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噫横川国民学校

終戦記念日も近づいて来たので、戦争について記しておく事とする。

ナチスがユダヤ人に対しておこなった殺戮の数々が非難されるのを当然とするならば、アメリカが日本の市井の人々を対象に行った原爆投下、東京大空襲などのジェノサイド(大量殺戮)に非難の声があがらないのは何故だろうか?

戦勝国であり、同盟国であるアメリカに対し、国が声をあげるの難しいと認めるが、国民の中より声があがってこない事が問題と考えている。

戦後、戦争を振り返る際、「二度と繰り返してはならない」「あってはならない」と反省と悔恨の弁を耳にするが、それ以上に大事な事がある。

井上有一という一人の書家の「噫横川国民学校」という作品がある。この作品に込められた書家の呻吟と慟哭こそ、我々は忘れてはならないのではないのだろうか。

アメリカB29夜間東京空襲 闇黒東都忽化火海 江東一帯焦熱地獄 茲本所区横川国民学校 避難人民一千有余 猛火包囲 老若男女声なく 再度脱出の気力もなし 舎内火のため昼の如く 鉄窓硝子一挙破壊 一瞬裂音忽ち舎内火と化す 一千難民逃げるに所なく 金庫の中の如し 親は愛児を庇い子は親に縋る 「お父ちゃーん」「お母ちゃ―ん」 子は親にすがって親をよべ共 親の応えは呻き声のみ 全員一千折り重なり 教室校庭に焼き殺さる 夜明け火焼け尽き 静寂虚脱 余燼瓦礫のみ 一千難民悉焼殺 一塊炭素如猿黒焼 白骨死体如火葬場 生焼女人全裸腹裂胎児露出 悲惨極此 生残者虚脱 声涙不湧 噫呼何の故あってか無辜を殺戮するのか 翌十一日トラック来たり一千死体トラックへ投げ上げる 血族の者叫声今も耳にあり
右昭和二十年三月十日未明 米機東京夜間大空襲を記す
当夜下町一帯無差別焼夷弾爆撃 死者実に十万 我前夜 横川国民学校宿直にて奇蹟生残 倉庫内にて聞きし親子断末魔の声 終生忘るなし ゆういち

血と肉の焼けし匂いの染み込し土に被さるアスファルトに立つ


人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ。