニメだからです。同性のキャラクターの活躍に憧れるという心理はごく自然にあるはずです。
初代プリキュアが「女の子だって暴れたい!」というコンセプトから生まれたのは有名です。戦う男の子のキャラを好きな女児はいたはずですが、やはり女の子が戦う姿から「暴れたい」を刺激された女児は多く、プリキュアは人気が出たのでしょう。

男児についても、男の子プリキュアがいることでプリキュアを好きになることはありえます。公式サイドが狙ったかどうかにかかわらず、そういう効果はあるはずです。

もちろん、女児向けアニメが男児を当てにしていいかは別に考えなければならず、男児にウケたとしても、それを理由に安易に男の子プリキュアを増やすことはできないでしょう。
何より、女の子には女の子プリキュア、男の子には男の子プリキュア、と決めつけてしまったら、それはそれで良くありません。
なので「男児のために男の子プリキュアを出すべき」とまで言うのも言いすぎです。

ただ、男の子が男の子プリキュアを好きになることは、そこそこあると考えるのが自然です。
女の子が女の子のプリキュアに憧れることを知っているなら、男の子に対しては男の子プリキュアの効果はないとし、必要ない、女の子のプリキュアでも十分憧れられるはず、とするのは矛盾しています。

また、男の子でも女の子のプリキュアを好きになると言うのであれば、女の子が男の子プリキュアを好きになることもあるはずですから、その理由で男の子プリキュアに反対するのはなおさらおかしいと言わざるをえません。

もし、男の子プリキュアを好きな男の子の中に、自然な心理以上に女児向けアニメを見ることへの引け目があるとしても、差別意識だとして非難するのはやりすぎです。
「性別に関係なくプリキュアを好きでいい」という意識は広めていかなければなりませんが、キュアウィングがいて助かったと現に感じる人を責め立てても、ただただ無粋なだけです。

何にしても、「男児のためでも不必要」と「男児のために必要」、どちらも言いすぎです。目的にはなくても効果が出ることはあるし、効果が出るからといって目的にしなければならないわけではありません。
男児も気にはしつつ、あくまで女児向けに作っている、と考えれば、男児の扱いを巡る対立はしなくていいはずです。

なお、男子高校生のみのチームだったぼくプリは、明確に大人の女性向けとされていますが、男の子や男性が見て憧れる部分は、やはりあると思います。私はおすすめします。

「必然性」の議論

【「必然性」とは?】

キュアウィングについて、「男の子を出した意味はあったのか?」という議論をしょっちゅう見かけました。
言い換えれば「男の子である『必然性』」という話ですね。

ひろプリの物語の中でキュアウィングは、「男の子」を強調されていません。「男の子でもプリキュアになれた」という言われ方はされず、その後も「メンバーでただ一人男の子である」ということを際立たせることはありませんでした。

これを「自然に溶け込ませることに成功した」と捉えるのと、「『男の子』を生かすのに失敗した」と捉えるので意見が割れていました。
前者は主に擁護派、後者は主に批判派と見ていますが、例えば擁護派にも、鳥の妖精など他の要素を組み合わせずもっと「男の子」を目立たせてほしかったという意見もあるようです。
ともかく、ウィングについて「男の子」にことさら注目しなければ何も気になりませんが、そこを第一に考える人は意味付けができていなければ出す必要はなかったと考えるのでしょう。

最初に私が疑問に思うのは、では「必然性」とは何を指しているのか、ということです。
というのは、「必然性」を口にする人たちの間でも微妙に違う方向性が見えて、統一されていないのです。結局は、人によって求めているものが違うという話にしかならない気がします。

それでも共通なのは、女の子だけしかいなかったプリキュアに男の子を入れた意味を求めていることなのでしょうが、私が思うに、多分その人たちが納得するものは存在しません。

例えば、女の子だけのチームになかった新たな視点を求めるのなら、デパプリのブラックペッパー/品田拓海のような、プリキュアとは違う形で参戦する男の子でも可能なわけです。
「男の子」である意味を描いたとして、それはプリキュアになることと関連づけられるものではないはずです。

もっと具体的に「性差」ということでしょうか?
例えばお風呂やトイレ、更衣室を使うなら別行動になるでしょうが、それは描かれなくても分かりきったことです。お風呂を前にツバサが女性陣と分かれるような場面があったとして、そんな些細な出来事を「必然性」と呼ぶとしたら大げさではないでしょうか。
別行動すべき場面がなければ、自然と一緒に行動していることになるわけで、そこで「男の子」が見えにくくなるのは当たり前のことでしょう。
私にはツバサが女性陣と不自然にくっ付いて問題を起こした場面があったようには見えなかったのですが、感受性の強い批判派の方々はきちんと見抜けていたということでしょうか。もし私が見落としていたのなら教えていただきたいです。

あるいは、男女のプリキュアで恋愛模様……というのも面白いとは思いますが、エルちゃんの結婚式ごっこでの批判派の反応を見るに、それで納得するわけでもなさそうです。

身体のことや恋愛以外で性差を描くとなると、それは容易に「男らしさ」「女らしさ」というステレオタイプにつながりやすく、望ましくないものになってしまいます。
ツバサの場合、例えば飛行機に興味があるのは「男の子っぽい」趣味と言えますが、女性パイロットや飛行機に詳しい女の子が出てきたことで、それは打ち消されています。むしろ「男の子っぽい」につながらないように描かれているのではないでしょうか。


【他のプリキュアとの比較】

批判派がキュアウィングの描き方を批判する際、他の珍しい要素のプリキュアを比較に出すことがあります。
例えば「キュアラメールは人魚ならではの視点があり、海を舞台にしたトロプリにも合っていた」というようなものです。

しかしこれも、必然性と言っていいのか疑問です。
やはり、そのキャラがプリキュアになることとはつながっていないからです。
サポートの立場であっても人魚としての視点は描けますし、人魚である時点で既に作品には合っています。なぜプリキュアとして仲間入りしなければならないのか、その理由まで説明が付くでしょうか。
「必然性」とは「それ以外考えられない」ということです。もし批判派が、視点の違いや作品との合わせ方を「必然性」と言っているのだとしたら、言葉の遣い方がそれで合っているのか疑問です。

また、仮にそれを「必然性」とするとして、別の記事にも書きましたが、例えば初の小学生メンバーであるキュアミューズを同じ論理で語れるでしょうか?
ミューズの描写に、小学生なりの視点や価値観があったようには思えません。生意気な性格は中学1年生でも設定できますし、年上のフリをするのは身長が低ければ可能です。また、小学生という要素は、音楽をモチーフにしたスイプリと特に結びつくものではないはずです。
せいぜい、プリキュアになれる年齢が小学生まで下がった、くらいのことしか起きていません。

キャラ同士を見比べて、ある要素が別な要素と同じくらい掘り下げられているかどうかを測るのは、意味のないことではないでしょうか。
深掘りされて生かされている描写も、単なる一要素にすぎない描写も、どちらもあって良いものではないでしょうか。
特に目立たせない描き方は、いる意味がないのではなく、いても差し支えないということなのです。

【公式サイドの意図は?】

しかし批判派の主張の根元には、プリキュアシリーズが「女の子だって暴れたい!」というコンセプトで始まったことがあるでしょう。
コンセプト上、女の子は女の子であるだけで「必然性」があるが、男の子はそうではない。自然になじんでいるという程度なら、女の子でも変わりないのだから「必然性」があるとは言えない。そういう主張に見えます。男の子にあえて「必然性」を求めているというより、自分が納得するものが出てこないのは分かっていて、だから男の子はいらないという結論が既に決まっているのでしょう。

別の記事でも引用しているのですが、公式サイドからはこういうお話があります。

例えば、『ふたりはプリキュア』の企画書に書かれていた「女の子だって暴れたい」というコンセプトが特に最近、誇張されて広がっているように感じています。
(中略)
もちろん他にも、制作陣がエッセンスとしてそれぞれのシリーズで入れている表現やメッセージは当然あります。でもそれは時代ごとに、子どもたちの方を向いて真剣に作ってきたからこそ出てきたものであり、それ自体が目的ではないと思うんです。深い部分を読み取ってもらえているのは嬉しいのですが、そこをことさら強調したくないというか。
(中略)
ただ20年も続いていれば当然色々な工夫はしてきたわけで。それだけ長いこと手を替え品を替えやってきたんだから、結果として別に男子のプリキュアだって1人や2人いたっておかしくはないでしょ、と。そういうふうに思っています。

「諦めなければ絶対に夢は叶う」なんて嘘は、つきたくない。『プリキュア』シリーズ、田中裕太監督の希望の伝え方【20周年インタビュー】

あくまでお一人の意見なので、違う方に聞けば違う意見である可能性もあります。
ただ、「女の子だって暴れたい!」でプリキュアを立ち上げた鷲尾天さんも自ら男の子プリキュアを提案していますし、お一人だけが異質な考えで制作に臨んでいるわけでもなさそうです。
《2024年4月22日 下記のリンクを追加》

恐らく、公式サイドにとっての「女の子だって暴れたい」に、男の子を完全に排除する意図はないのでしょう。
(細かいことを言えば男の子プリキュアよりも前に、「女の子でも男の子でもないプリキュア」が数人いるんですよね)
また、このコンセプトを大事にしつつも、作品ごとにスタンスには微妙な違いがあるものと推察されます。

男の子に限らずどんな要素も「1人や2人いたっておかしくはない」と肯定することから始まっているなら、それは一貫した姿勢と言えますし、そこから要素を強調されるキャラとそうでもないキャラに分かれるのは、単なるその都度ごとの判断として説明がつきます。
急にコンセプトがぶれて必然性もないまま男の子を出した、というわけではないのです。

時々「『初の男の子』とあんなに宣伝したからには必然性を見せるべき」というような主張も見かけるのですが、公式サイドはそこまで大々的な言い方をしたのでしょうか?
私は、ただ「初めての男の子」という事実を述べた程度だったように感じます。

例えば下記はひろプリ公式サイトのウィング登場直前のニュースですが、「男の子」とは書かれていても、「男の子はシリーズ初の試み」「メンバーでただ一人男の子」などの注目を促すような文言はありません。

また、キュアバタフライも同様のニュースがあるので、ウィングだけ特別に取り上げられているわけでもありません。

初めてである以上、自然と話題にはなります。公式サイドはその騒ぎに対応してきただけで、自ら積極的に「男の子」を前面に出してはいないと思います。
なので、宣伝の熱量と実際の描写がかけ離れているとは言えません。

一時的な変身では初の男の子だったはぐプリのキュアアンフィニの際も、公式サイドは世間の反応ほど「男の子」を特別視していなかったようですし、やはりファンが思うよりも重大な扱いはされていないのではないでしょうか。

あとはその姿勢に、個人の好みで納得できるかどうかでしかありません。

私自身は、プリキュアである必然性とは、作中にある、プリキュアになるまでの描写だけで十分だと思います。
なぜこのプリキュアはこういうキャラなのか、なぜこの要素があるのか、というところまで追求すると、男の子に限らず「必然性」を説明できる気がしません。

人によって考えは自由ですが、自分が納得できないときに、公式サイドが道を誤ったと判断するのは、慎重にした方がいいと思います。

おわりに

以下の記事において、全プリキュアのうちキュアウィングは人気投票で3位だそうです。

1人3票まで、投票数は1万5941票。最新作のキャラであることを考慮しても、全体の3位、ひろプリメンバーで2位というのは、まぐれでは片づけられない結果です。

一部ではウィングについて「失敗」「不人気」「売れていない」と言い切っている人たちがいますが、ちゃんと現実を見た方がいいと思います。
もちろんあくまで一つの調査にすぎませんし、メインターゲットの女児に絞った意見ではありませんが、大人が肯定的に見ていれば、子どもに影響することもありうるでしょう。
私が訪れたものに限れば、イベントで子どもたちにウィングのウケが悪いようには見えませんでした。
衣装騒動のように、公式サイドの方が慎重になりすぎた部分があっただけで、ウィングは広く受け入れられています。
グッズによってはウィングが真っ先に完売することもありましたし、衣装騒動はウィングが受け入れられていたからこそ騒動になったとも言えるでしょう。

なお、19歳以下の女性と答えた人に限ると、ウィングは2位にランクアップします。

19歳以下というのも大抵は女児ではありませんが、この年齢だと、「女の子だって暴れたい!」でスタートした初代にリアルタイムで立ち会っていない世代ということになります。
一方で、それでもひろプリ以前はプリキュアが女の子しかいなかったのは知っている場合が多いと思われます。

その世代が、キュアウィングをプリキュアの一員として支持していることを、「女の子だって暴れたい!」から話を始めがちな年上のファンは考えた方がいいでしょう。
こうした世間の現実を見る限り、感受性の強い方々の挙げるキュアウィングの問題点が本当にあるのか、私にはますます疑問です。

(いずれの投票結果についても、複数票やプロフィールの詐称を疑うのであれば、それはどのキャラも同じ条件だということを思い出して下さい)

女児に絞って人気を計るとなると、恐らく私たちには無理なので、話の前提にはなりません。
ただ、長年のファンとしては、初代のコンセプトや「必然性」を気にかけ語ったところで、下の世代の女の子たちがそれをありがたがるとは限らないことは覚えていたいものです。

《※2024年2月1日 追記
プリキュア生みの親・鷲尾天さんより、男の子プリキュアについて「子どもたちはすんなり受け入れている」との発言がありました。
やはりそういうものですよね。
「ウィングは大人ウケ」「ウィングを好きなのは男好きの大人のオタクだけ」と言い切っていた一部の人たちが、これを聞いて納得したのかと言うと……やはり、何だかんだと歯切れの悪い反論をしているようです。》

早くもわんぷりで「追加戦士は男の子?」と期待している人が多く見られるのは、ウィングが「男の子プリキュア」の成功例になったことを示していると思います。
実際にどうなるかはこれから分かることですが、私はキュアウィングが登場して良かったと思いますし、男の子プリキュアが出るかどうかにかかわらずわんぷりが楽しみです。


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